鉄人 須藤 將のホームページ

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「水素ロータリーがル・マンを制覇する日」その6

2009-07-26 02:31:25 | 車・バイク
1996年の11月に数十人いたロータリーエンジン設計グループの人員を5人に減らすという情報が5月に入った。
田島は、せっかく始めたサイド排気の灯を消してはいけないと決心した。
そこで、11月までに試作ロータリーエンジンと車を、設計グループが持っている最新の技術を注ぎ込んだ図面を描いて、試作部門に回すことにした。上を通さないゲリラ作戦である。
時間は6か月しかない。
ロータリーエンジン設計グループの総力を挙げて当たることになった。
土曜も日曜も無かった。徹夜も続いた。人事管理面からこうしたことは法度であったが、グループ皆ノーペイで頑張った。見回りに来た守衛に追い出されることも日常茶飯事であった。守衛がいなくなるのを待って部屋に戻り、パソコンだけの明かりで作業を続けた。
エンジンの設計はお手の物であるが、車両の設計は苦手であった。本来なら車両設計グループに依頼するのであるが、ゲリラ作戦なのでそれもできない。
杉浦が、駆動系を担当した。
FDの駆動系を参考に、トランスミッションの図面をCADで書いた。回転数がアップした分ギア比を変更し、表向きの寸法は確認を取りながら書き進んだのだが、公差の指定が分からない。そこで、参考にした図面と同じ値にして出図した。このことが後で問題を引き起こすことになるのだが。
10月末に、無事図面を全て出図することができた。設計管理の野間マネージャーも事情を理解し、他の量産試作の中にうまく紛れ込ましてくれた。

杉浦は、どうしてもロータリーエンジン設計グループに残りたかった。田島は、フォード関連のレシプロエンジンの開発に移る方が将来のためになると諭したが、杉浦は、ロータリーエンジンがやれないのなら会社を辞めると、その決心を話した。
杉浦は、田島を含む5人の中に残った。

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