Sujak do 〜SujaのDNA〜

興味深く感じたことや読んだ書籍について書いたりしていきます。天然石については、一休み。

突然、隣人に殺される恐怖~1994年ルワンダ大殺戮~

2020-11-28 15:58:00 | 本を読む
こんにちは
Sujaです

1994年、中央アフリカにあるルワンダで
大殺戮がありました




イマキュレー・イリバギザ著『生かされて。』
私はこの本で、この大殺戮を知ることが出来たのです



ルワンダでは
フツ族とツチ族とトゥワ族が共存し
度々、フツ族とツチ族との間で紛争しながらも
共に隣人として
穏やかに装いながら暮らしていたのです

しかし
1994年、フツ族であった大統領が暗殺されたことで
これまでにない紛争が起こったのでした

フツ族系の政府とフツ族の過激派組織インテラハムェは
銃や大鉈・ナイフを手に
次々と隣人であるツチ族を殺していったのです

約3ヶ月の間に100万人ものツチ族が虐殺されました
それは、残酷なまでに
人間の仕業とは思えない方法で・・・です

『生かされて。』では
著者は、フツ族である牧師に匿ってもらい
牧師の寝室にあるシャワーのついたトイレで
なんと7人の女性たちと3ヶ月間隠れていたのです
その壮絶な体験を著書では
克明に記されていますが
信仰心の深い人が読めば、非常に感動するものと思います

ルワンダ大殺戮を生き抜いた人たちの思いを
更に知りたいと考えた私は
ジャン・ハッツフェルド著『隣人が殺人者に変わる時』




ジョナサン・トーゴヴニク写真・インタビュー『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を読みました



生き抜いた人たちは皆
肉親を虐殺されています
それは、人から伝えられて知る人
或いは、目の当たりにする人様々ですが
殆どの人たちが、未来への希望を失い途方に暮れているのです
ただ、生きている・・・それだけです

ツチ族の若い女性たちは
インテラハムェのレイプによって産まれた子供を
愛せないまま育てる毎日を送っています
そうして育った子供たちは今
20代後半になる歳になり
どんな思いでいるのか、想像を絶します

日本と同じ地球に存在する国で
36年前に
地獄のような日々が100日も起こっていたという事実に
驚愕します

これほど人を狂わせるものは何なのでしょう?
憎しみや残虐な感情は、誰しもが持っているものだと思います
けれど
それを行動に移させるものはいったい何なのでしょう?
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何故、日航123便は御巣鷹山に墜落してしまったのか?〜35年前の日航機墜落事故は事件だったかもしれない〜

2020-11-21 10:31:00 | 本を読む
こんにちは
sujaです

『日航機墜落事故 真実と真相』の著者
小田周二氏は、日航123便墜落で犠牲になった遺族です



日航機墜落に関する膨大な資料を論文化した著書を
一般の私にも分かりやすくまとめたものが
『524人の命乞い』になります

この著書の中に、非常に興味深いものがあります

あるブログに掲載された、事故当日であろう中曽根氏と自衛隊幹部との電話でのやりとりです

恐らく、相模湾沖で発射した訓練用のオレンジ色のミサイルが
日航123便の垂直尾翼を破壊してしまい、この過失を無かった事にしたいが為に
自衛隊幹部が、123便の撃墜許可を当時の総理大臣である中曽根氏に要請している内容のようです

