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(07/06/01)

ホリデイ

2007年03月25日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。3月24日公開の「ホリデイ」を観て来ました。
ホリデイってクリスマス休暇でした。公開時期を考えて欲しかったところです。
個人的にはキャメロンがかわいければOKだと思ってましたが、そこ正直微妙でした。
なんか目の周りにクマがあるし、厚化粧っぽいし。でもサービスシーンが多くて萌えまくりでした。というかキスばっかりしてるし。
ロサンゼルスとイギリスの三十路半ばの恋がうまくかない女性がホームエクスチェンジで環境をまるごと入れ替えて、新たな出会いが生まれる、という内容。ひたすら上手さが目立つ作品でした。対照的な2人の女性の対比がなにより上手かったです。
前半はLAパートは付けたしで、キャメロンの引きたて役なのかと思いました。
でも人と人との触れ合いの中からいろんなものを与えられて、それが血となり肉となり、内の深いところから湧き上がってくる強さといった、人が変わっていく説得力はケイト・ウィンスレットのパートの方が優れていましたし感動的でもありました。
キャメロンは変わってないもんね。そこがいいんですけど。
女目線で描かれている映画ですが、男目線で見ても決して女やストーリーに都合のいい女性向け映画にありがちな機械や空気のような男ではなく、生身の男の気持ちもかなり描き込まれていて、その点も好感が持て、深みにもつながってると思います。
ストーリーに表面上の意外性や刺激はありませんが、丁寧に温かく作られています。良作という評価がふさわしいのではないでしょうか。
キャメロンは奔放でありながら純情だし、ケイトはおしとやかでいて笑うと素敵。ジュード・ロウは誠実ながらもキザ、そしてジャック・ブラックはやっぱり歌ったし、スターが自然体でいるような、リラックスできる作品でした。

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ハッピーフィート

2007年03月10日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月10日先行公開されたアカデミー賞長編アニメ賞の「ハッピーフィート」を見てきました。
タップミュージカルとは思わなかった!
ミュージカルが2年連続受賞している「輝け!丁稚が選ぶ映画大賞」の最有力候補に
踊り出た時期もありました。
アニメで最初から作り物、と分かっている点や、歌で表現することはあっても歌で話すことがないためミュージカルとしての敷居は相当低い部類に入るでしょう。
また映像が、直前の予告編で流れたコナンのような塗り絵ではなく、実物をそのままトレースしたような出来ばえ。絵だけではなく行動もリアルに徹していて、ドキュメンタリーで見かけるペンギンや南極の生き物そのものの動きです。
それでいてペンギンの社会は人間の社会さながらに迷信に基づく保守思想あり、マイノリティへの迫害あり、社会への同化の強制あり、強がる男あり、なんだかよくわかんない女あり、ストーリーが進むに連れ環境問題が浮彫りになってきて、さまざまな問題提起の側面をもっていて、見応えを感じ…る部分はあったのですが。
前半の名作の予感が急に失速した原因は、問題提起のしっ放しにあると思います。あるいはなんのために問題提起をしたかといえば、生活の中で蓋をしがちな部分にちくりと針刺す刺激を与えるだめだけなんじゃないかとさえ思えます。
そう思うとさまざま映像も驚きやスリルを与えるために強調する部分があざとくすら思えてきます。
挙句の果てに「魚が減っているのは魚を大量に取る人がいるからです。だからやめましょう」でハッピーハッピー。実にアメリカ的な短絡ですな。なんだこりゃ。
この映像クオリティで一つのテーマをもっと掘り下げていけば、求める人には生涯心に残る作品ともなりえたでしょうが、あちこちの問題意識を刺激しまくって一時的な評判とゼニを効率よく得ようとする姿勢は、効率よく目先の利益だけを求めて根こそぎ魚を獲りまくり乱獲を正当化しようとする悪役の姿勢と大差ないように思えます。
結局前半をあれだけ大人を取りこめるように作り込んでおいて、後半は完全に子供向け。それも子供にトラウマを与えます。わて、悲しくてもう動物園でペンギンを見れません。って、わて、子供か?

