拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『大拙』考〜 "大拙・東来意"

2023年08月06日 | 東洋自分なり研究所

  禅を世界に知らしめた鈴木大拙(1870〜1966)の生誕150年が2020年の3年前に祝され、『スズキ大拙』研究に関する

  新たな本が出版されたりするなか、『東洋自分なり研究所』所長である馬骨も自分なりに『大拙考』をしてみたいと思う。

            

  

  何かの本で読んだが、『スズキ大拙』は生涯に本を100冊ほど出版した中、英語版が約25冊だそうである。

  私はその内の10冊ぐらい?読んだであろうか。さらに、『スズキ大拙』について書かれた本も4〜5冊読んだと思う。

  それでは読んだうちにならんだろう・・・と突っ込みがはいりそうであるが、まぁ、『自分なり』…という限界はある。

 

  それにしても、彼の同じ本を繰り返し何回読み返しただろうか…。 私の禅修行中、誰かに『禅とは何か?』という問いかけが許されない空気感の中

  唯一『スズキ大拙』の書籍には遠慮なくその『問』を問う事は出来るのであるが、何が書いてあるのかさっぱり解らない時代が延々と続いた。

  それでも私に『大拙』の書籍が手近に在った事は、今思えば『禅』を理解する上でどれほど重要であったか認識を新たにする思いだ。

  修行しながらにして『読む』・・・ということが、恐らく重要ではなかったか。

  『坐禅』を含む、禅寺での修行をなくして『大拙』の書籍を理解するのは難しいように思う・・・。

 

  それは、大拙の本が難しいのではなく、彼が『禅とは何か』を説く際に『自家薬籠』の如く使い回す、

  中国歴代の禅者が残した数々の『公案』(禅問答)があまりにも突飛であり奇抜な為である事がだんだん解ってくる、と同時に

  大拙がある事を説明する際に使った『公案』が何故ここで使われているのか・・・

  というようなその背景を読み取る手助けをしていることも何回も時を経て読むことで、感じ取れるように配慮されている気がする。

 

  2500年前に、釈尊が悟ったその『悟り』のみに焦点をあて、それを体得するだけでなく、日常生活に活かす事に専心した

  中国『禅』の祖師がたの言動の記録(公案)である『禅録集』が初めてスズキ大拙によって漢文から英語に訳された衝撃はいかほどであったであろうか?

  仏教の一派である『禅』の存在など、それまで西洋人は知ることはなかったであろう。

  それが、平易な英語で読むことが出来る・・・ということの意味が私達日本人にわかるであろうか?

  私達日本人は中国の唐や宋時代の禅録を読もうとした時、漢文やあるいは読み下し文、或いはこなれた日本語文の体裁を取るかもしれないが

  同じ漢字を使う民族として難解な漢字を使う可能性もあるわけで、その点英語訳の本は、とにかく全部英語なのだ。

 

  相方のニコルは時々、Yi-King『易経』(フランス語版)を読むだけではなく、コインを使って占いとして利用しているが、

  私もそれをしようとして、私の持っている文庫本『易経』(日本語版)を開いてみるが、難解すぎてまったく歯が立たない…ということがよくある。

  つまり西洋人は訳された中国や日本の古典を自国語で読んで、ある程度の内容は知っている・・・ということになる。

 

  スズキ大拙は、若き日に11年間アメリカに滞在し、2度目の長期滞在が1950年(80歳)〜1954年(84歳)でアメリカの大学で禅の講義をし

  その頃の活動が欧米に『禅のスズキ大拙』が日本に在り・・・ということを決定づけた。その後死ぬ1966年(96歳)まで執筆活動を止めなかった。

 

  欧米で注目されるスズキ大拙の『Zen』が逆輸入の形で、日本でも『禅』が注目されるようになった・・・経緯があり、

  私のような者が『悟り』について考えたり、Youtubeなどでも少なくない人々が『悟り』について云々するなど、そういった文化の礎を築いた

  第一人者として『スズキ大拙』が存在していることを、私達は再確認すべき時期に来ているように思う。

  その昔、禅の祖師ダルマがインドから中国に来た真意を問う際、『仏祖西来意』と問う事が定番となっているが

  現代の我々は今、『大拙東来意』・・・と問う時節なのだ。

 

    

                     銀の龍の背に乗って - 中島みゆき / covered by 早希 

  一昨日、偶然この歌に出会った。私はこの歌を知らなかった。2003年だかにドラマ『DR,コトーの診療所』の為に中島みゆきが作詞作曲した歌とのこと。

  この歌こそ、現代の『般若心経』であると私などは思うが、もし、いつの日にか『スズキ大拙』の伝記映画ができたならばこの歌こそ『スズキ大拙』の

  主題歌にふさわしい・・・と思った次第。