鉄人 須藤 將のホームページ

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「水素ロータリーがル・マンを制覇する日」その7

2009-07-27 06:23:38 | 車・バイク
試作エンジンが完成し、そのエンジンを載せた車で田島を含む5人のメンバーは、280馬力のRX-7用ロータリーエンジンの開発をメインにサイド排気の開発をホソボソとやっていた。
1996年末、フォードから開発部門担当のリーチという常務が来た。彼は、S3のプロドライバーだったということで車に乗ってもらった。彼には車の素性を理解してもらえて、技術開発は進めてもいいという了承がもらえたが、会社の状態がおもわしくなく具体的なGOにはなかなかならなかった。
メンバーは悶々と時が過ぎていくのに耐えた。1年以上放置されていると「どうなるんだろう」と悩んだ。
そうしたとき、フォードの副社長バリージョーンズに乗ってもらう機会を掴んだ。
三次のS路(操縦安定性試験路)で試乗中に、クラッチを繋ぐリンクが短くて途中でストップした。で、バリージョーンズはカンカンになって怒って帰ってしまった。1997年4月27日の出来事であった。

次の日に、パワトレーン担当の吉村常務から田島に電話がかかってきて「バカヤロウ!」、「何やってんだー、すぐ来い!」と呼ばれて。「コレコレこうでした」と説明したら「わかった」で、リカバリープランをつくれということになった。
田島は、杉浦を叱らなかった。杉浦は、英文のリカバリープランを1日で書き上げた。今からもっと性能をよくするとか、軽くするとかどうのこうのと並べた後に、もう一回試乗してくださいと書いたものを田島に持っていった。滝口専務がゴールデウィークにデトロイトへ説得に行ってくれたが、音沙汰なかった。

1998年の終わりに、280馬力のRX-7が完成し、それを乗りにまたまたバリージョーンズが来広した。彼は、その280馬力のRX-7に試乗して「これは世界最高のスポーツカーだ」と褒め、同時に進化したサイド排気のスポーツカーにも乗って「おお、おお、進化している」といってくれた。絶対パワーはぜんぜん違うが、走ったらサイド排気のスポーツカーの方が早いくらい、パワーは低くとも、「ほらほら」ということで、やっと面目が立った。その後、1999年の1月にサイド排気のロータリーエンジンの量産開発がGOになった。

他部門に回されていた実験の赤木リーダーも、もとのロータリーエンジン実験に戻ってきた。、設計グループで20名、実験グループ15名に人員が強化された。


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