Blue Apartment Life

swellstore~デイリースタイルの楽しみを提案する京都のセレクトショップ。商品のご紹介や日々の出来事などなど。

相変わらず、

2008年11月27日 19時36分35秒 | よもやま話
社会人として不合格な生活を続けております。


本日はひょんなことから展示会へちょこっとお邪魔しました。


おっ?次の準備でもやる気になったか??、と安心したそこのアナタ、









フライングです(笑)












今日は自転車関連のメーカーさん、D社の展示会へお邪魔しました、コレは完全にお邪魔(笑)。



僕が日頃行ってるアパレルの展示会同様、丁寧に皆さんアテンドして頂き申し訳なく思いました、だってボク部外者ですから(笑)。でもボクもこちらのフレームやらリムやらなんじゃかんじゃと結構愛用してますので居心地良く、ついつい長居してしまいました。



そんなココロヨイ気遣いのD社さん、今後の輪界には重要なトコロ。オシャレでした、コレも重要事項。






Sさん、Mさん、お忙しい中ありがとうございました!!

秋の耳に。

2008年10月28日 14時18分23秒 | よもやま話
いや~、残すところあと2週間。

いよいよお店の棚も空きが目立つようになり風通しが良くなって、と思ったら普通に空気が冷え秋めいてきましたね。

そこで思い出したように秋に聴いてしまう本日の5枚。



まずは










blissfulのグレイテスト。

94年のデヴューアミニルバムです、なのにグレイテスト(笑)。当時ギターポップにとって代わったスウェディッシュポップの旗手・エッグストーンの中心人物でカーディガンズのプロデューサーであるトーレ・ヨハンソン、彼ののお気に入りだったそう。因みにDMCで自己犠牲全開だった加地秀基氏もお気に入りだったみたいで、ボクも当時はヘビロテでした。エッグストーンの影響で云々と言われてましたが、技術面は置いといて楽曲自体のクオリティはこちらのほうが高いかと思われます。この手の音の良い意味で聞き流せる部分というのがあまりなく心を掴みにかかってきます、けど心地よい。

そして彼等に限らずこの辺りまでのジャケット写真はフィルムカメラで撮ってるはずなので、故意にか確信犯かどうか分からないピンボケのリアリズムが垣間見られます、そういうところも20世紀のアルバムというのは良い。



そしてそのもうチョイ前、93年の










PERMANENT GREEN・LIGHT

R.E.Mと同時期に活躍したThree O'Clock解散後にMichael Quercioが組んだバンド、因みにそのスリー・オクロックメンバーだったJason Falknerはボクの最も敬愛する抱かれても良い男(笑)。そしてザ・グリッターズとかフランキー・ヴァリー&ザ・フォーシーズンズにいたドン・シコーニが絡んでます、って全員誰やねん(笑)。まあ日本では存在価値を与えられなかったバンドですね。このアルバムは一言で片付けるとAORの匂い入りのアメリカンポップ、秋だからというニュアンスは一切無いですが、秋のふとした時間の心の余裕というのは他の季節よりスローペースになりません?そういう余裕で引っ張り出してみてまあ聴いてみようか・・・・・となる訳です、、、、、コレって薦めてるんかな(笑)


次ぎ、










hayden







Hayden - Bad as they Seem







時代はもうちょっと近づいて97年。ジャケットは絵に描いたようなアメリカのアットホームな様子ですが、作品はどっぷり真っ暗です、しかも根が深い。と言ってもトム・ヨークが訴えかける終末要素ではなく、日常の心模様に潜んでる悩みなんかをふと考える時あるでしょ?、漠然とした将来への不安とか・子供の頃にこんなトラウマを受けてそれを今の自分が冷静に分析するとか。そういう脳の裏側に張り付いた欠片をサルベージする感じ、ワザワザそんな事しなくても(笑)タイトルも「茎」・「スケート靴」・「自己への非難」・「両親の家」等々・・・・・ね、非常に写実的。坪内逍遥が現代人でギターを弾けたらこうなるでしょ(笑)しかし現代日本では田山花袋や永井荷風の如き楽曲が受けるようなので、彼等もそれ程注目されませんでしたねえ・・・・・。こうやって考えるとトム・ヨークの方が明るい人に思えてきます(笑)


