拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 台風の眼

2021年05月31日 | 観自在

  昨日、一年半前にみたNewspicksの動画をYoutubeで再見。

  ああ、あのときは気づかなかったけど、落合陽一は面白いこと言っているなぁ〜と思ってもう一度じっくり見た。

  そもそもNewspicksは、企業、ビジネスマン向けインターネット有料番組で、企業やビジネスにまったく無縁な自分が何故見るかというと

  AIとか、自分の全く知らない分野が世界ではどういった動きをしているのか?企業などはどんなことになっているのか?いずれにしても『人間』

  をテーマにした視点がら観ると、いろいろ興味が尽きない面がある。

  で、時折カルチャー系の動画としてこの時は『禅・マインドフルネスを考える』がテーマになって、落合陽一を中心に

  マインドフルネスを実践的に指導している元禅僧山下良道、ドイツからやって来て禅僧になったネルケ・無方、スピリチュアルに詳しい平原憲道

  等、3人が招待された。この3人の人選はどうかな?とは思ったが、いずれにしても1時間弱の時間枠ではそうそう禅の話は深まるわけでもなく・・・。

  面白いのは、昔、同門の禅僧であった二人が、現在禅ではなくマインドフルネスを指導している日本人、方や禅から派生的に生まれたマインドフルネスが

  なんで今さらのように日本で注目されるのか、批判的立場をとっている西洋人禅僧がマインドフルネスについて話していることだった。

  落合陽一という人については、彼があの落合信彦の息子であると知ったときには、あまりの違いに驚いたことがあったが、未来社会を志向する分野では

  天才と一目置かれている青年(33歳)で、この日も禅について語る禅僧の話に聞き入る時の目つきが、只者ではない感を十二分に表していた。

  落合が禅僧にいくつか質問して、それがなかなか面白いものであった。

  落合:『スポーツやアートに携わる者がその行為に集中している時の『無目的』状態が禅的であると思うが、どうなんでしょうか?』・・・

  馬骨:言いたいことはわかる気がするが、そもそもスポーツやアートの活動そのものを止める状態こそが真の無目的で禅的であると思う。

  落合:『禅を修行する者の間ではどういう交流(交信)の仕方をしているのか?』

  馬骨:修行を成り立たせる規則を絶対視するかで、互いに協力し『場を作る』ことが交流であり、すべては沈黙の中で行われる。

     『行』そのものはあくまで『自己』レベルで深められるべき事柄。他者との交流は強いて言えば『非言語コミュニケーション』

  落合:自然を依りどころとすると、薄まってゆく自分と自然は一体になるのか?それとも自己は自己として閉じた世界の中に何か在るのか?どうなんでしょうか?

  などなど落合陽一の優れた鋭い質問に対して招かれた講師らは的外れな答えで、せっかくの禅問答も残念ながら深まることもなく時間切れとなった。

  それだけ、深い『問』を持っていれば、坐禅すれば必ず『ドスンと不二落ちる』時が来るであろうに・・・

  番組のお終いに、落合陽一がまとめとして言ったことに

  『台風の眼、安らかなんだけど、情念が渦巻いている場所がある気がする、渦が巻いているおかげで、そういう場所がある』・・・という主旨の発言があり

  流石、いいところに着眼していると思った。

  ところで、ヨーロッパでは台風が全く無い・・・そもそも地震とか災害が圧倒的に日本より少ない、そういったことも日本で仏教が、禅が栄えた理由だろうか?

  『諸行無常』が随時肌で感じることが出来る環境が・・・。

   

             レマン湖に観た 『台風の眼』と未発達な鳥居 



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