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私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

自分の信じているものについて検証する

2014年09月10日 09時22分19秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自分の信じているものについて検証する◇

みなさん、いろいろなものに対して執着したり、信じ込んで生きておられます。
その対象は人それぞれで本当に様々です。

例えば、幸せが一番だとか。

みんな幸せに暮らせる方法があるはずだとか。

善悪等に対する自分の判断を正しいと思い込んでいるとか。

すべての事に意味があるはずだとか。

あるいは、私という自我の意識は、肉体の機能によって成り立っているに違いないとか。

この世界は、この物質的な現実世界だけで成り立っているに違いないとか。

神はいない、あるいは神はいる等の神に対する思い込みとか。

さらには、私は実存だ、あるいは真我が実存だなどの実存に対する思い込みとか。

真理はある等の真理や法に対する思い込みとか。

などなど。

本当に様々です。

一度、自分が信じるものや、執着しているもの、譲れないもの、これが正しい、こうあるべきだと思い込んでいるものを徹底的に探し出して書き出してみてください。
そして、その書き出したものについて、それが本当に信じる得る対象なのか、徹底的に検証し、追求てみてください
これは、一生をかけた作業になるかも知れませんが、ぜひやってみて頂きたいと思うのです。

その追求の際のポイントは、誰がそれを正しいと考えているのかです。
また、「幸せが一番」等の考えをつくっているのは誰なのかです。


補足です。
なぜ、自分が正しい思い込んでいることや、信じていることについて検証するのかについて簡単に説明しますね。
正しいと思い込んでいることや、信じているということは、それに関連した考えを掴んでいるということであり、そこに、滅すべき自我の根っ子(あるいは、種)があるからなんです。


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ハートの自覚ワークについて(2)

2014年09月07日 22時19分43秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇ハートの自覚ワークについて(2)◇

昨日の記事の続きです。
今日は、このハートの自覚ワークのかなり踏み込んだ部分について書きます。

今日の記事では、このワークを使って大悟(真我の完全覚醒又は空の覚醒)を得る方法についてご紹介します。
なお、私(慧空)は主にこのワークを使って昨年10月に大悟を得ました。

前回の記事で、このワークを行うためには、ハートの中心にある「わたし」という感覚を捉えることがまず必要ですと書きました。
確かに、このワークを使って自覚を進めていくには、ハートの中心にある「わたし」を捉えられればそれで問題ありません。
しかし、このワークを使って大悟を目指すときには、ハートにある「わたし」に対してよりシャープな感覚が得られている必要があるのです。
まずは、そのよりシャープな感覚を得るための方法について説明します。

まず、両方の手の平を重ねた状態で胸の中心付近に当てて、ハートの中心にある「わたし」という感覚を感じてみてください。
そのとき、その「わたし」という感覚の中心に、その感覚の密度が周囲よりも高くなっている塊かコアのようなものが無いか探してみてください。
そのコアの大きさは、大凡直径が1センチから2センチ程度です。
コアに対するハッキリとした実感がなくても、ぼんやりと何かあると感じられれば大丈夫です。
あるいは、ぼんやりと何かあると感じられなくても、「わたし」という感覚の中心がハッキリと分かるのであれば、それで問題ないです。

なぜ、そのコア(あるいは「わたし」という感覚の中心)を捉えることが大切なのかと言うと、そのコア(あるいは、ハートにある「わたし」という感覚)を滅せれば、自ずと大悟が得られるようになっているからなのです。

では次に、そのコア(あるいは、ハートにある「わたし」という感覚)を滅するための具体的な方法について説明します。

その方法はとてもシンプルです。
そのコア(あるいは、「わたし」という感覚の中心)に、ただひたすら自分の意識を集中するだけなのです。
そのとき、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくり声を出しながら、コアに意識を向けると効果的です。
そして、私の意識はこの世界そのものというか世界全体なのですが、その世界全体であるすべての意識を、「一点」、すなわちコア(あるいは、「わたし」の感覚の中心)に集中してください。

このときとても大切なのは、意識の集中度合いなのです。
これ以上集中できないという極限まで意識の集中レベルを高めて頂きたいのです。
これ以上集中したら、意識がおかしくなってしまうかも知れないと思うほどの極限の集中を行って頂きたいのです。
しかも、その集中レベルを出来るだけ長い時間持続して、コアに意識を向け続けて頂きたいのです。

手の使い方については、例えば、手を使ってコアに対する感覚をより高めるようにして、あるいは、コアを両手で包み込むような感覚で、胸の中心付近に重ねた状態で両手を当ててください。
あるいは他の例として、手の平よりも指先の感覚の方が鋭敏な方は、左右の手の各指先でコアを感じるようにして、あるいは各指先から出る意識のエネルギーをコアに当てるような感じで、左右の手の各指をコアの上に当ててもいいです。

このワークによるコアに対する意識の集中は、自我を溶かすとても強力な力があります。
このワークを行う際の意識の集中度合いや、このワークをどれくらいの時間行ったかや、自我の厚みがどれくらい残っているかや、また真我の第一段階の覚醒が得られているか否かなどによって異なりますが、短い人だと、ワークの開始から数日程度で大悟が得られるケースがあると思います。
私の場合は、このワークを一日あたり5、6時間程度のペースで2、3週間続けてやった段階で、大悟が起こりました。
なお、その2、3週間の間は、ほぼ毎日休まずこのワークをやっていました。


以下は、補足です。

ハートに「わたし」という感覚が少しでも残っていると、大悟には至りません。
ハートに「わたし」という感覚が全く無くなるまで、このワークを続けてください。

大悟に至った際、自分が大悟に至ったことは直ぐに分かります。
それが分からないということは決してありません。
まず、それまでハートにあった「わたし」という感覚が忽然と消失しますから、そのギャップ感だけでも直ぐに異変に気づきます。
また、考えである客体と私である主体の合一が始まりますので、目の前の物(例えば、PCディスプレイ等)を見たとき、その対象物に「わたし」の意識が一体化したような感覚が得られます。
つまり、「見るものは見られるもの」という感覚になります。

