7.ル・マン優勝への道
ロータリーエンジンがル・マンに初めて登場したのは、1970年ベルギー人チームのシェブロンB16で、ファクトリー・チューンのレーシング10Aエンジンを搭載して出場したが、4時間目にエンジン・オーバーヒートでリタイアした。
1973年には、シグマ・オートモーティブ&レーシングから250bhp/8000rpm12Aエンジンを搭載したMC77で参戦したが、11時間目にクラッチのトラブルでリタイアした。
1974年に、シグマ・オートモーティブ&レーシングはマツダ・オート東京(後のマツダスピード、以降マツダスピード)と共同で再度チャレンジした。ペリフェラル・ポート仕様の12Aエンジンを搭載したMC74は24時間を走りぬいたが、規定周回数に達していないため完走と認められなかった。
1979年には、マツダスピードチームが1978年春に発売されたサバンナRX-7をシルエット・フォーミュラ仕様にしたてた252iでル・マン参戦を企画した。当初グループ5で出場しようとしたが、IMSAクラスで出場した。予選57位で第2補欠となり、0.96秒の差で決勝に出走できなかった。
1980年は、マツダスピードチームはル・マンを休み、翌年用の253 i RX-7シルエット・フォーミュラを製作した。1980年ル・マンにアメリカから参加したIMSA仕様のRX-7が完走した。
1981年のル・マンは、マツダスピードチームは253 i RX-7シルエット・フォーミュラ2台でIMSAクラスに出場した。このクルマに搭載された13Bエンジンは広島本社が耐久レース仕様に仕立てたキャブレーター仕様付きで290bhp/8500rpmが供給された。今回は無事予選を通過した。しかし、スタートから2時間目のユーノーディアでデファレンシャルを破損してストップ。もう1台も午前1時頃、トランスミションの不調で戦列を去った。
やはり、ル・マンの道は険しいのであるが、予選通過の第1歩は確実に登った。
ロータリーエンジンがル・マンに初めて登場したのは、1970年ベルギー人チームのシェブロンB16で、ファクトリー・チューンのレーシング10Aエンジンを搭載して出場したが、4時間目にエンジン・オーバーヒートでリタイアした。
1973年には、シグマ・オートモーティブ&レーシングから250bhp/8000rpm12Aエンジンを搭載したMC77で参戦したが、11時間目にクラッチのトラブルでリタイアした。
1974年に、シグマ・オートモーティブ&レーシングはマツダ・オート東京(後のマツダスピード、以降マツダスピード)と共同で再度チャレンジした。ペリフェラル・ポート仕様の12Aエンジンを搭載したMC74は24時間を走りぬいたが、規定周回数に達していないため完走と認められなかった。
1979年には、マツダスピードチームが1978年春に発売されたサバンナRX-7をシルエット・フォーミュラ仕様にしたてた252iでル・マン参戦を企画した。当初グループ5で出場しようとしたが、IMSAクラスで出場した。予選57位で第2補欠となり、0.96秒の差で決勝に出走できなかった。
1980年は、マツダスピードチームはル・マンを休み、翌年用の253 i RX-7シルエット・フォーミュラを製作した。1980年ル・マンにアメリカから参加したIMSA仕様のRX-7が完走した。
1981年のル・マンは、マツダスピードチームは253 i RX-7シルエット・フォーミュラ2台でIMSAクラスに出場した。このクルマに搭載された13Bエンジンは広島本社が耐久レース仕様に仕立てたキャブレーター仕様付きで290bhp/8500rpmが供給された。今回は無事予選を通過した。しかし、スタートから2時間目のユーノーディアでデファレンシャルを破損してストップ。もう1台も午前1時頃、トランスミションの不調で戦列を去った。
やはり、ル・マンの道は険しいのであるが、予選通過の第1歩は確実に登った。