アメリカ人が続いたので、次は英国マンチェスターの










doves

世紀末に発売された








Doves - Here It Comes - Video






「LOST SOULS」は紛う事無い名作であったのですが、今の気分はコッチ。










DOVES / NY




2年後の02年作品、売れた作品の後の割りに肩の力が抜けた感じがして結構好きなんです。前作は「誰がなんと言おうと俺等はこの音が好きやねん!」って頑固さがありました、彼等「サビサビ」という明らかに売れる気のなさそうなバンド名だったのですがダヴスに変えたら大ヒット。その切迫感がカッコよかったのかも知れません(笑)。しかしコレでも才能の間違いなさを見られましたので、ヤッパ本物なんだと確信しました。結構ね、視界が広がる感覚のする歪んだ音です。


最後はその英国に影響を受けた米国人の










PALOALTO

03年作品。この時期は何処でも彼処でも引き合いに出されてたのはレディオヘッドで、このライナーノーツでも多分に漏れずなのですが、レディオヘッドと言うよりむしろ、トラヴィスの気配を感じます。耽美的・叙情的な曲調の中にチョイチョイ出てくる王道ロックテイスト。ある意味ミクスチャーです。きっちりロックバンドの音なんですが、アコギ1本でイケる空気を出してます。楽曲のポテンシャルが高いのでしょうね。










Paloalto - Fade Out/In


これはシングル曲、アルバム全体のイメージよりもベタいですが。






という役に立たないご紹介でした(笑)


時雨読書譚。

2008年10月24日 18時54分25秒 | よもやま話
一昨日の晩に降り始めてから諦めてました、ということで昨日のお休みは自宅謹慎。

1人暮らしの方で家が好きってのをタマに耳にしますが、辛くないんですかね(笑)。広い家にお住まいなのであれば話が違うのでしょうが、あの狭い空間に半日以上居ると偏頭痛がしてくるんですね。苦手です。しかし昨日はケンも悠も週末のレースで居ないし・みんな出張とか行ってたし・雨で山にもいけず外に出たのは数メートル先の自販機にデカビタ買いに行っただけ、声発したのも悠と電話で5分のみ(笑)。
んで、先日両親が来た折に実家に置きっ放しの本を少々運んでもらいましたのでそれを久々に読んでいこうと、相成りまして。

話は逸れますがボク、1人暮らしして十数年になるのですが水周りの日用品の類を買いに行った事がないんです。ウチの母御、男がゴミ捨てたりトイレットペーパーを提げて歩くのを非常に嫌うタイプで、定期的に米や洗剤なんかをエッチラオッチラ運んでくれます。そこにボクの意見を挟む余地はございません(笑)ってのは冗談で、感謝感謝、この場を借りて両親に感謝の気持を伝えさせて頂きます、お陰で愚息は汚くならずに済んでます(笑)。


で昨日読んだのはこの4冊。
















いくつの頃に読んだのかは忘れました、小学生~中学生の頃はこの手合いの歴史・時代小説を貪り読んでましたね~。小5位かな、司馬遼太郎を読んでてその1節に「御開帳」という表現の隠語があったのを見て、父に尋ねると困った顔で丁寧に教えてもらった、という記憶があります(笑)。池波正太郎や五味康祐・南條範夫・海音寺潮五郎など片っ端から読んだなかで、最も好きだったのがこの藤沢周平。時代小説の良さってのは色々あると思うのですが、単純明快・豪快であったり・テンポの良さだったり・残酷・リアルなどなど作家なりの特徴があって中々面白い。同じ人物についての作品でもそれぞれの描写の違いで全く別人物にしあがったりもします。ボクはモチロン子供だったのでヒーローものを見る感覚で読んでたんです。