大悟を得た後は、ハートに「わたし」という感覚が完全に無くなりますから、このハートの自覚ワークを自覚のツールとしては使用出来なくなります。
しかし、自我が滅せられたという訳ではなく、薄くなったとは言え、滅すべき自我はまだしっかりと残っています。
大悟後の自覚は、私に意識を向けながら、起こってきた考えを自覚するという普通の自覚をやっていくことになります。


<補足です(2014年10月10日)>

上記のように、ハートで感じる私という感覚に中心に意識を集中させるときの注意点について補足したいと思います。
ハートの私への意識の集中度が上がってくると、自然と私という自我の意識が薄れていき、思考の無い無我(無心)の方に行ってしまいます(そのままいくと、無我や禅定に入ってしまいます)。
このとき、無我に入ってしまうことがいいことだと誤解される方がおられると思いますが、このワークはあくまでも私に意識を向ける自覚であり、無我に入ることが目的では無いのです。
ですから、安易に無我に入るのではなく、「私」という考えをしっかりと維持して、その「私」に意識を集中し続けて頂きたいのです。
そのときのコツとしては、例えば、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくりと声に出して、あるいは心の中で唱えながら、つまり「私」という考えをハートの中心につくり続けながら、その「私」に意識を集中してみてください。


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ハートの自覚ワークについて(1)

2014年09月06日 23時13分04秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇ハートの自覚ワークについて(1)◇

今日はハートの自覚ワークについてご紹介したいと思います。
ハートの自覚ワークには、既に何度か軽く触れたことがありますが、まだちゃんと書いたことがないなと思い、書いてみることにしました。


ハートというと、自我ではなく真我だという印象を持たれている方が多いと思いますが、ハートの中心は真我の中心であるとともに、「わたし」という自我の中心でもあるのです。
簡単に言うと、ハートの自覚ワークは、ハートの中心にある「わたし」という感覚を捉え、そこに意識をただ向けるだけなのです。

このワークを行うためには、まず初めに、ハートの中心にある「わたし」という感覚を捉える必要があります。

その方法は例えば、両方の手のひらを重ねた状態で胸の中心付近に当てて、ハートの中心の「わたし」に意識を向けながら、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくりと何度か声を出してみます。
そのとき、手のひらが当たっている部分の奥に、「わたし」という感覚が得られれば、それがハートの中心にある「わたし」です。
その感覚が分かりにくいときは、声を出しながら手のひらの位置を上下に少しずつ動かして、「わたし」という感覚を探してください。
人によって「わたし」を感じる位置は多少異なるかも知れませんが、大凡胸の中心付近でそれを感じることができるはずです。
他の目安として例えば、「わたし、わたし、...」という自分の声の振動を最も強く感じる位置を頼りにして、「わたし」の感覚を探って頂きたいと思います。
さらに他の目安としては、強く感動したときなどに胸がキュンとなる位置が分かる方は、そこに「わたし」の感覚があります。

みなさん、ハートの中心にある「わたし」を捉えられたでしょうか?

最初は、実感が乏しく、自分の得ている感覚がそれで合っているのかどうか確信が持てないかも知れませんが、確信が持てないまでもうっすらと何か感じられていれば、その感覚で合っている可能性が高いと思います。
ですから、直ぐに諦めずに、「わたし」という感覚を捉えることに何度もチャレンジして頂きたいと思います。
何度もやっているうちに、「わたし」という感覚を段々とハッキリ得られるようになっていくと思います。

では次に、ワークの内容について説明します。

ワークの方法は、大きく分けて二つの方法があります。
一つ目の方法は、ハートの中心にある「わたし」に対し、意識を集中して向ける方法です。
このとき、両手を胸の中心に当てて、「わたし、わたし、...」とゆっくり声を出しながら、それをやられることをお勧めします。

この方法は、ハートの中心に向けた意識の集中が強ければ強いほど効果が高まります。
毎日、10分でも20分でも、時間を見つけてやって頂きたいと思います。
やればやるほど、効果が高まります。
なお、この方法は高い意識の集中が必要なので、一日のうちの時間が取れるときに、瞑想のような感覚でやって頂きたいと思います。
(私は、この方法を大悟(真我の完全覚醒)が起こる直前の3週間くらいの間、毎日5、6時間やっていました。)

この一つ目の方法の効果はとても絶大でして、自我に直接的に働きかけ、自我を溶かす効果があるのです。
意識の集中が高まるほど、自我を溶かす力は強くなります。
そして、ワークをやればやるほど、どんどん自我が溶けていきます。

二つ目の方法は、普段の動きの中で、できるだけ気にかけて定期的に、ハートの中心にある「わたし」に意識を向けるというものです。
そのとき、心の中で「わたし、わたし、...」と言って頂きたいと思います。
朝起きたとき、顔を洗っているき、朝食を食べているとき、通勤途中、仕事をしているとき、誰かと話しをしているとき、帰宅途中、家でテレビを見てるときなど、どんなときも、忘れず定期的にハートの中心にある「わたし」に意識を向けて頂きたいのです。

この二つ目の方法の効果は、定期的に意識を「わたし」に向けることで、感情や思考等の考えに振り回されるのを抑制するとともに、不要な考えをつくり出すのを抑制する効果があります。


後半に続きます。


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みんな何かを言いたがる

2014年09月04日 12時15分56秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇みんな何かを言いたがる◇

悟りの道をいく人か否かにかかわらず、みんな何かを言いたがります。
自分が手にしている考えをどうしても外にアピールしたくなるのです。

幸せを表現する人。
自分の社会的なステイタスや成功を表現する人。
自分のやっていることや思っていることを良いと思って表現する人。
反対に、苦しいや悲しみを訴える人もいます。