中曽根氏「私はこんな事の為に総理大臣になったわけではない」
 
 ※要請を諦めない自衛隊幹部
  
※それに対して都市部への墜落を懸念しながらも、墜落許可の条件を口にする中曽根氏

中曽根氏「国民に知られないように出来るなら、許可しよう」

  ※目撃者、生存者が出たらどうなるか尋ねる自衛隊幹部

中曽根氏「なんとかしろ」

  ※それは殺せという意味かと尋ねる自衛隊幹部

中曽根氏「私をこれ以上人殺しにするつもりか。なんとかしろとは、なんとしろという意味だ」

著書には、このブログのアドレスも掲載されていますが
アクセスしてみたら、現在は削除されていました

もし、こうしたやり取りが事実だとすれば
とんでもない事です
一国の首相が、殺人を容認したのですから

更にこの著書には
ある航空自衛隊の基地司令官(当時)が
戦友だった男性に電話で話す内容が記載されています
「えらいことをした。標的機を民間機に当ててしまった。今百里基地から偵察機2機に追尾させているところだ」

これを裏付けるような写真が
青山透子著『天空の星たちへ』に掲載されています



乗客が、機内の窓から見える物体を撮ったものですが
事故から30年後、技術の進歩により
この物体の画像解析の情報が『墜落の新事実』に記載されています
【円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見える。後ろ側の空に熱の波動が見えるので日航123便側に向かって来ているような構図】

相模湾上空で、垂直尾翼を失った123便は
横田基地へ緊急着陸しようとコンタクトし
横田基地の方角へと飛行します

しかし
横田基地に緊急着陸する直前に
何故か
左へ旋回し、遂には御巣鷹山の尾根に墜落してしまいます

『524人の命乞い』では
左旋回する前のボイスレコーダーに記録された
「このままでお願いします」
「このままでお願いします」
と、2度繰り返す機長の言葉に焦点を当てています
これまでコックピット内では
簡潔な命令調の機長が、急に敬語を使っての懇願

これについて、小田周二氏は
123便を追尾する偵察機からの交信による
返答だと推測しています

偵察機からの
「横田基地への着陸を中止し、左旋回せよ」
の命令に対し、機長は
「このままでお願いします」
と懇願するが聞き入れてはもらえず
左旋回する123便

その後機長は
「これはダメかもわからんね」
と諦めの言葉がボイスレコーダーに記録されています

そして、信じ難い事に
123便は、追尾された偵察機から発射されたミサイルによって撃墜され
急降下した後、御巣鷹山の尾根に墜落

仮説とはいえ、非常に信憑性があると
私は思います

『疑惑』の著者、角田四郎氏は
友人の婚約者が123便に乗って犠牲になり
事故から6日後に友人と共に
御巣鷹山の現場に訪れます
下山途中で妙な金属片を拾い、持ち帰りますが
後日、米軍の知り合いに見せると
「ミサイル」
という言葉が返ってきたそうです



このミサイルによる撃墜の仮説は
納得できる証言が多数あり
青山透子著『日航123便 墜落の新事実』によると
群馬県の上野村小学校と中学校で、目撃した
児童たちの文集まで作られているそうです

しかしながら
政府は、これらの事柄を何一つ重要視せずに35年も経っているのです

都合の悪いものは
無かった事にするし、無視し続けるし
聞き入れる事もしない

この姿勢
つい先日まで総理大臣だった
安倍晋三氏に関する
森友、加計、桜を見る会の問題にも
引き継がれているようですね

人ひとりの命が失われようと
520人の命が失われようと
己の立場が崩れなければ良しとするのです

国をまとめるリーダーが
何を優先しているのか
国民をどう思っているのか

私たちは、今一度
よく考える必要があります

日航123便墜落の出来事が
事故ではなく事件だとすれば
これは、人ごとではありません

真実の解明を
私は強く望みます
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何故、炭化した遺体が存在するのか?〜35年前の日航機墜落事故は事件だったかもしれない〜

2020-11-14 14:12:00 | 本を読む
こんにちは
sujaです

日航機墜落事故の報道は
テレビにとどまらず、新聞・雑誌に毎日のように取り沙汰されていました

当時の私は、写真週刊誌『FOCUS』を手に取り、衝撃的な写真を見ました
座席に座ったまま、真っ黒になった焼死体です
飛行機事故での炎上で
人は、炭化するまで燃えてしまうものなのか
とショックを受けたのを鮮明に覚えています

