拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『問』の国、日本(2)

2023年08月29日 | 東洋自分なり研究所

  昨日のブログ記事、『問の国、日本』・・・たぶん『何のこっちゃ?』と思った人が沢山いるだろうなぁ〜と思う。

  基本、馬骨の『自分なり』研究なので、我ながら適当というかいい加減というか。

  むしろ真面目に本で調べたりしたら、かえってややこしくなる傾向が自己の中で散見されるので、知っている範囲で直観を働かすのみ。

 

  日本文化と『禅』の関係について自分なりに考察した時、『禅』のいかなる部分が日本文化に影響しているのか?・・・

  というような事を問題としたときに、『禅問答』の『答』もさることながら、生涯『問』い続ける人間の『性』(さが)を肯定したうえで

  その『問』の多様性を認めたところに、日本文化の方向性と深さを極める原因となったのでは・・・というのが馬骨の論である。

 

  私にとってその好例の一つが、芭蕉の俳句であって、彼の後半生の俳句のすべてが『問』の『答』ではなかったかと思う。

  日本文化の骨子ともいえる定番『花鳥風月』を詠ったものも、単に自然物の名を文章で並べ綴ったわけではなく

  彼にとって深刻な『問』が、いつの日か彼自身『腑に(不二)』落ちる『答』が『俳句』として詠まれるようになった・・・と

  解すべきではないか。(実際、芭蕉は仏頂和尚について坐禅を始めたと言われている)

 

  私が知っている範囲で名を上げると、蘇東坡(中国)‐ 西行 ‐ 吉田兼好 ‐ 世阿弥 ‐ 一休 ‐ 千利休 ‐ 芭蕉 ‐ 白隠 ‐ 良寛 ‐ 北斎・・・というような

  流れで禅『問』答を中心にして日本文化が深まっているようにみえる。

  それは一切皆『苦』である『諸行無常』にたいする『問』を入り口にして、『諸法無我』という『答』へと道はつながっている。

 

         

                 西の桃源郷・・・Romainmotier に続く田舎道にて