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ナイトミュージアム

2007年03月08日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
3月17日公開の「ナイトミュージアム」の試写会に行って来ました。
ダヴィンチコードのような壮大な謎を盛り込んで作りこんだアドベンチャー物ではなくて、子供から年寄りまで幅広い層に受けそうなコメディです。吹替で見たこともあってテレビ映画っぽい感じでした。
主に子供に向けての「歴史を勉強しましょう」「戦いは愚かです」というメッセージ映画と言ってもいいでしょう。博物館のスクリーンで試写会を開いたり、アメリカではこの映画のヒットで博物館の入場者が増えたとか。
全体を包む温かさは登場する人や動物のかわいさがベースになっています。
猿や子供はもちろん、ミニチュア人間もかわいいし、ゴロゴロなつく恐竜も、カタコトのモアイ像も元警備員の3人組も、下手すれば股裂き大王だって「ちょこっと」と言えば
かわいく感じてしまいます。
そして細かい笑いが散りばめられています。雰囲気は子供向けですが、子供では面白さに気付かない部分が多いかもしれません。ある意味、大きなお友達向けなのかも。
映像自体はちょっとチャチいのですが、かえって内容のいい意味での馬鹿馬鹿しさ加減とマッチしていた感じです。
ルーズベルト大統領役は「グッドモーニング、ベトナム」の熱演が記憶に残る
ロビン・ウィリアムズ。ルーズベルトであって、単なるロウ人形であるという
矛盾した自我との葛藤を好演。

前半はダレる部分がありましたが、後半は一気に時間が過ぎました。
声をあげて客が笑う映画ってやっぱりいいですね。周りの客と笑いを共有する醍醐味は
映画館ならでは。
出来るだけ客が多い時間に映画館でどうぞ。

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ドリーム・ガールズ

2007年02月18日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
2月17日公開の「ドリーム・ガールズ」を観に行きました。
ミュージカル映画はクセがあるのであえて1人で行ったのですが、最愛の人を誘えば良かった~。
愛と再生、その強いメッセージ性と圧倒的な迫力のソウルフルミュージックが、
時に手を握り合い、時に肩や頭を寄せ合うような、そんなことが自然に出来そうな雰囲気を作っていました。
オペラ座の怪人、レントと丁稚が選ぶ映画大賞を2年連続ミュージカル映画が受賞して
迎えた今年の大本命。
ミュージカル好きなのでもっとミュージカルっぽいものを期待していたのですが、音楽をテーマにした映画に挿入歌の印象を強くした程度でした。
音楽の迫力は言うまでもありませんが、構成もよく出来ています。
黒人であるがゆえの音楽なのに、そこから遊離していく過程とそのために引き起こされる
いらだちやトラブル。彼らが黒人であることを忘れかけたころに当時の黒人の置かれた状況が自然に挟まれています。
結局日本人が米飯と味噌汁から離れられないのと同様に、彼ら黒人にも離れられない
なにかがあるということなのでしょう。
南海キャンディーズのしずちゃん似のエフィーがわがままに見える部分は、心のストレートな部分を
ソウルとして昇華させる理由があるかないかの差に過ぎないのではないでしょうか。
友達だったり男だったり子供だったり、そういった心を支える理由があれば素晴らしい芸術が
生まれるし、迷走し始めれば暴走もします。
ジェニファー・ハドソンがアカデミーの助演女優賞にノミネートされていますが、
ちょっと違うんじゃないかという気がします。これはAND I AM TELLING YOU I'M NOT GOINGでの
ダダっ子のように腕をグルグル回すだけの姿と、LISTENでのビヨンセの全身から
メッセージを伝えようとする姿を比較すると一目瞭然です。それ以前に「助演なの?」という
大きな疑問が湧いてきますが。存在感ではダイアナ・ロスの雰囲気に徹したビヨンセを完全に食っちゃいました。
ビヨンセは持ち前の華やか差を封印して職人に徹したという感じで、分かる人には分かる良さがありましたし、エディー・マーフィーはコミカルキャラのパフォーマーの光と影を水を得たように演じていて印象的でした。というか、贅沢ですよね、この使い方。
コメント (2)
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墨攻