これらの人はみな、その方が表現している考えやそれに関連する状況を握りしめているのです。

これは、悟りを知っている人も同じなんです。

神や、愛や、至福や、喜びを言う人は、それらの考えを握りしめています。

また、真我や、空や、在るを言う人も、それらの考えを握りしめているのです。

ですから、私はみんさんに申し上げたいのです。

いま「その言葉」を仰ったご自身に意識を向けてくださいと。

ご自身がその考えを握りしめていることに気づいてくださいと。


このような偉そうなことを言っていると、皆さんからお前(慧空)はどうなんだと厳しいご指摘を受けそうです。(^^)

そうなんです。
私も言いたがりなんです。(^^)

ですが、私は何も握りしめてないのです。
だから私は、私が得た最終的な悟りの理解について、「こうです」とか、「ああです」等の具体的なことは何も言わないのです。
ただ、「それを手放してください」とか、「そうではないです」とか、「こうでもないです」等の否定的な表現を使って言うだけなのです。
そうでしか表現できないのです。(^^)


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解脱の悟りへ向かうルートについて

2014年09月04日 09時01分56秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇解脱の悟りへ向かうルートについて◇

私は、解脱の悟りを得る際に、主に自分に起こってくる苦しみと向き合いならがら、言わば「苦」をツールとして利用して解脱の悟りに至りました。
この行程は、お釈迦さまが辿られた道とほぼ同じだと思います。

私の辿った道がお釈迦さまの道と同じだったということや、他の方がどういう道を辿ったかについての情報を知らないのもあって、解脱の悟りに至る道はひょっとすると、「苦」を入り口としたルートしか無いのかも知れないと思うようになっていたところがありました。

しかし、昨日ふと思うところがありまして、「苦」を入り口としない他のルートもあるのかも知れないと思うようになっております。

例えば、その一例というか手掛かりとして。
私という存在というか、意識は、断続的かつ連鎖的にパッ、パッと起こってくる考え(認識)そのものなのです。
それで、解脱の悟りというのは、そのように連鎖的に延々と起こってくる考えを一切掴まなくなることなのです。
だから、もし、起こってくる考えを一切掴まない意識状態に直接的に至ることができれば、「苦」等を使ったアプローチは不要な訳なのです。

私にそのような直接的な行程が可能だったかと言うと、そのようなことは難しかったのだろうと思います。
しかし、中にはそれが出来る方がおられるのかも知れないと思ったりしています。


<追記(2015年1月30日)>
上記の「苦」を使わないで、起こってくる考えを一切掴まない意識状態に直接的に至ることができるかについてですが、どうも、そのようなアプローチは困難というか無いようです。
最後に握りしめているものとして、「苦」はどうしても残るようです。
ですから、最後の手放しは「苦」がポイントになるのだろうと思います。


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苦しみは悟りへの最高のチケットです

2014年08月29日 14時55分24秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇苦しみは悟りへの最高のチケットです◇

悟りを起こさせる、あるいは悟りに向かわせるものとして、様々な経験や出来事等がありますが、その中でも、苦しみが悟りへの最高のチケットなのです。
味わう苦しみが大きければ大きいほど、深い悟りに到達し得るチケットなのです。

ですから、苦しみを感じられたとき、どうか、その苦しい感覚や、苦しみを引き起こしている状況と真っ直ぐに向き合って頂きたいと思います。
そしてできれば、苦しみやその状況に対し、徹底的に受けて立つんだという意気込みを持って頂きたいと思います。

そのとき、自覚(自分を見つめること)をご存知の方は、苦しさを感じている自分、苦しい状況に置かれている自分から目を逸らさず、じっと見つめて頂きたいと思います。

多くの方は、苦しさから逃れよう、何とかしようともがくのだと思います。
それが普通です(私もそうでした)。
しかしそのとき、ただ衝動的に思考を巡らしたり、行動を起こすのではなく、逃れようとしてもがいている自分の姿をしっかりと見つめて自覚して頂きたいのです。
自分が苦しみから逃れるために、どこに行こうとしているのか、何を目指しているのかを冷静に観て頂きたいのです。
そして、それで本当に苦しみから逃れられるのかを冷静にもう一度検証して頂きたいのです。


どのような出来事や状況にも、苦しみの側面は必ず備わっています。

仮に楽な感覚や幸福感を得ていたとしても、それはあなたがその出来事や状況の楽な側面にフォーカスしているだけで、その出来事等の他の側面から目を背けているだけです。
それに、人は幸福感を感じると、その状況等を握りしめてしまいます。
その幸福感を維持しようとして、あるいはさらなる幸福感を得ようとして、その状況を握りしめるのです。
そこには、その状況を握りしめることによる不自由さや、その状況を失うことに対する強い恐れがあります。
その不自由さや恐れは、得ている幸福感が大きいほど大きくなります。
つまり、幸福感等と苦しみ等は、光と影のように常に同じ大きさで備わっています。

しかし、多くの方は幸福感(光)の方にのみ目が行ってしまい、その対となる苦しみ(陰)の方には余り目を向けようとしません。
そして、いざ自分が苦しみ(陰)を感じると、今度は光を求めてもがき始めます。
その繰り返しです。
それが迷いを生みます。

この点について深く追求された方は、自分にはどこにも逃げ場がないことを悟られるかも知れません。


苦しみは、その迷いに気づける最高のチャンスであり、チケットなのです。

どうか、その貴重な貴重なチケットを有効に活かして頂きたいと思います。


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「判断」について吟味し、検証する

2014年08月24日 23時18分55秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇「判断」について吟味し、検証する◇

私たちは普段、良し悪し等の判断を繰り返しながら、それによって、何かの行動をしたり、「こうなったらいいなあ」等の理想や希望を持ったりしています。
この「判断」がくせものなのです。
私は、二元の迷いから抜け出していく方法として、この「判断」について徹底的に吟味し、検証することが非常に有効な方法の一つであると思っています。

