拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  『観音チューニング』

2023年08月02日 | 東洋自分なり研究所

  仏教はともかく、『禅』はまともに、しかも全力で『悟り』を標榜する。(・・・と思う。臨済宗では。)

  でも娑婆で『悟り』…なんて言うと、外人に英語で声をかけられた田舎者達が蜘蛛の子を散らすように、誰もいなくなるだろう。

  『悟り』の話は、娑婆では面倒くさがられるのが一般だ。

 

  そこで、『差取り』はどうだろう・・・。『悟り』よりは、よほど気取りがなくて、娑婆寄りな用語・・・と言えるだろう。

  『東洋自分なり研究所』では『悟り』の代替語『差取り』について、いつ頃からか考えるとも無く考えていたのか

  最近、『なるほど~』と、我ながら納得できる、体験から割り出した『差取り』が出てきた。

 

  『禅』というと、誰に習ったのか忘れるくらい、『調身・調息・調心』・・・の話が必ずと言っていいほど出てくる。

  が、その『調心』の『調』は何と『調和』しようというのか???

  そういえば、『坐禅』開始の合図にはリーダーが手持ちの『鐘』を3回『チ〜ン』と長めに鳴らすが、これって『チューニング』であったのか。

 

  私は昔、自己流でギターを奏でていたから『チューニング』を知っているが、この『チューニング』は『音の差を取る』行為であったが

  じつは『坐禅』も『観音』との『チューニング』ではなかったのか・・・。 であれば『差取り』は『悟り』の第一段階とも言えるわけだ。

  仏像の『半眼』は皆『観音』に『チューニング』し終え、『妙音』を奏でている。

 

        

      この写真はじつは日本ではなく、ニューヨークの郊外にある禅寺で撮ったもの。

      短歌は4,5年前に詠んだもの、この写真は参禅する数年前で、『チューニング』とはいまだ知らなかった馬骨。