2007年01月27日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
2月3日公開の「墨攻」の試写会に行って来ました。
戦争の痛みが時を越えて伝わってくる作品です。
原作コミックを読んでいたのですが、内容は全11巻のうち4巻まで。
量としてはこれが限度でしょう。なんとか上手く納めたという感じです。
女騎士が登場したりもしますが原作後半に出てくる「娘」と通じる点も多く不自然ではありません。
若手の顔が似てて見分けがつきにくいのと、動揺分子とスパイとの区別がつきににくく混同しがちなところが難点ですが、
戦いの迫力と残虐性の描写という点では
やはり絵よりも実写、文字よりも重低音といったところでしょうか。
腹に響く音が印象的で、DVDではこの迫力に欠ける事は間違いありません。
原作も良ければ役者もアンディ・ラウ、アン・ソンギと、ケン・ワタナベ以上に
世界に誇れるアジアの名優が共演・好演しています。
中国・日本・香港・韓国の合作であることがいい方向に出ています。
時は春秋戦国時代の中国、群雄が割拠して秦の始皇帝が統一する直前。
趙国に侵攻されそうになった燕国の梁城から、墨家に援軍の求めがあります。
現われた墨者はたった一人。一人で4000人を指揮し、10万の軍隊と対峙します。
墨家は特長のある思想を持っていますが映画ではあまり表には出てきませんが
「兼愛」「非攻」「非楽」「尚賢」といった部分のさわりは十分魅力的に描かれており、
最近までの日本と親和性が高い部分が多いですし、これからの日本を考える上での
一つのサジェストのになれば、と思います。
コミックではこの後、革離は墨家に戻り、そこを追われて趙国で秦国を迎え撃ちます。
この映画では「この後、趙は秦に滅ぼされる」という内容のテロップで
締めくくられますが、だからこそこの一文に思うところが多いのです。


今年見た3作品中1位

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あなたを忘れない

2007年01月26日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
1月27日公開の「あなたを忘れない」の試写会に行ってきました。
NANA以上に中身のないバンド映画と化していて、すぐに忘れそうな作品でした。
事実に基づいたフィクション、ですか。要するにフィクションで、おいしい事実だけつまみ食い、と。
2001年に新大久保駅ホームに転落した酔っ払いを助けようとして轢死した
韓国人青年を題材にしています。
迫り来る電車がありながら線路に下りる行為は誰にでも出来るものではありませんが、
その場にいればそうしてしまう人間は決して一人ではありません。現にこの事故でも
もう一人同じように轢死しています。
言うならば事故の直前までの彼はどこにでもいる平凡な人間です。その半生をそのまま
映画にして多くの人の心を動かすような存在ではありません。平凡な人間の平凡な日常。
そんな映画として成立しえない映画に何を描くか、それはまさに作り手の本性が
現われると言ったら言い過ぎでしょうか?
平凡な人間だからこそ現われる人間の普遍性のようなものがあったのではないでしょうか?
ところがこの映画では、事実に基づいてはいてもフィクションだから足りない部分は
嘘っぱちで安っぽいありきたりのフィクションで水増ししてしまえ、と言わんばかりの
頭を抱えてしまいそうなエピソードのオンパレードになってしまいました。
もちろんどこまでが事実なのかは部外者のわてには分かりません。しかし全ての
エピソードが「パチンコで勝ってぬいぐるみに換えて子供にプレゼント」とか
「タクシーに撥ねられてフロントガラスを割るような大事故なのに通行人全員
見て見ぬフリ」とか「見知らぬグループのサッカーに突然さわやかに乱入」とか、
ワンパターンな嫌韓の原因とか、そんな噴飯ものと同じ並べられ方をされた日にゃ、
どんな美談も風化した砂上の楼閣です。
上映中あちこちで鼻をすすり上げるような音、涙を拭くような動きが見られたのですが、
これは自己犠牲の事実に涙をしていたのであって、映画に感動したわけじゃないと思いますよ。

今年見た4作品中4位

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輝け!丁稚映画大賞

2007年01月08日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
いきなり始めます。対象は世間の公開日時に関わらずわてが2006年にスクリーンで見た作品です。

1 レント
2 白バラの祈り    
3 死者の書
4 それでもボクはやってない
5 ゆれる
6 Vフォー・ヴェンデッタ
7 歓びを歌にのせて
8 夜のピクニック
9 ルート225
10 クラッシュ