聡明な方なら普段自分がやっている「判断」に重要なカギがあるんだと何となく気づいておられるのだと思います。
また、善し悪しの判断は各人の視点等による相対的なもので、絶対的なものではないということも何となくご存じの方もおられると思います。
しかしそのような方々の殆どは、相変わらず「判断」を続けてしまっています。
それが現実であり、多くの方々の姿です。

そのような方々は、どうしてそこから抜け出せないのでしょう。

その理由は、自分がやっている「判断」の無意味さにまだ本当には気づけていないからです。

「判断」の無意味さ、愚かさに気がつくようになれば自ずと判断をする頻度が小さくなっていきます。

一度、普段自分が何気なくやってしまっている「判断」を監視してみて頂きたいと思います。
そして、自分が「判断」をやっていることに気づいたら、その自分がやっている「判断」について、その正当性や合理性等を徹底的に吟味し、検証してみて頂きたいと思います。

「判断」について吟味、検証するときのコツは、複数の観点からそれをやることです。
どんなに優れている、あるいは完璧と思われる「判断」であっても、優れているのはある特定の観点から見たときの評価に過ぎず、他の観点から見ると必ず欠点や弊害があり、当初の優れた判断であるという評価が崩れ去ってしまうはずです。

「判断」に対する優れた判断とか、間違った判断等の評価は、すべて幻想に過ぎないのです。
どのような「判断」も、すべて長所と短所があり、同列なのです。

嘘だと思われるなら、何か具体的な「判断」を取り上げて検証してみて頂きたいと思います。

分かりやすい例としては、「お金持ちは良いことだ」という判断があります。
お金を持っていることによる利点は確かにありますが、それによる欠点というかリスクもしっかりとあり、とても「お金持ちは良いことだ」という判断が正しいとは言い難いです。
じゃあ「金持ちと貧乏の中間層が良い」という判断はどうかというと、もちろん中間層にも長所と短所がちゃんとあります。
例えば、中間層にはお金に困るとか、お金があることによりお金に迷う等のリスクが低いですが、金持ちに対する憧れを持ってしまい、その気持ちに惑われてしまう等の短所があります。

「ビジネス等で成功することは良いことだ」という判断も同様です。
少し難しい題材ですが、「健康は良いことだ」という判断も同様です。
さらに難しい題材ですが、「幸せは良いことだ」という判断も同様なのです。
「愛することは良いことだ」という判断についても、まったく同様です。
もちろん、「悟ることは良いことだ」という判断についても、まったくまったく、まったーーく同様です。(^o^)

ここまで読まれると、自分の心の奥底に、自分に「判断」という思考をさせてしまう何か思い込みのようなものがあることに気づく方がおられるかも知れません。

「そこ」に意識を向け、何が自分に「判断」という思考を衝動的に起こしているのかをしっかりと観て頂きたいと思います。

自分が握りしめているどういう考えが、自分に衝動的に「判断」をさせているのかを徹底的に追求して頂きたいと思います。



何か捉えられたでしょうか?(^^)



「そこ」には、「正しい方向があるはずだ」、あるいは「自分の進むべき方向があるはずだ」等の「正しさ」に関する強い強い思い込み(幻想)があります。

その「正しさ」に対する幻想から早く醒めて頂きたいと思います。


<追記(2014年8月25日)>
当初は、この記事を前半と後半のシリーズものとして書こうと思っていましたが、後半部分は単独の記事としてまとめることにしました。
その方が分かりやすくなりそうなので。
また、この記事は自覚との関連が深いので、自覚ワークに関するカテゴリに移動しました。


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自覚ワーク:私を愛し、本来の私を取り戻していく

2014年08月09日 23時04分37秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自覚ワーク:私を愛し、本来の私を取り戻していく◇

私を愛するワークについての記事のご要望を頂いたので、書いてみたいと思います。
ただ、私はこのワークを殆どやったことがありません。
このため、どこまで的確な文章を書けるのかちょっと心配ではありますが、すべてオッケーということで、フィーリングに任せて書いてしまおうと思います。(^o^)

このワークについては以前にも文章を書いておりまして、そこでも書きましたが、このワークはそのやり方等が本当に多岐にわたっており、また各自がワークを行う際のアレンジも容易なため、とてもじゃないけど説明しきれないというのが本音です(笑)。
とは言いながら、なんとか私なりにこのワークの本質的な点やその可能性について意識しながら、説明してみたいと思います。

前置き終わりです。(^^)


このワークも、その基本は私に意識を向けることです。
私に意識を向け、徹底的に私を見守り、私を愛し、私を許していくのです。
それによって、知らず知らずのうちに抑圧され、あるいは見失っている自由で闊達な創造主としての本来の私を取り戻していくことを主眼としています。

ですから、このワークをやられる際はまず、一日24時間、毎日、自分を見守り続けるんだという強い決意を持って頂きたいのです。
仮にあなたのパートナーや両親や兄弟があなたを批判しても、また世界中があなたの敵になっても、あなただけはあなた自身の身方であり続けるという強い決意を持って頂きたいのです。
そして、徹底的にあなた自身を愛して頂きたいのです。
あなたの中に起こってきた感情等の考え、そしてあなたの行動を徹底的に許していって頂きたいのです。

多くの方々は、知らず知らずのうちに種々の固定観念や社会常識で自分自身を縛り付け、自分自身の自由を奪ってしまっています。
また、過剰な自他の比較などにより、無用な劣等感を持ち、自分自身に対しあまりに批判的であり、否定的です。
そのような方々は、本来は自分自身が主役であり、主体性を持って生きるべきなのに、固定観念や社会常識や、自分でなく他人に主役の座を明け渡してしまっているのです。
これが多くの方々の姿なのです。

