鉄人 須藤 將のホームページ

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ロータリーエンジン開発物語 その11

2010-01-11 03:31:22 | 車・バイク
毎週、月曜日の朝、山本健一ロータリーエンジン研究部長と幹部とのミーティングが行われる。
実験は土曜日から徹夜でズーッとアペックスシールの試作品を回わして、その結果を月曜日のミーティングで技術報告。どう?って言ったら、いやダメでしたと言う。これの繰り返しであった。何をやっても結果がでない。これの連続で、四十七士は、こんなことをいつまでやればいいのだろうかと思った。

新しいことに挑戦する以上は、こういう問題に遭遇するということは、技術者として当然なのだが、四十七士が非常に勇気づけられたのは、山本健一部長が、部長の立場で報告は聞くが、それに対してとことん質問をし、またそれに対する自らの提案をして、これをやってみてはどうかというような、メンバーと部長とがそういう技術に関することに関していっさい上下の隔てがないことであった。

テストしている社員から、部長、そんなことやったってというような言い合いも日常茶飯事で、一般の会社の雰囲気とは違っていた。ロータリーエンジン開発に関しては上も下もない、四十七士が一丸となって開発にあたった。山本健一部長は、「寝てもさめてもロータリーの事を考えろ」ってしょっちゅう言っていた。

四十七士は、夜中にぱっと起きて、枕もとのメモ帳に書いて、気がついたことを昼にどういうことかやってみた。月曜日の報告、それから計画会議というものが、研究活動の促進にどれだけ、大きく貢献したかわからない。

ありきたりの組織上の部長だったら、発生した問題はずるずる尾を引いていたであろう。部長がそうであるから、各研究員、試験員、みんながなんとかしなきゃいかんと新入社員も含めて、ああやったらどうだろう、こうやったらどうだろうということを続々と提案した。、山本健一部長は、それはダメだみたなことはいっさい言わずに、それをやらすだけやらせた。

達富が会社に入ってしばらくたった時に同窓会があった。大阪に帰って、“技術者冥利につきる”とまで言った。なんでもやってみろと山本健一部長から達富は言われていた。達富はもともとエンジン好きであったが、エンジンを本格的に勉強したことはなかった。会社に入ってからレシプロ・エンジンをほんとうに勉強した。ロータリーをやるためにレシプロ・エンジンを勉強した。内燃機関の再勉強やって、必死になって、寝ても醒めても達富の枕元にもメモ帳があった。

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