いやぁ、大賞はレントでしたか。驚きましたね。審査員のミュージカル好きの趣味がもろに反映されました。
2位は100人が見たら99人の息が詰まり98人が号泣するであろう白バラの祈り。主演女優賞を受賞したユリア・イェンチの開き直った強さは必見です。
4位の「それでもボクはやってない」は間もなく公開。これは2007年を代表する1本になります。

主演男優賞 ヒューゴ・ウィービング(Vフォー・ヴェンデッタ)
        次点 チェ・ミンシク(春が来れば)
主演女優賞 ユリア・イェンチ(白バラの祈り)
        次点 多部未華子(夜のピクニック、ルート225)
助演男優賞 香川照之(ゆれる)
        次点 松山ケンイチ(デスノート)
助演女優賞 ペ・ドゥナ(グエムル)
        次点 貫地谷しほり(夜のピクニック)        

11 トンマッコルへようこそ
12 ツヒノスミカ
13 LIMIT OF LOVE 海猿
14 カポーティ(未レビュー)
15 ヨコハマメリー
16 ホテル・ルワンダ(未レビュー)
17 スネーク・フライト
18 太陽
19 エミリー・ローズ
20 春が来れば
21 嫌われ松子の一生
22 フラガール
23 愛より強い旅
24 佐賀のがばいばあちゃん
25 THE 有頂天ホテル
26 007/カジノ・ロワイヤル
27 トリック劇場版2(未レビュー)
28 かもめ食堂(未レビュー)
29 力道山
30 グエムル 漢江の怪物
31 硫黄島からの手紙
32 敬愛なるベートーヴェン
33 サイレントヒル
34 花よりもなほ
35 デスノート前編
36 トゥモロー・ワールド
37 大奥
38 グッドナイト アンド グッドラック(未レビュー)
39 戦場のアリア
40 ワールド・トレード・センター
41 ブロークン・フラワーズ
42 UDON
43 ナチョ・リブレ
44 エラゴン/遺志を継ぐ者
45 ユナイテッド93
46 父親たちの星条旗
47 輪廻(未レビュー)
48 ゲド戦記
49 ジム
50 バルトの楽園
51 アサルト13
52 プロデューサーズ
53 ナイロビの蜂
54 子ぎつねヘレン
55 武士の一分
56 天使の卵
57 スタンドアップ (未レビュー)
58 シャーロットのおくりもの
59 上海の伯爵夫人(未レビュー)
60 ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女
61 オーメン ’06
62 ブレイブストーリー
63 ビューティフルボーイ
64 ブロークバック・マウンテン
65 パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト
66 連理の枝
67 SPIRIT
68 ダ・ヴィンチ・コード
69 イーオン・フラックス
70 M:I:3
71 夢駆ける馬ドリーマー
72 ミュンヘン(未レビュー)
73 着信アリfinal
74 天使(未レビュー)
75 単騎、千里を走る。(未レビュー)
76 タイフーン/TYPHOON
77 ファイヤーウォール
78 ニュー・ワールド
79 ジャーヘッド
80 GOAL!
81 サウンド・オブ・サンダー
82 フライトプラン
83 ブラックダリア(未レビュー)
コメント (3)
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それでもボクはやってない