しかし藤沢作品は所謂ヒーローが出てこない。きっちり題材として主人公にした著名人は長塚節くらいでしょう、そのほか短編でチラホラ。そういうインパクトが無かったにも関わらずドップリはまりました、今思い返すと彼の文章の美しさがそうさせたのかもしれません。時代小説、というよりもヨーロッパの作品に感じられるニュアンスでしょうか、情景描写も際立つものがあった。例えば漬物を噛む音が聞こえてくるようだったり、「川の水が流れて」と書くよりも水が流れていそうだったり、何よりも人の表情が美しく感じられました。子供心にそれを感じ取っていたのかもしれません。そして登場人物が非常に身近で彼の描く主人公は卓越した人物が少ない、時代劇で見る華やかな元禄文化ではなくリアルなその時代性があり、その中で苦労がありながら明るく暮す人々が活き活きと輝いてるのですね。

そしてその最たる物がこの4部作。彼のエッセイなどを読んでみると転機になった作品で、これまで暗い文調一辺倒だったのが又八郎に出会い朗らかになったようです。

そして彼の短編の半分程は架空の「海坂藩」が舞台になっており、バラバラの短編を登場人物で繋ぎ合わせたりできます。良く出てくる人なんかは若い頃~老年期と多くの短編で主役だったり脇役だったり。こういうロジックなので熱心なファンサイトもあったりします。大人になって歪んだ目で見ると、藤沢氏は意外と商売上手な人物だったのかも・・・・・と考えてしまします(笑)。しかし彼の人となりをみると立派な人物だという事は良く分かるのでボクの考えすぎ(笑)。




夕暮れの丘、金色に輝く稲穂。軽やかに走る風の足音が夜の訪れささやき去ってゆく、、、、、。



チョッとは真似出来たかな(笑)。


おこがましいですが、そう表現したくなるそんな彼の作品。





秋~冬の夜長にオススメです。


脳内センチメンタルジャーニー。

2008年10月14日 19時21分11秒 | よもやま話
このところお目出度のお呼ばれ続き。

一昨日も













幸せそうな2人を見ることが出来ました。

結婚式というのはぼくの苦手な事の部類に入ります、基本的に仏頂面をさげて歩いてるようなタイプですので、ボクが行ってもお祝いしてるように見えない(笑)。しかし結婚式というのは同窓会に置き換えられる一面もある、一昨日はそんなボクでもニコニコしてたと思います。
ボクが本格的にこの業界でのキャリアをスタートしたのが「綿綿堂」と言うお店、十数年前になくなった店なのですが、三十歳半ばで京都出身の方なら聞き覚えのある名前かもしれません。ボクはその最終メンバーでした。いまだにこの時に出会った面子とはしょっちゅう会ったり・たまに会ったり。今回の新郎Mちゃんもそうなのですが、みんなスタッフなのか友達なのかお客さんなのか良く分かりません、そんな仲間。この「綿綿堂」で過ごした事がボクの京都に居る所以のルーツですね。

そのお店、河原町今出川にありました。半地下にある板張りの部屋に外からの光りが空気中の埃をキラキラさせながら差し込んでいて、その先に革ジャンがぼんやり浮かび上がってる、今でも時折そんな風景が目に浮かびます。当時のアメカジの粋を集めたお店でした、学生時代のボクは足繁く通い、F社のセットインのスェットとシュガーケーンのデニムが好きなメガネのニイチャンと仲良くなり、気付けばボクがその店のメガネのニイチャンでした(笑)。でもそのメガネのニイチャンが居るそのお店がなかったら今のボクは居ない、そう思います。そしてボクの中での一種憧れに近い感覚もある事に最近気付きました、自分がやってた店やのに(笑)。

譬えようが無いんですけどね、家のようなとかでもないし、友達のトコ・懐かしさ・居心地の良さ、そんな感じじゃないんですね。・・・・・無理矢理言えば、ジーパンみたいな存在の店でした、、、、、分かりづらい(笑)。



そしてこの頃の出会いが、今のボクにも作用したりもするんです。今回の式でも、以前からニアミス続きで中々話せなかった人とようやく会えたり、ホントに時間がかかりましたが今後大切な存在になる人だと思います。そんな事もこの店のお陰。




ボクも自力でそんな場所を作りたかったのですが・・・・・・・修行不足でした(笑)



おセンチな気分風に仕上げてしまいましたが(笑)、swellstoreも残り1ヶ月切りました、ラストまで宜しくお願いします!!

