Sujak do 〜SujaのDNA〜

興味深く感じたことや読んだ書籍について書いたりしていきます。天然石については、一休み。

阪神淡路大震災から26年。〜あの頃も今も強く生きていく人の美しさ〜

2021-01-17 13:37:00 | Sujaが思う事、考える事。
こんにちは
sujaです

今から26年前の
1995年1月17日午前5時46分に起きた出来事は、記憶に残り
或いは記録として伝授されています

当時、私は広島に住んでおり
早朝の揺れは広島で震度3を記録していました
朝早くの揺れに目を覚ましたものの
飛び起きた愛猫を布団に引きずり込み
再び寝たのを覚えています

朝食を作るため7時過ぎに起き
テレビをつけて目に飛び込んできたのは
高速道路が横たわっている映像だったように思います

どこの道路かわからないまま見ていると
阪神高速道路だということが分かり
大きな地震が関西で起きたこという事に
ようやく理解できたのでした

私の実家は大阪なので
さっそく母に電話をかけてみると
「すごい揺れたけど、棚から物が落ちたくらいやから、こっちは大丈夫。そのうちお前から電話あるやよろうと思て待ってたんや」
という具合でした

ひとまずは安心したのですが
テレビは次々と想像を絶する映像を流し始めていました

「家に電話しても繋がらんねんけど、そっちは大丈夫?」

大阪の友人が旅先から電話してきて
私の実家に連絡できたかを聞いてきました

電話が繋がらないことがあるなんて・・・と驚いた記憶があります

日が経つと
徐々に状況が把握できるようになり
私は毎日ショックを受けながら広島での生活を送っていました
被災した人とは比べものにはなりませんが、本当に悲しく身体の一部を捥ぎ取られた気持ちでした

救援物資を募っているという情報を得て
さっそく必要と思われる物を買いに走り
段ボールに詰め受付場所まで持って
微力の応援をさせて頂きました

あれから26年経ち、新聞で当時被災し
ご家族が犠牲となりその悲しみを背負いながらがむしゃらに生きてきた人の記事を読んでいると、心が震えてしまいます

阪神淡路大震災以降もたくさんの災害が起こりました

その都度人は
悲しみを背負いながら、何かを諦めながら、それでも光を求めて力強く生きています

その姿は
とても美しい光を放って眩しく映ります

今、コロナの感染で、世界が悲しみや苦しみを背負っていますが
それでも強い想いで生きていきたいですね





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 強制収容所を体験した心理学... | トップ | 枯れた芝生と青い芝生 〜菅総... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。