2006年12月26日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
「それでもボクはやってない」の周防監督舞台挨拶付きの試写会の話は公開直前に書こうと思っていたのですが、名張毒ぶどう酒事件の再審決定取り消し決定にどうにも腹に据えかねることがあって今日書くことにしました。
この映画を見た第一印象として感じたのが「伊丹十三映画が復活した!」ということでした。
先に書いておくと、笑いは結構あります。もたいまさこのキャラによる部分も大きいのですが、差入れにタオルとかベルトとか、自殺防止のためご禁制の細長いものをいっぱい持ってくる場面とか。
ただ、全般としては社会ものです。
題材は痴漢冤罪。正直なところ、漫画の「ミナミの帝王」に似たような話が話があったので思い出しもしましたが、この映画は細部のリアリティへのこだわりに重きを置いています。「ミナミの帝王」ではトーンと大声と擬音の迫力で展開する法廷場面、こちらは実にビジネスライクに淡々と描かれています。
痴漢冤罪と言っても、イコール悪徳女のでっち上げ、というわけではなく、人間の記憶がいかに作り上げられたものであるか、という点にまで言及があり、それ以外の細かいフォローも含めて恐ろしいほどにパーフェクトな仕上がりになっています。
司法の問題点は無数にありますが、それをこれだけ細やかに描きながら、それでいて
シナリオにまったく無理を感じられません。確かにこれだけ司法の問題の集まる裁判があるか、といわれれば現実には確率的にありえないとは思いますが、しかし映画の中のリアリティを損なうほどのものではありません。
冒頭からムカツク場面のオンパレード。舞台挨拶後の質疑応答で機会があって周防監督への質問の順番が回ってきたら
「実に不愉快な映画でした。でもこれだけ感情が動かされる映画は少ないと思います」
って切り出そうと思っていました。
ムカツキのオンパレードを救ってくれるのがもたいまさこのおとぼけ、そしていっぱいの味方です。満席の傍聴席は裁判官へのプレッシャーではなく、被告人席の後ろからの温かいバックアップ。どんなに心強いことでしょうか。
久々に鈴木蘭々をスクリーンで見ました。あのキリッとした澄み渡った目は、まさにこの映画を見るわてらが持つべき目だと思います。
周防監督への質疑応答は司会のテレビ靜岡の女子アナが下を向いたまま・周防監督が暴走したままで、30分の時間があったにも関わらず4人しか質問できず、わての順番は回ってきませんでした。
順番が回ってきていたら是非聞きたかったことがあります。
「最高裁判事の国民審査に触れなかったのはなぜですか?ダンスブームを作った周防監督だもの、国民審査ブームを作ることだって十分可能なはず。仮に罷免出来なくても、国民審査が機能しさえすれば昨今の「司法改革」よりも大きな前進が見れるはずでは?」
司法はどうせ誰もみてないから、って好き勝手なことをしています。靜岡は袴田事件のお膝元ですけど、誰も見てないでしょ。
見られている、ってだけでずいぶん変わってくると思うのですが。

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大奥

2006年12月22日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
12月23日公開の「大奥」の試写会を観て来ました。
東映の時代劇だし、どうせロクなもんじゃねーだろ、とハードルが下がってたせいかもしれませんが、案外悪くありません。むしろわてが靜岡東映劇場で観た映画の中では「シルミド」と並んで群を抜いていい作品でした。他の東映作品が悪すぎるという話もありますが。
まず衣装がピカピカ光ってるところがおめでたくていいです。
火事がボンボン燃えてお祭りでわーわーやって、最大の和風イベント・正月にふさわしい作品です。絵島と生島が結ばれる、あの花火の情緒はフィルムならではの黒の輝きが印象的でした。
登場人物はちゃんと紹介されて、なおかつ途中にも全体の対立構図が分かるように
配慮がされていて、カツラをかぶったら誰だか分からなくなるわてにも非常に分かりやすくなっています。
主役は仲間由紀恵、ああいう凛とした強さは、おばさまが大好きなチャングムに通じるものがあるのではないでしょうか?喉をふるわせて言葉に出せない思いを伝えるあたりの演技があざといくらいに上手いです。
生島が絵島を思いはじめるあたりがイマイチ描ききれてなかったと思うのは男目線ゆえでしょうか?
男と一緒に風に吹かれたことがありますか?なんて言ってる本人が、実は好きな女と風に吹かれたことがないことに気付いたんじゃないかと思うあの船の場面が、作為的な豪華さ・緊迫感と対照的にあまりにも自然過ぎて心に残りました。気持ち良さそうな風でした。もちろん風はスクリーンでは見えないんですけど。
たった一度通じる、そのためだけに生まれてきて死んでいく、そんな恋が確かにあることを再確認させてくれました。

