鉄人 須藤 將のホームページ

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世界戦略車種アクセラその3

2009-07-25 01:58:04 | 車・バイク
それが結実したのが80年6月登場の5代目、通称「FFファミリア」だ。まず3/5ドアのハッチバックを発売し、同年9月に4ドアのサルーンを追加した。この「FFファミリア」は、発売と同時に注文が殺到し、品薄状態が続いた。特に3ドア「1500XG」の後席には、背もたれ部と側面内張りが丸みを帯びて連続する「ラウンジソファシート」を採用し、人気トップのモデルになった。

若者の人気に支えられて、トヨタ「カローラ」、日産「サニー」を抜いてベストセラーカーの位置を獲得。国内で単一車種100万台達成の最短記録を達成し、さらに第一回目の日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞する。このFFファミリアの大ヒットでマツダは、経営危機から完全に回復した。

だが、ファミリアの人気はここから下り坂になっていく。6代目ファミリアは、キープコンセプトで85年1月に発売。デザインの斬新さがないため、5代目FFファミリアのような勢いはなかった。

89年2月登場の7代目ファミリアでは、大幅にコンセプトの変更を行なったが、バブル景気に浮く世の中は“ハイソカーブーム”で、販売は思わしくなかった。また、マツダの多チャンネル販売政策で「ユーノス100」や「フォード・レーザー」など多数の姉妹車が投入され、イメージが分散したことも悪影響を与えた。

94年6月に8代目ファミリアが発売されたが、すでに3ドアハッチバック市場は下火で、ステーションワゴンやミニバンが販売の中心になっていた。そして98年6月、ファミリアとして最後のフルモデルチェンジが行われ、9代目ファミリアが発売。03年10月にアクセラとバトンタッチして、約40年に及ぶ長い歴史に幕を降ろした。

このころ、バブル時代の過剰投資や多品種・多販売チャンネル化の失敗などによって、マツダは再び経営危機に陥っている。そして、以前から資本関係があった米フォードとの協力関係を深めていった。それが、国際戦略車としてアクセラが誕生した土壌になっている。

つづく

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