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(07/06/01)

グエムル 漢江の怪物

2006年09月03日 | 丁稚 定吉の映画日記
わてが丁稚の定吉だす。
9月2日公開の「グエムル 漢江の怪物」を観て来ました。
少なくとも観てスッキリはしませんし、怪獣映画の持つカタルシスを求めるならば、それは筋違いです。これは家族愛を描いた人情劇です。
ポン・ジュノ作品の味なのでしょうが、恐いやらおかしいやら悲しいやら、つかみどころがなく、喜怒哀楽の感情をがっちりと握られた挙句に突き放されたような、後を引くような感覚が残りました。
序盤の怪獣登場場面は映画史に残るものと言っていいでしょう。チャチさ、映像の粗さはありますが、効果音を伴わずにあっさりと登場する怪物のリアリティーと言ったら。現実の世界で、ありえないことが起きる時って、えてしてこういうものでしょ。現実の世界では効果音も音楽もありません。脳が理解力を超えてショートして呆然とする、まさにそんな姿がリアリティーをもって描かれています。
クライマックスに向かって雰囲気はやや暗く、やや古臭い印象があります。このあたりは好き嫌いが分かれるところだと思います。
怪物に娘をさらわれたダメ親父と家族が怪物と権力を敵に回しての娘救出劇。
そういう表向きのストーリーとは別に行間というか暗示している内容には深いものがあるように感じました。韓国のIMF恐慌以後の経済事情を風刺しているのはもちろん、なにかあると賄賂を贈り医者と公権力のいうことは聞く旧世代おじいさんの末路、攻撃したがゆえに救えなかった・・・、などなど。
思想性も社会性もないハリウッド作品とは違う、生命のにおいのする韓国映画特有の人間をベースにしたアクション作でした。

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