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エラゴン/遺志を継ぐ者

2006年12月17日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。12月16日公開の「エラゴン/遺志を継ぐ者」を観てきました。
1億ドルに近い制作費やら、原作の世界的ヒットとかから大作を期待していくと肩透かし感がありそうです。普通に映画を観る分にはそれなりの部類だと思いますが。
まず気付くのが、要所要所に見られる、映像がミニチュア丸出しのところがあったりする部分。あるいは合成丸出しの部分。時に影に隠れた階段を上ってドラゴンの背中に乗るなどのハリボテ臭さ全開の部分。
その一方で幼いドラゴンがボテボテ歩いたりするところとか、飛行場面とか、作りこんであるところはメチャクチャ本気で作り込んであるような感じで、そのギャップのせいで、集中力はあるけど飽きっぽい子供が作った工作のような仕上がりになっています。
これは映像に限らずシナリオにも共通して言えることで、メリハリがついているといえば聞こえはいいでしょうが…。
ただお前ら、かわいい竜を書きたかっただけだろ、と小1時間問い詰めたいところでした。甲冑姿の美形の雌竜サフィアの姿は、女戦士萌え属性のわてを直撃しました。あれは反則ですよ。ああ、サフィアに踏まれたい。体重何トンくらいだろ?
ところで竜って生き物、これほど西洋と東洋でギャップのある生き物も少ないと思い
ます。東洋の竜ってラーメンドンブリをぐるっと取り囲むような細長いものですが、西洋の竜ってそうではありませんよね。わてが応援する中日ドラゴンズにもシャオロン・パオロンという胴長短足のマスコットがいまして、これは完全に西洋の竜のイメージです。彼らが動きにくいという理由で派手なアクション専用にドアラという手足の長いキモカワイイコアラのキャラクターも誕生させたくらい、西洋の竜にこだわったデザインなのです。
でもそれ以前のマスコットはムカデみたい感じの明らかな東洋の竜でした。名前はなかったと思います。
ドラゴンズファンの持つ竜のイメージはナゴヤドーム開設と同じに大きく変わりましたが、世間的にはボテっとした西洋の竜と細長い東洋の竜、どっちがメジャーなんでしょうか?アンケートを取ってみたいような気分です。

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硫黄島からの手紙

2006年12月10日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。12月9日公開の「硫黄島からの手紙」を観て来ました。
戦争のリアリティは感じられるのですが、妙な違和感がありました。その原因がどこにあるのかを考えるに、二宮和也の顔が悪いのではないか、と。こんなことを書いたらジャニーズのファンから石を投げられそうですが、二宮の顔がブサイクだということではなくて、むしろ良すぎるあの顔が終始感じ続けた違和感の原因になっている、ということです。
わてが感じたリアリティというのは、その時代の再現性から感じられたものではなく、むしろこの作品が持つ同時代性によるものだろうと思います。はっきりいえばいつの時代の戦争だか、よく分からない、西暦2006年の今年に戦争をしたらこんな感じじゃないだろうか、というリアリティの感じ方です。
おすぎさんならもっと端的に説明してくれます。「も~、あんな時代にあんな場所にあんな顔の日本人がいるわけがないじゃない、バカバカ~」って。
昔の日本人の顔と今の日本人の顔が変質していることに気がつかない、日本人ならみんな同じ顔に見える人が作ったんでしょう。って欧米か?!ってイーストウッド監督は欧米ですけど。
とはいえ二宮の顔だけが悪いのではなくて、裕木奈江の言葉使いとか、留学していたとは言え敵性語を平気で使っちゃうとか、現代日本を感じさせる場面が節々にあって、こういうところには無頓着なんだ、セリフの99.5%は日本語でもあくまで洋画としてアメリカ人相手に作られているんだ、ということを痛感しました。
内容としては硫黄島戦という史実を一つの柱として、人間の多様性を示すエピソードを散りばめてあって、それらが枝葉となったバランスのいい大木のような安定した感じです。
一方で、死体に紛れて隠れている中村獅童を映し出す場面、隣の死体のひん剥かれた目が強烈になにかを訴えかけてきました。作り物と分かってはいても、やはり目っていうものは…。
構成の上手さと、視覚的にも心理的にもともにグロい演出、イーストウッド監督らしさが存分に出ています。「アメリカの批評家」が高評価をするのがよく分かります。
ということで、あえてイデオロギー的な部分を全て削って書いてみました。
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太陽/カポーティ 1

