Sujak do 〜SujaのDNA〜

興味深く感じたことや読んだ書籍について書いたりしていきます。天然石については、一休み。

恐怖!!術後初のマンモグラフィー検査!!

2021-01-30 13:42:00 | 乳がんについて
こんにちは
sujaです

私は、2019年秋に乳がん手術をした後
1年間の点滴治療を昨年秋に終えました
そして3か月ごとの検診というものを
先日受けに行ってきました

採血、レントゲン、乳腺エコーまでは楽々検査なのですが

問題は
乳がん手術後初のマンモグラフィー検査なのです

そう、乳房を挟みこみ
煎餅のようにペッタンコにして撮影する
あの激痛マンモです
あれは…苦手です
まぁ、「マンモは得意!」という人はいないでしょうが…

手術から1年以上経っているとはいえ
まだまだツッパル感覚や痛みがあるので
まさか手術した乳房は撮影しないだろうと思っていたのですが…

「やります」と技師の人
「まだ痛いんですけど」
「大丈夫。やります」笑顔の技師
「リンパ浮腫になりませんか?」
「なりません。大丈夫」笑顔でセッティングする技師
「えーっ」

おとなしく挟まれれば良かったのですが
挟まれる度「痛ーい」「痛いです」
「あー痛い」と叫ぶ私

「大変なことになるよりは、痛いと叫んで済むなら良いじゃない」
変わらず笑顔の技師

ようやく撮影が終わり
「大変お騒がせして、すみませんでした」と詫びる私に
「大丈夫ですよ。次回はもう少しちゃんと撮りましょうね」と満面の笑み

なんと、これを定期的にするのか
そう思った瞬間、蒼白になる私でした

各検査が済んだ後
主治医に診察していただいた時に
「手術した側をマンモで挟まれて、すごく痛かったです」と感想を述べたところ

「痛いという事は、ちゃんと撮れたということだよ」
こちらも満面の笑み
「ほら、よく撮れてる」とマンモの画像を確かめておられました

よく撮れていたそうなので
次のマンモ検査、もう少しちゃんと撮ろう言った技師の言う事を
素直に聴けるかどうか、自信のない私です

検査の結果は
異常なしということでした
よかったよかった





枯れた芝生と青い芝生 〜菅総理とバイデン大統領〜

2021-01-23 14:01:00 | Sujaが思う事、考える事。
こんにちは
sujaです

今更、菅総理の棒読みの弁にケチをつけるのもなんですが。

国会を聞いていても、言ってる内容が全く入ってこないのは困りものです

あれほど人を惹き付けない話し方ができるのは
ある意味特技といえるかもしれません

同じく人を惹き付けない話し方ができる
二階幹事長

いえ、よくよく聞いてると
死にかけの老人が話しているように聞こえ
話しながら息絶えるんじゃないかと心配になりました

そしてもっとよく聞くと
人をバカにしてるんじゃないかとさえ感じてしまうのです

人を惹き付けない二人が
2トップの肩書きを持ち
この危機的状況の日本を救えると思えるでしょうか?

何であんなに説得力がない話し方をするのか?
やる気あるの?と聞きたくなります
頭の回転が鈍いから、後手後手の政策になるんでしょうか?
それとも老いのせいですか?

こんな老人に今の日本を変えることは到底できないですね

アメリカ大統領に就任したジョー・バイデン大統領の就任演説は
とても力強く心に響くものでした
彼は78歳だというのにエネルギッシュに話し、明日のアメリカに希望の光を魅せてくれるのです

方や72歳の菅総理は
一環した棒読みで覇気もなく
目も虚ろで何を考えているか分からない表情で国民に不安のみ提供してくれるのです

おまけに最近は、国会答弁でよく咳き込んでいるので体調まで案じさせているのです

隣の芝生は青く見えるというけれど

こちらの芝生が枯れているのです





阪神淡路大震災から26年。〜あの頃も今も強く生きていく人の美しさ〜

2021-01-17 13:37:00 | Sujaが思う事、考える事。
こんにちは
sujaです

今から26年前の
1995年1月17日午前5時46分に起きた出来事は、記憶に残り
或いは記録として伝授されています

当時、私は広島に住んでおり
早朝の揺れは広島で震度3を記録していました
朝早くの揺れに目を覚ましたものの
飛び起きた愛猫を布団に引きずり込み
再び寝たのを覚えています

朝食を作るため7時過ぎに起き
テレビをつけて目に飛び込んできたのは
高速道路が横たわっている映像だったように思います

どこの道路かわからないまま見ていると
阪神高速道路だということが分かり
大きな地震が関西で起きたこという事に
ようやく理解できたのでした

私の実家は大阪なので
さっそく母に電話をかけてみると
「すごい揺れたけど、棚から物が落ちたくらいやから、こっちは大丈夫。そのうちお前から電話あるやよろうと思て待ってたんや」
という具合でした