是とするか否か。

2008年10月03日 19時51分48秒 | よもやま話
昨日のお休みは毎度の事で










山登り・山下り。ボクの先輩的友人WETCHが初MTBだったのですが、そんな中年に担ぎで上るという試練を強要(笑)、後下りが爽快なコースですからガマンしてもらいましょ。

んで夜は悠をからかいにバイト先へ。










真面目に制服着てキモイ(笑)。というのは冗談で、プロレーサーで・学校行って・バイトして遠征費稼いで、という二十歳の若者を見ると自分も頑張らなければと真面目に思うのです。



日中自転車押しながら山をテクテク登り、いつも通りどうしようもない会話をしてて自分の間抜け話へと至ったとき、ふと悠が「枕詞ってあるでしょ?高校のテストの時に“母”に対してのの枕詞を“たれちち”って書いて先生に笑われた。」というような事を言ったんですね。ボクは「それはその先生がダサい。」と答えました。だって“垂れ乳”を変化させたのが“たらちね(垂乳根)”でしょうよ。お乳が垂れたおふくろさんに「よくぞここまで育ててくれた。」と感謝する言葉ですよ、むしろ大正解です。正解にした上で受験で使うなとか注釈するならまだしも不正解にするのは国語の教育者として不正解なのではないか?、と服屋は思うわけです(笑)

とかく世の中はそういう類のことがよく目に付く。外殻の形成に気を取られ、本質を湾曲させてしまう。まあ僕らの仕事もその最たるものなのかも知れませんが。
実際ボクが何気無く言い放った「かっこええ奴は何着ててもカッコエエ。」という言葉を正面から受け止めてしまった友人もいまして(笑)、そんなん言ったら元も子もないという事なのですが、正直な思いとしてはそうなんですね。例えば日本においてのヴィ○ンやエル○スの売れ方のおかしさなんかはねえ、でもそれが日本人の価値観の多数決にはベストマッチしてしまってます。喩えになるか分かりませんが、一般的にボクらが乗ってるハイスペックな自転車に皆が群がったら気色ワルイでしょ(笑)新作の










こんなん出たから店に行列、、、、ありえない話で。

しかしその守備範囲にあわせた要は多数決に支えられるべきカッコよさはあるわけで。ウチから駅・買い物・休日足を伸ばしてなんてスタンスの人には










むしろこういうロースペックの際立ちが「カッコエエ」なはずで。

そして話は若干逸れますが我々の業種、「なんちゃってホニャララ」が非常に多い。モチロンボクも頭数に入れときます(笑)その時代に流行ってる空気感を取り入れて~ってのです。モチロン流行りを追う商売なので必要な事かもしれませんが、そのエッセンスを受けてそれを商売に変える売り手の筋が通ってない事が多すぎる。その事実に無責任な提案やらなんちゃってを覆い隠したりとか、ここ数年で「こんなんやから服屋はチャライって言われるネン。」が口癖になってしいしました(笑)。でも最近気付きました、なんちゃっての程良さが大衆にとっては心地よいのです(笑)我が友のブログにおける田舎者理論に近似値なニュアンスです。
しかし、売れなけりゃ敗者。どの業界でも同じ。だからビシッと筋の通ったお店さんが敗者にも勝者にもならず頑張って頂けるとボクは嬉しいのですが・・・・・、オマエが頑張れって?ねえ(笑)


まあボクの「かっこええ奴は~」は、「自分のヤジロベエの振り幅が分かってる人で、その人のカッコよさを更に引き出したり新しいカッコよさを発見させる手助けしかボクは出来ないよ、世の流行りでヤジロベエがブワンブワン呻って視点が定まらない人をねじ伏せるだけの腕力が僕には無い。」ということなんです。



まあ、本質を曲げない人があと3倍位増えたらイイ世の中になりそうなんですがね。










THE FAT OF THE LANDな訳です(笑)


あ、ボクもFATなんかな(笑)