ですから、これからは固定観念等に盲目的に従うのではなく、あなたがあなた自身の身方になり、あなたの中に起こってきた感情等の考え、そしてあなたの行動をまずは肯定的に捉え、徹底的に許していって頂きたいのです。
それによって、固定観念等に奪われていたあなたの主役の座を取り戻し、主体性を回復していって頂きたいのです。
そして、あなた自身をあなたの世界の中心に置いて頂きたいのです。

いつもあなた自身に関心を持ち、見守ってください。
そして、愛してください。
あなたがあなた自身に注意を向けるほど、自然とあなた自身が主役となっていき、あなた自身が輝き始めます。

そして、あなたがあなた自身の身方になり、あなたに起こってくる感情等の考えや、あなたがしようしている行動を許し、自由で闊達なあなた自身の姿を取り戻していってください。

もう、こんな状況でこんな感情や考えが湧いてくるなんていけないんじゃないかとは、思わないでください。
そうか、私はいまこんな気持ちなんだ、そう考えてるだと、その気持ち等を受け入れ、許してください。

もう、こんな行動をしたらダメなんじゃないかとも思わないでください。
そうか、私はそうしたいんだなと、あなたが素直にしたいと思う行動を受け入れ、許してください。
そして、その行動により生み出された現実を、私がつくり出したんだと自覚し、実感してください。

しかし、そうは言っても実際には、あなたに起こってきた考えや、あなたがしようとしている行動がどうしても許せないと思い戸惑うことがあるかも知れません。
そういうときは、無理に許そうとしなくても大丈夫です。
許せないというその思いが、その時点のあなたの本意なのですから。
許せないと思うあなた自身を受け入れ、愛してください。

そうやって、あなた自身を見守り、身方になり、愛していって頂きたいのです。

このように、あなたがあなた自身を見守り、愛していく姿は、ちょうど母の子に対する姿や、互いに想い合う恋人同士の姿に似ています。
母が子を育むように、あなた自身を擁護し、育んでください。
嬉しいことがあったときは、一緒に喜んでください。
辛いことや悲しいことがあったときも、一緒にそれを受け止めてください。
がんばったときは、がんばったねとほめてあげてください。
困ったことや悩んでいるときは、「どうしたの?」とか、「あなたの本当の気持ちはどうなの?」とか、「あなたはどうしたいの?」と問いかけてみてください。
そして、解決策や答えを一緒に探してあげてください。
そうやっていつも、あなた自身に寄り添っていてください。


あなた自身をあなたの世界の中心に置けるのは、あなたしかいません。

どんなことがあっても、またどこまでもどこまでも、あなたの身方になってくれるのはあなたしかいません。

あなたを徹底的に愛し、許すことができるのもあなたしかいません。

そのことに早く気づいて頂きたいと思います。


このワークを続けられるうち、あなたは、自ずと創造主としての主体性と自由を取り戻していかるでしょう。

そしてまた、あなたは、あなた自身を愛し、許していくことにより、自ずとあなた自身から生じるその世界を受け入れていくことになるでしょう。


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自覚ワーク:創造主としての実感を深めていく

2014年08月08日 15時01分53秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自覚ワーク:創造主としての実感を深めていく◇

私のブログを訪問くださる方々が思いの外、自覚ワークに興味を感じておられるようなので、また自覚ワークに関する記事を書いてみたいと思います。

本質の私である自我を捉える方法としては、私が知っているものは大きく分けて大凡三つか、四つの方法があります。
一つ目は、「私」に意識を向けつつ、起こってきた一つ一つの考えに対して、「この考えは私がつくったんだ」、あるいは「これは私に起こってきた考えなんだ」などの自覚を行っていくものです。
二つ目は、私に意識を向け、徹底的に私を愛し、許していくことを通じて、それまで知らず知らずの間に抑圧し、あるいは見失っていた自由で闊達な創造主としての本来の私を取り戻していくというものです。
三つ目は、自分が行っている行為の一つ一つについて、「私がその行為を起こしてそれをやっているだ」という具合に自覚し、創造主としての実感を深めていくというものです。
四つ目は、これは少しハッキリしない部分もあり微妙なのですが、自我の意識の根底部にある観照意識を捉え、その意識と合一するというものです。
なお、自我を捉えられた後は、シンプルに私(自我)に意識を向けるだけで自覚が進んでいきます。

今日は、上の四つの方法のうち、三つ目の方法について書いてみたいと思います。

この方法は、誰でも簡単にでき、しかも意外なほど大きな効果があります。

方法は、本当に簡単です。
自分が行っている一つ一つの行為について、「私がいまその行為を起こして、それをやっているんだ」と自覚するだけでいいんです。
この三つ目の方法は、一つ目の方法と近いものですが、一つ目が考えに主眼を置いているのに対し、三つ目は行為に主眼を置いている点に特徴があります。
考えに対する自覚よりも、行為に対する自覚の方が簡単なので、まずは行為に対する自覚だけをやられるのも一手だと思います。
但し、一日24時間、しかも毎日、やり続けて頂きたいのです。
何も手応えや変化が無くても、2ヶ月はやり続ける覚悟でやっていただきたいと思います。

朝、起きるときから、「いま私が目が覚めたんだ」と自覚し、起き上がるときも「私が起きるという考えを起こし、身体を動かしているんだ」と自覚していてください。

朝ご飯を食べているときは、「私がご飯を食べるという考えを起こし、身体を動かし、ご飯を口に運んでいるんだ」、「私が口を動かし、ご飯を噛み、味わっているんだ」、そして「呑み込むという考えを起こして、噛んだものをいま呑み込むぞ」と自覚してください。
そして、おかずを食べるときも、次にどのおかずを食べるのかを選んでいる私を自覚しながら、「いま私がこのおかずを選んで身体を動かし、口に運んでいるぞ」と自覚してください。

