拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『 南 無 』 の 暮

2021年12月26日 | 観自在

  異国の祝祭日、のNoél(クリスマスの仏語)も昨日すんだが、コロナ禍の中それなりに各自、雰囲気を盛り上げているのを観て

  ヨーロッパ人にとってその重要度を再確認した思い。

  キリストの誕生日をこれほどまでに祝福する西洋人を横目で観て、仏陀の誕生日すら知らない名ばかりの仏教国、

  日本人のノータリンぶりに今更ながら呆れる思いを逆に新たにした。

  だがしかし、宗教が幻想であったと認める現代人の風潮に反して、

  冷徹な眼で世の中と己を見極めた釈迦の『悟り』のみは、時代が進むにつれ人々の『憧れ』のレベルを越え、

  己自身の身近な問題として感じ始めている気がする。

  2500年前の釈迦の『悟り』は、『 A I 』展開に伴い、その対極の現象として、これから本格的に解明されるだろう。

 

  私の今年一年を振り返えようと… なにげに『南無』という語を調べる。

  梵語(サンスクリット語)『namas』の音写で、意味は『帰命』とあるのを観て、あゝ南無・・・とおもわず合掌。(ちょっと芝居がかって)

  だから、合掌はじつに『帰命・きみょう』なんだよね。『悟り』は『郷里サトリ』と駄洒落て言っているようで、

  本当に『畢竟帰処・ひっきょうきしょ』という禅語に自然行き着く。 人として当たり前に帰る処なんだよ。

 

  その意味では、日本人にとっては新年の『正月』が『命』なんだよね。ここに日本人の宗教が自然に活きているのだと思う。

         

          引っ越しに明け暮れた2021年、新居にきて4ヶ月になるが、まだなんとなくボーッとしている。

          手前の山々も今は雪景色。 皆さんも良いお年をお迎えください! 馬骨願 合掌

 

 

  

 

  

  

  



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