当時、日航のCA(スチュワーデス)だった
青山透子氏の著書『日航123便墜落の新事実』に
飛行機の燃料について説明されています


燃料として使用していたのは
灯油の一種である『ケロシン』というものだそうです

事故の翌朝
救助の為、現場に1番にたどり着いたのは
地元の消防団の方々だったそうです
その人達の証言では
「現場では、ガソリンとタールが混ざったような臭いがした」
とあります
ケロシンがどの様な臭いがするのかは知りませんが
タールが混ざっている様な臭いと言うのは
気になります

そして
司法解剖にあたった方が
「焼死体をもう一度焼損したように見えた」
と証言しています

さらには
エンジンの近くでもない死体がひどく焼けているとあります

これはいったい、どう言う事でしょうか?

青山透子氏のこの著書では
ガソリンとタールの異臭について
元自衛隊関係者、軍事評論家、大学の研究者らに質問している記述があります

Q:ガソリンとタール臭が充満し、長時間燃える物質は何か?その結果、人間の体が炭化するものは何か?
A:ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料。

Q:何故それが人間の体を炭にするのか?
A:化学薬品によってゲル状になったガソリンであるため。これが服や皮膚に噴射されて付着するとその全てが燃え尽き、結果的に炭状になる。

Q:これはどこで手に入るか?
A:一般には無い。軍用の武器である。第二次世界大戦中は米軍で使用。戦後は米軍から自衛隊に供与されていた。現在も陸上自衛隊の普通科に携帯放射器として配備されている

Q:それはどこにあるのか?
A:陸上自衛隊普通科歩兵 、化学防護武器隊で、相馬原普通科部隊にもある可能性が高い


相馬原普通科部隊は群馬県にあります
日航機が墜落した御巣鷹山も群馬県です

携帯放射器とは
所謂、火炎放射器の事でしょう

当時の報道では、墜落現場を特定出来たのは
日航機が行方不明になった翌日の早朝
という事になっています

しかし
日航機が行方不明になった当日の夜
既に自衛隊の飛行機が
サーチライトを使い、何かを上げ下げしているのを
地元の上野村の人たちが目撃しています

そして
現場の特定を政府がミスリードしている節があります

現場には
火炎放射器を使ったような
炭化した焼死体が存在し
ガソリンとタールが混ざったような異臭が漂っています

世間が未だ、日航機墜落の墜落現場を明らかに出来ていない間に
自衛隊がその現場で、人命救助では無い何かを行なっていた?

謎は深まります

…続きはまた次回に。
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何故、垂直尾翼が破損したのか?〜35年前の日航機墜落事故は事件だったかもしれない〜

2020-11-08 11:22:00 | 本を読む
こんにちは
sujaです

当時のテレビ報道では
航空評論家が垂直尾翼の破損での墜落について
模型を使って説明しているのをよく目にしました

その時の説明は全く記憶にないのですが
とても簡単に破損するものなのか…
という印象だけが残っています




今回、私が読んだそれぞれの著書では
運輸省(当時)の事故調査委員会は
原因が掴めるまで、通常何ヶ月もかかるものを
ボイスレコーダーも聞かず
フライトレコーダーも解読しないまま
なんと、事故から4日後に仮説を発表しています
「圧力隔壁が破損し
客室内の空気が爆発的に噴出して
垂直尾翼を内側から吹き飛ばし脱落させた」
とあります