自宅を出て駅に向かうときは、自分が何時何分の電車に乗ろうとしているのかを自覚してください。
何時何分に電車に乗ろうとして身体を動かし、歩いている私を自覚してください。
右、左と一歩一歩、足を運んでいる私を自覚してください。
角を曲がるとき、信号で立ち止まるとき、それらの動作をつくりだしている私を自覚してください。
そして、駅に到着し、電車に乗るとき、目的の電車に乗っている私を自覚してください。
「目的の電車に乗っている私」を「私が創造したんだ」ということを自覚し、実感してください。

そうやって、一つ一つの行為について丁寧かつ徹底的に自覚し、一つ一つの行為を私が選択し、つくり出しているんだという実感を深めていって頂きたいのです。
そうしているうち、行為だけなく、私に起こってくる考えについても、一つ一つしっかりと「この考えは私がつくったんだ」と自覚できるようになっていきます。

行為に対する自覚が上手に出来るようになってきたら、普段は決してやらないような突飛な行為をわざとやってみてください。
例えば、歩いているとき、普段は決して通らない道をわざと選んで歩いてみるとか、急に走ってみるとか、止まってみるとか、寄り道してみるとか、普段は乗らない少し早い時間の電車に乗ってみるとか、誰かにプレゼントするとか、自分にプレゼントするとか、誰かに気持ちを伝えるとか、なんでもいいと思います。
そして、その行為によりあなたがつくり出した現実を自覚し、実感して頂きたいと思います。

どのような行為も、どのような現実も、あなた自身がつくり出したものであることを自覚し、実感して頂きたいと思います。

そうしているうち、一つ一つの行為を、そしてそれにより生じた現実を愛さずにはいられない自分に気づくかも知れません。


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自覚の作用原理と利点

2014年07月31日 13時48分43秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇自覚の作用原理と利点◇

昨日、一昨日と自覚ワークに関する記事を書いたので、自覚がどのようなメカニズムで自我に作用しているのかや、悟りの道を進む上での自覚の利点などについて書いてみたいと思います。
できるだけ多くの方に理解できるように書きたいとは思いますが、「私という存在」に対する相当程度の深い体験的理解がないとどうしても理解できない部分があるので、その点はご了承ください。

昨日の記事で、自覚の原動力はあなたの意志だと書きました。
ここに、自覚の最大の特徴があります。
まずそこを説明したいと思います。

どれだけ深い悟りに至るかは自我の厚みと直接的な関係があります。
自我が薄くなればなるほど、放っておいても自ずとそれなりの悟り階層に至るものなのです。
自覚とは、自我の力を最大限に引き出しつつ、その力で自我を減じていく方法なのです。

以前からここに何度か書いてきましたが、自我とは連鎖的に生じる考え、あるいは考えの連鎖そのものです。
この自我の活動である考えの連鎖は、連鎖が連鎖を呼ぶようにして延々と続いているのですが、その連鎖を生じさせるためのエネルギーは、その連鎖の中で自我が考えを掴むこと(執着をつくること)、あるいは自我がつかんだ考え(執着)がその供給源となっています。
こうして自我である考えの連鎖は、その連鎖の中でエネルギーである新たな連鎖の種を得ながら、延々と連鎖を繰り広げています。

この考えの連鎖と、その連鎖へのエネルギー供給(種の供給)は、自転車操業のようなものであり、新たなエネルギーの供給量が抑制されると、それに連動して、起こってくる考えの連鎖の頻度や密度も抑制されるようになっています。
反対にエネルギーの供給量が増えると、起こってくる考えの連鎖の頻度や密度も増大します。
上で言う自我の厚みとは、この起こってくる考えの連鎖の頻度や密度のことなのです。

次にまず、自覚とは何かについて改めて簡単に説明します。
自覚の基本は第一に、自分(私)に意識を向けることです。
そして第二に、起こってきた感情等の考えを「これは私に起こってきた考えだ」と自覚していくこと、あるいはその考えを観て捉えていくことです。
私に意識を向けることにより、私の意識が身体の中心軸上に自ずと位置するようになります。
そして、その状態を保ちつつ、起こってきた感情等の考えを自覚していきます。
これが自覚の基本です。

この自覚において自我の力が最大限に活用されます。
どういうことかと言いますと、まず「私に意識を向ける」という自我の意志の力とその働きにより、自我の力が拡散することなく、自我そのものに集中的に向けられます。
それにより自我の力はさらに強くかつシャープに増強され、その増強された力がまた自我に向けられるという具合になり、これを何と表現すればいいのか分かりませんが、それにより自我の意識の一点に向けた集約が起こります。
私に意識を集中すればするほど、私の意識はより一点に集約されていきます。

これによってまず第一に、自我の活動である考えの連鎖が抑制されます。
連鎖が抑制されるため、新たな連鎖へのエネルギー供給も抑制され、それによって起こってくる考えの連鎖の頻度や密度も抑制されていきます(要するに、自我が薄くなっていきます)。

第二に、次回以降の考えの連鎖の種として既に溜め込まれている考え(執着であり、カルマです)の変質又は消失が起こります。
この種であるカルマの変質又は消失により、起こってくる考えの連鎖が減ります。
ただ、この第二の作用は、非常に強いレベルでの意識の集中があった場合にのみ機能するものなのかも知れません。

次に、自覚に含まれる「起こってきた考えを自覚する(あるいは観る、捉える)」ことによる作用について書きます。
この考えを観て捉えるという作業は、上で書いた「私に意識を向ける」ことの補助として機能します。
考えが起こってきたとき、考えを観て捉えることにより、そこで考えの連鎖を切るのです。
考えの連鎖を切ることにより、私に向けられる意識の集中レベルを維持、向上させる役割を担っています。