2006年12月09日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。2006年の単館映画を代表する「太陽」「カポーティ」を続けて観て来ました。意図したわけではありませんが、たまたまシネギャラリーで10分の時間差で観れたので。
続けて観たために両作品に通じる「お近づきになりにくい人」の孤独と取り巻く愛が印象的に浮かび上がってきました。
「太陽」は昭和天皇が敗戦から人間宣言に至るまでの「人間」像。昭和天皇を役者が演じることがタブーになっている日本(とはいえ反体制映画監督・渡辺文樹の「腹腹時計」ではエキストラの単なるそこらのおじいさんが普通に演じていましたが)では作りえない作品がロシアで生まれました。
そのために「これってどこの国?」って背景映像のもとにしていますし、「どこまで事実なんだ?」と思わせる部分もあるのですが、皇室の出来事なんか所詮シモジモのわてらが真実を知りえるわけもありませんから、その点でロシア人に突っ込みを入れるつもりはありません。
ただ一つ言えるのは、一見の価値ありの神演技をしたイッセー尾形演じる昭和天皇が、まさしく昭和世代のわてらが同時代に経験している昭和天皇そのものだということ。そして資料映像で見たことがある若かりし日の昭和天皇とは割と違っていること、でしょうか。わてですら気づくこと、わてより昭和天皇に近いイッセー尾形が知らないわけがありません。つまりこの映画では物理的なその時代のリアリティよりも、わてらが見てリアルだと思える姿が重んじられていると言っていいでしょう。
米兵にチャップリンに似てるとチャーリーチャーリー呼ばれて風に流したり、再会出来た皇后に泣きついたり、世に不敬罪があればまっさきに打ち首になるであろう描写が多々ありますが、むしろそれらが人間としての昭和天皇を実に良く尊重しているこの作品の姿勢を引き立てる演出のように見えます。天皇になるべく生まれた人間の孤独な戦いを戦い抜いた人間への敬意として。
人間宣言を録音した技師が自決した、という報告に「止めたんだろうね」という昭和天皇の言葉を否定されて、皇后と手を取り合って自由の世界へはばたく姿でエンディングになります。この自決と開戦、実によく似ています。
映像は終始明るさを抑えた、セピア色にも見える独特のもの。サイレンや電波の雑音などの効果音も絶妙に独特の重苦しい雰囲気を支えます。ロシア映画のイメージに違わない、暗くて粘度の高い液体に満たされた海に漂うような、妙な感覚にさせてくれる作品でした。

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007/カジノ・ロワイヤル

2006年12月03日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。という書き出しも元ネタは定吉七番シリーズという007のパロディ小説だったりするのですが、とにかく12月2日公開の「007/カジノ・ロワイヤル」を観て来ました。
冷戦終結以降、敵を見失って迷走していた007シリーズも国際テロ集団という格好の敵と出会ってイキイキとし始めました。いいことだか悪いことだか。
新ボンドを迎えての第1作は予告編を見た感じではリメイクやビギニングものの印象でしたが、実際は新シリーズの第1作にふさわしい、このシリーズのこれからを期待させるに十分なものでした。もちろん今までを引き継いだ部分は少なからずありますが、今まで007に馴染みがなかった人にこそ、このまったく新しいシリーズの第1作を観て欲しいと思います。
高所恐怖症の気があるとオープニングいきなりクラクラするような、ど派手なアクションから始まります。セリフはほとんどなく、問答無用、見ただけで誰もが分かる、これぞアクション映画の真髄、いきなりクライマックスというほどのものです。
そこからど派手なアクションと小粋で静かな純愛ドラマとのバランスが絶妙で、静が動を、動が静を引き立てて進んでいくのですが、冒頭ほどの盛り上がりのないままストーリーがまとまり始めてしまいます。
倒すべき敵との決着がなんと静かなポーカー対決とは!えええ?スパイ映画じゃないの?!

ってところから話がダイナミックに転がっていきます。普通の映画なら終わってる時間から動き始める感じで、終われば2時間半と長いんですわ。誰が、どんな理由で、誰とつながり、誰を裏切っているのか?それは見てのお楽しみと言いたいところですが、なにせ後半の展開が早い上に見せ場が多くて考えてる暇がない!
もうちょっと時間の割り振りを考えて作って欲しかったような気もしますが、概ね満足できる出来でした。
結局マティスが敵か味方か分からないように終わってしまったあたりは次回作への伏線なんでしょう。楽しみにしておきます。
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武士の一分

