にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

母親による支配が進む家族

2020-09-18 17:07:00 | 日常

 子供たちの進路決定について、最終決定権を母親が握っているというケースが増えているらしい。

 父親が「子供の好きなようにさせてやればいいじゃないか」と気弱な提言をして、母親が進学先や就職先について断固たる意見を述べる、ということが増えている。

 昔は逆だった。子供のわりと夢見がちな要望を汲み取る役は、母親が引き受けていた。父親には子供の欲望を汲み上げる力がなく、子供の欲望を正しく見当たるのは母親の役割だった。

 だから、子供が本音を告白するのはもっぱら母親に対してであって、父親は母親経由で子供の欲望を間接的に知らされるのがふつうだった。

 それが、今の日本の家庭では逆転?している。逆転というのは正確ではない。母親がかつての父親と母親の両方の役割を兼務していて、父親は子供の欲望とその実現について、ほとんど関与させてもらえてないのが現状みたいだ。

 かつての父権制家族では、「子供の欲望を知っている」母親には、子供の運命を決定する権利がなく、「子供の欲望を知らない」父親が、子供の人生の決定権を持っていた。でも、今は違う。

 母親は子供の欲望を熟知している。子供の弱さも、脆さも、身勝手さも、卑しさも、全部知っている。子供の身の程知らずの自己評価も、うぬぼれも、不安も、全部知っている。

 少なくとも知っているつもりでいる。その母親が、子供の進路選択において決定権を持っているのだ。これは近代家族制度が発足してからはじめての事態なのである。













 父権制社会では家父長は、子供の生き方について強い支配力を行使できたが、家父長の子供に対する評価は、自動的に間違っていた。

 そして、そのことはみんなが知っていた。子供たちには家父長の反対に逆らう権利はなかったけれど、その判定が誤った考課に基づいて下されているということについては、広範な社会的合意が存在した。

 今は違う。「母親の子供に対する評価は正しい」ということについての社会的合意が成立している。だから、「適切な考課」に基づいて母親が子供に向ける指示に、子供たちは反論することができない。

 子供自身の「己についての知」より、母の「子供についての知」のほうが正確であり、かつ客観的であると、母たちはきっぱりと断言する。

 「オレはミュージシャンになる」とか「私はファッションデザイナーになる」とかいう子供たちの未来像のほとんどは、母が看破した通り「どこかで仕込んできたり、他人から吹き込まれたりした妄想」だからである。

 子供たち自身、「ちょっと誰かの真似してるのかな‥‥」と微妙に不安に思ってる『夢』について、ずばりと「どうせどこかで吹き込まれてきたんでしょ」と言い切られると、子供はがくりと膝が砕ける。

 子供はこの「母の断言」の前に、絶句するしかなくなる。そして、自分の未来について母親は、自分以上に的確な予測を持っているのではないかと思い始める。

 このような母親による子供の支配は、ボディーブローのようにじわじわと効いてくる。それが日本社会に蔓延するある種の閉塞感を作り出していると指摘する人は内田樹とごく少数の人しかいない。(続く)



 


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