これが、自覚の作用原理です。

次に、悟りの道を歩む上での自覚の利点について書きます。

この点に関する自覚の最大の利点は、悟りの道を進んでいく上で減じていくべき対象である自我を捉えた状態のまま、ダイレクトにその自我を減じていけるという点です。
自我を減じていく上で、何一つ無駄が無く、効率的かつ直接的なのです。

さらなる利点としては、自我を捉え続けているため、ある悟り階層から次の悟り階層にブレークスルーしたときも、自我を見失うことなく、自我を捉えた状態を維持することができ、そのままさらに次の悟り階層に向けて進んでいける点です。
しかも、最後の悟り階層である解脱の悟りまで、一貫して同じ手法のまま進み続けることができます。

まさに私に意識を向け続けるだけで、最初の悟りから最後の解脱の悟りまで到達できるのです。


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改めて自覚ワークについて(2)

2014年07月30日 13時32分52秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇改めて自覚ワークについて(2)◇

昨日の記事の補足的なことを書かせていただきます。

最初の補足として、昨日の記事で、自覚をするときのコツは、自分の意識を身体の中心軸上(中心軸上なら頭でもハートでもいいです)に置いて、そこから、起こってきた感情等の考えを客観的に観るようにすることです、と書きました。

その「自分の意識を身体の中心軸上に置くこと」について、具体的な意識の位置は、頭の位置でも、ハートの位置でも、頭の少し上の位置でも、お腹の位置でも、どこでも構いません。
意識が中心軸上のどこかにあれば大丈夫です。

意識を中心軸上に置くということがよく理解できない方や、それが上手く出来ない方は、意識を中心軸上に置くというより、身体の中心を縦に通る「軸」を単に意識するだけでも構いません。
「軸」を意識するだけで、意識はその軸上に保たれます。
意識がブレないように、いつもしっかりと「軸」を意識して頂きたいと思います。

そうやって自分の意識を中心軸上に置いた状態で、起こってきた感情等の考えを客観的に観て頂きたいと思います。
一つ一つ丁寧に徹底的に観て頂きたいと思います。


次に、自覚の意志について書きます。

自覚は、自覚をやっていくんだというあなたの意志の力を原動力としています。
よって、どれくらいしっかりと自覚を実践できるのかは、あなたの意志の強さにかかっています。

「私はもう感情等の考えに翻弄されないぞ!」、「何があっても自分の意識を中心軸からブレさせないぞ!」という強固な意志を持って、自覚を実践していただきたいのです。

とことんやり抜く覚悟と決意を持ってやっていただきたいのです。

自覚の要は、あなたの意志です。

そうやって、自覚に対する強い意志を持ちながら、起こってた感情等の考えを一つ一つ徹底的に自覚し、捉えていって頂きたいのです。
そして、考えに奪われている主導権を取り戻していって頂きたいのです。

あなたが主導権を奪い返していくにつれ、次の考えとしてどんな考えをつくるのかという選択の余地が拡大していきます。
起こってきた感情等の考えをそのまま味わってもいいし、スパッと切り捨ててもいいし、別の考えに切り替えてもいい、考えを繋げていってもいい。

考えの主になっていくあなたを実感してください。


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改めて自覚ワークについて(1)

2014年07月29日 10時50分10秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇改めて自覚ワークについて(1)◇

今日は自覚を始められてまだ間がない方に対して、自覚のことやそのコツなどについて書いてみたいと思います。

自覚を知らない一般の方は、感情や感覚等を含むいろいろな考えで頭の中がいつも一杯になっていて、考えに常に翻弄されています。
頭の中、あるいは心の中は、激しく駆け巡る考えによって常に主導権を握られています。
私という感覚はあるのですが、それは肉体に付随した肉体感覚の私であり、考えの司令塔となり得る本質の私に対する感覚や手応えはありません。
本質の私である「自我」を見失ってしまっているのです。
本当の私は本質の私である「自我」なのに、肉体に付随した肉体感覚の私が自分だと思い込んでしまっているのです。
肉体感覚の私は、起こってきた感情等の考えと一体化しやすいため、考えに巻き込まれ、翻弄されてしまうのです。

ですから、自覚の最初は、まずは起こってきた感情等に巻き込まれないよう、考えと自分とは別なんだという、考えと自分との間の分離感、独立感を得ることから始められるのがいいと思います。
感情や感覚等の考えが起こってきたとき、感情等が走り出し、それに呑まれてしまう前に、「この感情等は私に起こってきた考えだ」、あるいは「いま私にこんな感情等が起こってきたぞ」と、その感情等を自覚していただきたいのです。
考えが起こってくる度に、ひとつひとつ丁寧に自覚していただきたいのです。

そのときのコツは、自分の意識を身体の中心軸上(中心軸上なら頭でもハートでもいいです)に置いて、そこから、起こってきた感情等の考えを客観的に観るようにすることです。
自分の意識が身体の中心軸上にしっかりとあれば、考えに巻き込まれることはありません。

また、上のように考えを観るとき、考えを自分から引き離すようにして、考えと自分との分離感や独立感を確認してみて頂きたいと思います。
その分離感や独立感が、あなたが考えの主になっていく手応えとなります。
そうやって、考えに奪われていたあなたの主導権を取り戻していって頂きたいと思います。


その取り戻した主導権をどう使うか、それはあなたの自由です。


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受け入れの瞑想?(^^)

2014年05月13日 16時17分01秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇受け入れの瞑想?(^^)◇

今日はちょっと毛色を変えて、私が昔やっていた受け入れの瞑想について紹介しますね。

実は三十歳過ぎのころ、カルチャーセンターの気功教室に通っていたことあり、そこで他の生徒さんと一緒に週一で短い瞑想をしていました。
また、その教室のI先生は内面世界に関するお話しがお好きな方で、「すべてを受け入れてください」等のキーとなるいくつかの言葉を口癖のように言っておられました。

