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(07/06/01)

フラガール

2006年09月23日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
9月23日公開のフラガールを見てきました。
生まれながらにして失敗する心配もなく育ってきた人が、
自著に内容を1ページも書けないような「再チャレンジ」という言葉を
掲げて総理大臣になろうとする今日この頃に、こんな再チャレンジを
描いた映画に出会えるから世の中ってのは不思議なものです。

炭鉱閉山を見越して、温泉余熱を利用したレジャー施設への業態変換を
めぐる悲喜劇を描いた映画です。
見たこともないどころか、肌の露出に抵抗感があった時代に、炭鉱町の
田舎娘が常磐ハワイアンセンターの売り物のフラダンスに挑む、挑戦モノ映画としては
ありがちではありますが、定番劇を取りまく背景には普遍的な示唆が感じられます。
そこがこの映画がただの爽やか青春感動映画コミカル風味に終わらないところです。

IT産業の隆盛やグローバル化の流れの中で日本の産業が歴史的な転換期を
迎えているような風潮がありますが、戦後でも農業政策やエネルギー政策の
変遷による産業のパラダイム転換の波は何度も訪れています。
そしてその変化に乗れたものがいて、乗れなかったものがいます。
本作の中でも炭鉱にこだわり、解雇されてゆく男たちの姿が描かれます。
石炭が黒いダイヤと呼ばれ、エネルギー増産の国策の中で国を支えているという
誇りを持ち、そして国策の転換で捨てられたときに初めて気付きます、誇りを持つ
自分という人間が求められていたのではなく、単なる安い労働力が必要とされていたのだと。
仕事というものを単なる労働力と賃金の交換だととらえるならば、他の労働との
代替も可能でしょう。再チャレンジもたやすいはずです。
しかし仕事に誇りを持ち、その仕事での生活が生まれつき染み付いていれば、そうではありません。
努力が報われる社会を、とは簡単に言えますが、では定めのように一途に石炭堀りに
かけた命や情熱や努力も報われるんでしょうね?

本作の中で変化に乗れないものの叫びが一言のセリフに集約されています。
「なぜ社会が変わったからといって自分が変わらなければならないのか」
変われず解雇され、次の炭鉱を求めて旅立っていっても、その炭鉱に
明るい未来がないことは明らかです。それがわかっていても炭鉱に向かう男たちの姿は
いうならば、変化する社会や労働者を使い捨てる産業に対するシルミド部隊だとも言えるでしょう。

そういった環境の中で、はじめは無力だった女性たちが手ごたえと自信とを伴って
クローズアップされていきます。
なぜ必死に生きるもの同士で対立をしなければならないのか、なぜ求められるものと
消え行くものが生じるのか、自問自答が絶えることなく続きました。

映画の世界では再チャレンジというものの本質を描いた作品が出ました。
政治の世界ではどんな作品ができるのでしょうか?
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