拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  銀の龍の背にのって・・・

2023年08月08日 | 東洋自分なり研究所

  前回のブログにあげた曲、中島みゆきの『銀の龍の背に乗って』・・・をまだ引きずっている。

 

  中島みゆきもシャラッ〜っと、『銀の龍』なんて言っているが、これはどう考えても禅の『公案』だろ。

  そう、私に言わせれば、この世は『公案(禅問答)』に満ち満ちているのだ。

  ただ『禅の公案』は自己が死ぬまで、腑に(不二)落ちるまで『問』と向き合い続けるが、娑婆の『問』はほんの数秒〜数分で忘却される。

  この違いが『天と地』ほどに違う事が、『禅』が『禅』である真面目でもある。

  日本という国は、そういった『公案(問)』の象徴に満ちた国であることが、世界でユニークだと評価されている原点のように思う。

  例えば『結界を表す鳥居』。例えば『禅寺の庭』。例えば『芭蕉の俳句』。例えば『頂きますの合掌』。例えば『いらっしゃいませの挨拶』

 

  だのに娑婆では人は忙しすぎる・・・せっかく暇が出来てもバカンスだなんだと言って、自己を本質の処から自ら遠ざけ

  せっかく素晴らしい『公案』と出会っても、猫の眼のように、ひと時も『心』はそこに留まらず、気を散らす。

  たとえ警策を持った坊さんがすぐ目前で見張っていても、初心者の『坐禅』は雑念+妄想が嵐の如く渦巻いている。

        

 

  あの蒼ざめた海の彼方で 今まさに誰かが傷んでいる まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

  急げ悲しみ 翼に変われ  急げ傷跡 羅針盤になれ まだ飛べない雛たちみたいに 僕はこの非力を嘆いている

  夢が迎えに来てくれるまで 震えて待っているだけだった昨日 

  明日 僕は龍の足元へ崖を登り 呼ぶよ『さあ、行こうぜ』

  銀の龍の背に乗って 届けに行こう 命の砂漠へ  銀の龍の背に乗って 運んで行こう 雨雲の渦を・・・・(作詞:中島みゆき)

 

  中島みゆきさんは私と同年齢(1952年生)で、同じ道産子・・・であるが

  かたや若き日より、作詞・作曲という活動を通して『自己』を徹底的に掘り下げていたんだね。

  だからこんな詩(歌)を書けるんだろう。

  彼女の歌には、仏教の本質・・・つまり『人間の本質』が歌われていると私は思った。

 

  前回ブログで私はこの歌『銀の龍の背に乗って』…は現代の『般若心経』だと言った。

  般若心経は『般若智(慈悲と智慧)の到彼岸』(完成)をうたっていて、『龍』は此岸から彼岸へ渡る『飛躍の象徴』に違いない。

  『 急げ悲しみ、翼に変われ=慈悲心/ 急げ傷跡、羅針盤になれ=智慧 』・・・は『煩悩即菩提』、『色即是空空即是色』の仏性の本質を表し

  『僕はこの非力を嘆いている』・・・というのは、まさに『菩薩の悲願』そのものとして私には映る。

  

  

                                                                                   銀の龍の背に乗って / 中島みゆき Cover by 野田愛実(NodaEmi)