それで、自宅でも毎日、30分程度、長いときで1時間くらい瞑想をするようになっていました。
瞑想自体は割と普通の瞑想で、まずはその大半の時間を、ちょっとアレンジした数息観と呼ばれる瞑想をやっていました。
例えば、「1、2、3、...」とゆっくり10とか20とかまで数えながら息を吸い、次にその同じ数だけ数えるまで息を止めて、最後にまた同じ数だけ数えながらゆっくり息を吐くという繰り返しを、15分か30分か、ときにそれ以上やっていました。
数える数を段々と増やしていき、最後は確か1分間に1息するくらいのペース(つまり20ずつ数えながら吸う、止める、吐くをやる)になっていました(最初から10まで数えるのは無理なので、5くらいから数えたのでいいと思います)。

その数息観に続いて、受け入れの瞑想をやっていました。
受け入れの瞑想というのは、私が勝手につくったオリジナルでして、すべてを受け入れるイメージと、瞑想を組み合わせたものなのです。
やり方は至って素朴なものでして、「すべてを受け入れるイメージ」というか、決断というか、ハートを開くイメージをするというか、あるいは、そういうイメージに入っていくような感覚で、瞑想するんです。

どうしてこんなことを思い付いたのかは自分でもよく分かりませんが、私は特性的に明け渡し系(受け入れ系)の存在なので、I先生が繰り返し仰る「すべてを受け入れてください」という言葉に強く反応したんだと思います。

今から思うと、この受け入れの瞑想は意外なほど私の意識に影響を与えていたのかも知れないと思っています。

と言いますのは、この受け入れの瞑想をすると、ハートが開かれるような感じになり、よく自然と涙が流れていたのです。
ときには、ハートが震えるほどの反応があったように思います。
そして、こんなこともあったのです。
受け入れの瞑想を始めてから暫くして、受け入れの瞑想中に、自分が自分の意識が変わる転換点に近づいて行っているような感覚が起こってきたんです。
そして私は、おそるおそるその転換点に近づいて行ったんです。

そしてついに、その転換点までもう後少しというところまで行ったんです。
でもその日は、怖じ気づいてしまい、瞑想をやめてしいました。
次の日、覚悟を決めて、またの転換点の寸前まで行ったんです。
そして転換点を越えようしたとき、また瞑想をやめてしまったんです。

そのとき、私はハッキリ分かったんです。
私にはまだ普通の感覚の意識でやりたいことがあることが。
だから転換点を超える気になれなかったし、超えられないことが分かったんです。
そのやりたいこととは、ごく普通のことで、結婚と仕事でした。
もちろん、転換点を超えても結婚も仕事もできるでしょうが、当時の私にはそれが出来なくなるような気がしたのと、何よりまだ普通の感覚の意識で生きたかったのです。

このことがあった直ぐ後に、不思議なくらい私の意識というか興味の対象が変わってしまい、気功教室もやめて、気功も瞑想もやめてしまいました。
そして、より日常的な感覚の中に入っていきました。

その後、結婚したり子供が生まれたり、いろいろな事がありました。
そして、転換点から引き返してから十数年後に、明け渡しを経験することになったのです。

受け入れの瞑想や、転換点のことはすっかり忘れていたのですが、明け渡しの後それを思い出し、あれは今に至る伏線だったんだと思った次第です。

なんだか、私の思い出ばなしがメインになってしまった感じですが、(^o^)
受け入れの瞑想、もしよろしければ試してみていただきたいと思います。
ぜひぜひ(^^)/


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無明の迷いを絶つ

2014年04月16日 10時28分25秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇無明の迷いを絶つ◇

私が最近考えていることですが、私という存在を延々と展開させている迷いの衝動を「自覚」により直接的に抑制し、沈静化していくことにより、言わば直接的に解脱に至れないかと考えています。

それなりの準備ができている人なら可能なのだろうと思うのです。
また、おそらくですが、お釈迦さまはそういう直接的なやり方も教えていたのではないかと思うのです。

そのやり方とは、極めて単純なものです。

起こってくる出来事に対して自我がここがダメ、こっちがいい等の分別をし、考えや行動を起こすそのプロセスがまさに迷いの構造であり、衝動ですから、そのような衝動が起こってきたときに、「自覚」によりそれを抑えていけばいいのです。
自我の働きを徹底的に抑えていき、徹底的に滅していくのです。
また、自我が何か考えを掴んでいることや、掴もうとしていることに気づいたら、それを幻として手放していくのです。

ただそれだけなのです。
これを徹底的にやり続けられれば、その人は自ずと解脱してしまうのだと思います。

切実さを持たれた方、強い意志を持たれた方は、ぜひお試し頂きたいと思います。

一言申し上げるとすると、この方法の肝は「自覚」であり、強い切実さと意思です。


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センターを捉える

2014年04月07日 10時37分10秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇センターを捉える◇

ここで言うセンターとは、真我のことです。

真我は、私という存在の中心にあります。
常にそこにあります。
そして自我と交代交代に顕在化してきます。

あなたが何かに夢中になっているときや、ぼーっとして何も考えていないとき、あなたは真我そのものとなっています。

そのように真我は常にあなたの中にあります。

真我を捉えるのは簡単です。

何かをどうこうしようとするのをやめて、目の前の状況を受け入れればいいのです。
自然と起こってくる私の内面の変化や、私を取り巻く状況の変化にふわっと身を預ければいいのです。

無理に動作や考えを止めようとしないでください。
もし動作や考えを止めようとしている自分に囚われてしまったなら、自分はそうしたいんだなと、止めようとしている自分を受け入れてください。

また、どうしても何かをどうにかしようとしてしまう方も、それを無理にやめようとしないでください。
そうしたい自分の衝動をそのまま受け入れて、その衝動に身を任せてください。

私の中に起こってくる考えや、身のまわりで起こってくる出来事をできるだけ肯定的に捉え、すべて受け入れてください。

そうすれば、あなたはスーッとセンターに近づいていきます。


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