私は幼少の頃から口数の少ないほうであった。
菊池の母さん(育ての親)は盲目で文盲、出かけるときは私が手を引いて歩いた。
大人の話に子供は口を出しては行けない…と躾けられ、お客が来ても私は大人の話には耳も向けず、自分の世界に浸っていた。
そういった環境で育ったせいで、私は他の子供に比べてもボキャブラリーが少なかった…のだと思う。
特に、花だとか、木だとか日常生活からちょっと離れたところにある物の名前は未だに知らないタイプの人間である。
寿司やとか居酒屋とかほとんど行ったことがないが、行っても注文する名前がわからないので、恥ずかしいのだ。
そんな言葉にうとい人間の私が、ブログなんかを書くようになったのは実におかしい・・・。
そのへんを、『還暦』してみて、思い当たる事があった。
20歳の時、電車の窓から見えた『芦屋芸術学院』という看板に『直感』してその学校の写真科に入学したことが
私が自分の人生を歩む第一歩であり、視覚人間であることを自覚した瞬間であったと思う。
ところが、よく考えてみると写真にはタイトルが必要で、私は写真のタイトルを何故か重要視していたので、自分なりによく考えたものであるが
私にとって、この短いタイトルが『詩』であり、おそらく『禅の公案』でもあったであろう…、その頃はもちろんそんな様なことは思いもしなかった。
視覚的に何かを直感した時にシャッターを切り、その後、出来上がった写真を観て自分が何を感じたのか言葉で反芻する作業…を自然としていたのだ。
のちに禅修行をすることになり、最初は『数息観』その後『公案〜庭前の白樹子』と向き合った。
禅の公案(禅問答)=短い言葉、は修行者を『黙らせる』働きと同時に、言葉の奥の奥にある真意に至らせる働きがある・・・と理解した時
視覚人間のはずの私は、いつの間にか言葉を少しずつ『獲得』していき、自家薬籠としていく。
写真を始めた頃の作品(1973年頃)、タイトル『地球は回っている』にした。写真では見えにくいが、神戸の六甲山から遠くに海と船舶が観える風景
ここに初公開、初発表する作品。何故『地球は回っている』なんていう、タイトルを付けたのか?
北海道の片田舎、山中で生まれ育った自分が、今ここで海を見下ろしている…ところに、あるいは『諸行無常』を感じていたのか?