しかし、これには
日航の事故調査担当だった藤田日出男氏は『隠された証言』で反論しています

客室内の空気が爆発的に噴出したなら
機内にいる人は、外に吸い出される
という事らしいです
けれどそんな事は無かったと
生存者の証言もあります

内側からの破損でなければ
外側から破損した
という事になります

そう
何かが、垂直尾翼に当たり、破損したというと納得出来るのです

垂直尾翼が破損した時間、日航機123便は
相模湾上空を飛んでいた事が
ボイスレコーダーとフライトレコーダーから分かります

当時、8月12日
相模湾では、護衛艦『まつゆき』の試運転が
海上自衛隊によって行われていました

角田四郎氏の著書『疑惑』によると
1985年8月12日時点では未納入のままの試運転だったそうです
起工は石川島播磨重工との事



試運転という事は様々な設備においても
試すので
艦対空ミサイルの垂直発射装置の試験も行われていたようです

実際のミサイルを発射するのではなく
オレンジ色に塗装された訓練用ミサイルを使用するのだそうです

まさか
その訓練用のオレンジのミサイルが日航機の垂直尾翼に激突した?

信じられない事だと思いますが
自衛隊の訓練で起きた事故の前例は
過去にもあります

1971年7月30日
岩手県岩手郡雫石町上空で
飛行中だった全日空旅客機と航空自衛隊の戦闘機が衝突し
双方とも墜落という事故です
自衛隊員は自ら脱出出来たそうですが
全日空旅客機は空中分解し
162名全員が死亡したそうです

当時の防衛庁大臣は就任したばかりだったそうで
それまでは、中曽根康弘氏が大臣だったそうです

そして
日航機墜落があった1985年8月12日
中曽根氏は総理大臣でした
その日、夏季休暇中だった中曽根氏は
軽井沢の別荘から都内へと帰る列車の中だったようです
どの時点で墜落の情報を受けたのかは定かではないのですが
総理大臣として速やかに現地に赴くという事は、ありませんでした
何故でしょうか?

そして
私のもう一つの疑問
人が炭化するまで燃えてしまうのか?

…続きは次回へ
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何故、すぐに現場を特定出来なかったのか?〜35年前の日航機墜落事故は事件だったかもしれない!〜

2020-11-01 13:39:00 | 本を読む
こんにちは
sujaです

35年前
御巣鷹山に日航機が墜落した当時

私が疑問に思った内の一つ
日航機の行方を中々掴めなかったこと

これは藤田日出男氏の『隠された証言』を読むと、実に不思議なんです




藤田日出男氏は当時、日航機のパイロット兼事故の調査も担当していた人で
当時、現場に赴いています

しかし
与えられた情報の場所が全く違う所で
結局、現場に訪れるとこが出来たのは
翌早朝だったそうです

これは
防衛庁(当時)のミスリードによって
現場到着を遅らせたようなのです

実は
日航機が墜落した現場は
墜落した直後、防衛庁は既に特定していたようです

墜落した12日の夜9時過ぎ
自衛隊のヘリが、現場上空に到着していた事を
朝日新聞のヘリが確認しています
しかし
その朝日新聞もその事を記事にはしていません

これはいったいどういう事でしょうか?

青山透子氏の「日航123便墜落の新事実』には




その夜、現場山頂では自衛隊のヘリや飛行機が
サーチライトを照らしながら
何かを上げたり下げたりと、何らかの作業をしていたという地元の人からの目撃情報が書かれています

この、何かを上げ下げしている作業は
人命救助では、勿論ありません
救助は翌日昼頃に行われています

当時の報道では
12日当日は、機体を発見出来ず
翌早朝、御巣鷹山で発見したとなっていますが

実際には事故当日の夜には
現場を確認出来て、何か作業をしているのです

この作業とは何なのか?
人命確認より優先された作業とは…?

青山透子氏の著書には
世間に知れてはいけないものを隠蔽するためではないかと推理しています

もしそうであるなら
これは事故ではなく事件といえます

世間に知れてはいけないものを現場から消す為に
防衛庁がミスリードで時間稼ぎをしたとなれば
私が当時過った疑問の答えとしては理解できます

日航機墜落になぜ防衛庁が絡んでいるのか?
そして
なぜ救出作業が翌日の昼頃という遅さになったのか…?

…続きは次回へ
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