2006年12月02日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。12月1日公開の「武士の一分」を観て来ました。
まず尺がちょうどいい感じでした。短編小説で2時間の映画って下手すりゃ間延びしてしまいそうですが、必要な間は取りつつ締めるところは締めてあって、収まりが良かったです。
目が見えなくなる前と後とで、かすかに聞こえる鐘の音が大きかったり小さかったり、茶屋から帰ってきた奥さんの充実したおケツを追うようなカメラワークとか、演出の芸のきめ細やかさがところどころにあって、まだまだわての気がつかないところでいろんな仕事がしてあるんだろうな、という感じでした。
クライマックスの果し合いの荒涼感などでリアリティを感じさせる一方で、季節の演出なんかで作り物っぽさが見え隠れしたりといったアンバランスさが残念でした。
話題のキムタクは、言われなかったらキムタクと気付かなかったかも。もちろん誰に似てる?と言われれば、キムタクに似てる、と答えるでしょうが、彼の持つ人並み以上の現代的な雰囲気が消えて人並みの時代劇役者になっていました。
以上、文章というよりはほぼ箇条書きになってしまいました。全体として上手く作ってあるとは思うのですが、身を乗り出してのめりこむような部分に乏しくて、ついつい観察に終始するような形になってしまいました。

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シャーロットのおくりもの

2006年12月01日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
12月23日公開の「シャーロットのおくりもの」の試写会に行ってきました。
観たのは字幕版で、公開されるのは吹替版がほとんどのようなので印象はちょっと違うでしょうが。
まず女クモのシャーロットの声をあてたジュリア・ロバーツが素晴らしすぎ。正直なところ、最近のジュリア・ロバーツの顔を観ると、その窪んだ眼球をほじくり返したくなる衝動に襲われるのですが、声優としてならまた聞きたいというか、シャーロットのイメージそのものというか、まさに全米が納得のハマり役というか。デジタルっぽい感じに変調していたようですが、それを差っ引いても理性的で冷静なクモ役にジュリア・ロバーツがハマり過ぎていました。
さらにダコタ・ファニングがかわいすぎ。今までは純粋な子役で来たわけですが、この作品では仲良くなる男の子が登場。動物の声が聞こえるのは要するに子供だってこと、って医者の診察シーンがあるのですが、これはダコタのためにある場面のような気がします。わての世代の日本では、間下このみとか安達祐美とか宮沢りえとかマナカナとか、子役から大人になっていく過程を見せてくれる女優がいましたが、映画の役でその過程を見せてくれた人はいなかったように思います。
ストーリーとか世界観とかブタはどうでもいいような感じでした。
ただ、動物を題材にしたお子ちゃま向けの甘ちゃんドラマではありません。アヒルが抱いていた卵が1個だけ孵化せずに残ります。腹を痛めて産んで、何日も抱えてきた最愛の卵。これをあっさりとネズミに渡します。腐った卵だということも、割れたら臭いことも納屋のみんなが知っていますし、割れた後には臭い臭いと大騒ぎ。こういう、命があるべき姿でも命がなければモノとしてあっさり切り捨てる感覚って欧米では珍しくないんでしょうかね?車に轢かれた猫を見て"That was a cat"と言ったという女の子の話を思い出しました。
思い出すといえば、全編を通じて「動物の言葉がわかるドリトル先生は何を食べてるんだろう?」「ジャングル大帝で仲の良い草食獣を食べないように肉食獣がバッタを養殖して食うのはいいのか?」など、幼少期のさまざまな疑問がよみがえってきました。
このブタは特別なブタだから食べちゃいけない、という不自然さにブタ自身が突っ込みをいれます。それに対する答えが「君は意識していないだろうが、君の無意識なうちに取った行動がわたしを幸せにした、だから特別なんだ」ってなんなのですか?
知恵を持ったクモを無意識に救ったブタは救われて、他の無意識のブタはハムやベーコンになると?
いや、確かに社会ってのはそういうものですし、大人になったらいやでも納得せざるを得ないものですが、その事実だけを子供に付きつけてなにが面白いんですかね?子供に一方的にトラウマを与えたり、逆に僕ちゃんは特別なんだと増長させたりするだけのような気がするのですが。少なくとも子供に命というものを考えさせるという目的には不適格です。
この辺をいいバランスで教えてくれていたのがムツコロウさんです。ムツゴロウさんが作ってきた動物を溺愛しつつ突き放す距離感、命を尊重しつつ妥当に扱える重さ。そのすべてが絶妙過ぎます。ムツゴロウさんなき今、ムツゴロウさんに人生の大事なことを全て教わった幸せを実感しています。

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