ひとまずは安心したのですが
テレビは次々と想像を絶する映像を流し始めていました

「家に電話しても繋がらんねんけど、そっちは大丈夫?」

大阪の友人が旅先から電話してきて
私の実家に連絡できたかを聞いてきました

電話が繋がらないことがあるなんて・・・と驚いた記憶があります

日が経つと
徐々に状況が把握できるようになり
私は毎日ショックを受けながら広島での生活を送っていました
被災した人とは比べものにはなりませんが、本当に悲しく身体の一部を捥ぎ取られた気持ちでした

救援物資を募っているという情報を得て
さっそく必要と思われる物を買いに走り
段ボールに詰め受付場所まで持って
微力の応援をさせて頂きました

あれから26年経ち、新聞で当時被災し
ご家族が犠牲となりその悲しみを背負いながらがむしゃらに生きてきた人の記事を読んでいると、心が震えてしまいます

阪神淡路大震災以降もたくさんの災害が起こりました

その都度人は
悲しみを背負いながら、何かを諦めながら、それでも光を求めて力強く生きています

その姿は
とても美しい光を放って眩しく映ります

今、コロナの感染で、世界が悲しみや苦しみを背負っていますが
それでも強い想いで生きていきたいですね





強制収容所を体験した心理学者から学ぶ生きる意味〜フランクル『夜と霧』〜

2021-01-09 15:11:00 | 本を読む
こんにちは
sujaです

第二次世界大戦時
オーストリアのウイーンで精神科医だったフランクルは
ユダヤ人というだけでナチスに捕らえられ

1942年~1945年まで過酷な強制収容所生活を送ることになります

1944年10月には悪名高きアウシュビッツに移送されますが
数日の後ドイツのダッハウ収容所へと移送され重労働を課せられます

1945年3月には、デュルクハイム病人収容所へ医師として移り4月に解放されます

『夜と霧』はアウシュビッツでのガス室か労働かの選抜から解放されるまでの約半年の体験を
心理学者としてあるいは一人間として記述されています




過酷な重労働の体験は想像を絶し、平穏な環境でこれを読んでいる私にはまさに別世界のような感覚です

現代では、強制収容所のような劣悪な環境は無いにしろ

何かに抑圧され、強制され、制限され
生きづらいと感じている人も多いです

特に今は、新型コロナウイルス感染者が増え、緊急事態宣言のなか
不安な日々を送る状況です

「生きることに何も期待できない。生きる意味が分からない」
こうした思いが過ぎる人もいるかもしれませんね

この『夜と霧』でフランクルは

自分が何か(あるいは誰か)を期待するのではなく、何か(あるいは誰か)が自分を待っている
と説いています

人間が生きることは、常にどんな状況でも意味がある

現状が苦しい時
気持ちが萎え、時には涙することもある
けれども涙を恥じることは無い
なぜなら、その涙は苦しむ勇気を持っている証しだから

人生が何かを自分に期待している
だから、自分がしたい事ができなくても
今の自分に何が出来るかを考えて行動すること
そんな素晴らしいヒントを頂けました

そして辛い時こそ
希望と勇気とユーモアを持って生きて行きたいですね

2021年新春に思う事

2021-01-02 14:08:00 | Sujaが思う事、考える事。




謹賀新年
こんにちは
sujaです

一都三県は、とうとう緊急事態宣言を政府に要請しましたね

政府は、どう対応するのか興味深いところです

日々感染者が増えていて、緊急事態宣言してもおかしくない状況だというのに
「静かな年末年始を」と
深く食い込む事無く
当たり障りの無いお願いレベルの発言しかしなかった菅総理は
ようやく重い腰を上げるのでしょうか

一度くらい
思い切ったリーダーシップを見せてもらいたいです

そんな日本に住んでいる私は
今年をどう過ごそうか思案の前に

医療現場が逼迫し崩壊しつつある現状について考えます

通常の診療が出来なくなる恐れがあると
新聞に掲載されていました
これは、私のような乳癌治療者を含め、様々な内容で診療に来る人たちにとって不安な事です

どうすれば通常の診療を続けてもらえるか

人々が新型コロナウイルスに感染しない事です

感染しない方法は、耳にタコが出来るほど聞かされていて知っています
その方法をしないから感染するのです
人と会わないくらいの徹底ぶりを目指してもいいくらいです

そして、医療従事者への感謝は
新型コロナウイルスに感染しないように意識し行動することが
何よりもの感謝の顕れです

私はまだまだ隠遁生活を送ります
けれど、私を待っている未来に向けて準備もします