鉄人 須藤 將のホームページ

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「水素ロータリーがル・マンを制覇する日」その49

2009-09-10 05:37:11 | 車・バイク
沢村美雪は、かってマツダをル・マン優勝に導いた西田にレーシングノウハウを仕込まれた。フォードがマツダの経営権を握って、ロータリーエンジン開発人員が大幅に削減され、15名いたロータリーエンジン実験グループメンバーが5人に削減された。美雪は、その5人に残れなっかた。フォードとの共同開発のレシプロエンジン実験グループに配属転換された。美雪は、ロータリーエンジンと離れたこと、経営会議でル・マン完全撤退が決定され、西田から学んでいたレースの道もフォードに絶たれたことで悩み、退社した。
1997年、ヨーロッパを流浪していたところ、西田を知る当時のTMG社長のオベ・アンダーソンに見出されて、1998年ル・マンの監督アンドレ・デ・コルタンツの下でテクニカルディレクターをつとめた。

主要なメンバーが揃った。
テクニカルディレクター:沢村美雪
チーフデザイナー:アンドレ・デ・コルタンツ・ジュニア
チーフエンジニア:冨田誠
レース監督兼渉外担当:大橋孝至
チーフメカニック: 野茂英寿
ドライバー:関谷正忠
相談役:笹井勇

チーフエンジニアの冨田誠とチーフメカニックの 野茂英寿は、TMGのF1チームから移ってきた。
監督の大橋孝至は、1991年にマツダが優勝したときの監督であり、現マツダスピードの大橋真監督とは親子である。
大橋孝至は、マツダがル・マンから撤退してマツダスピードを閉鎖したときに、トヨタ・チーム・サードに移り、レース活動を続けていた。
F1を、アンダーソンとコルタンツのコンビで進めているので、1998年ル・マンのようにアンドレ・デ・コルタンツをル・マン監督にするわけにはいかないことから、ル・マン優勝経験のある大橋孝至に白羽の矢が立った。

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