SNS(ネット)上では、ある種の共同体志向が芽生えている部分もあれば、まったく無責任な私的コメントが散在する部分もある。
そこで、何らかの共同体を作り出したいと思ってる人は、おのずと言葉づかいが丁寧になる。そういう場でも、いきなり見ず知らずの人に罵倒を投げかけてくるような輩もいる。
そういう人は、「オレは好きなときに、好きなところに唾を吐く権利を主張する。それが言論の自由というものだ」と言い張る。
でも彼らは、実際には自由な言論の行き交う場を立ち上げる気なんかない。自分の言論にはうるさく主張するが、他人の言論の自由には全く配慮する気がない。
みんなが公共的に使ってる井戸に平気で唾を吐きかけておいて、「みんなが好きなだけ唾を吐けばいい」と思ってる。きれいに使うという配慮がなく、場に対する敬意もない。
他人の家に平気で土足で上がるような人は、やはり「公共」ということがわかっていないのだと思う。
ネット上で、匿名に隠れて他人を罵倒するというのは、いわば「物陰に隠れてそこから石を投げる」ようなふるまいである。
そのような匿名者にとって最優先のことは、「自分が誰だか特定されない」ことであり、自分の生身を公共の場に晒したくないことである。
それほどまでに「傷つきやすい自分」を大事にしているとも言える。言い換えれば、そこまで自分にしがみついて自分だけに固執している。
匿名というのは「我執」ということである。責任を取ることのできない妄言を吐き散らし、どんなことがあっても生身の自分は手つかずのまま温存したいという見苦しさがある。
だから、いろいろなSNSが開発されてきた。それは匿名による攻撃性をどこかで防ぎ止めて、固有名をもった人同士の共同体形成になるように、ネット上の言論の自由の場を確保したいという願いが開発者たちにあったからだろうと思う。
どうすればネット上に公共的な空間を立ち上げられるか?
どうやって我執や自己愛から生まれる攻撃性を抑制できるか?
これからあとも、もっと完成度の高いSNSが開発されるだろうと思う。
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