複数の知人から指摘を受け、
そういう指摘を受けるということは
それだけ読んでいただいているということで
うれしい思いをしております。
さて、最近は何をしていたかというと、
とにかくバタバタと走り回っていて
目新しいトピックを見つけられなかった。
というより、トピックにする意識を怠っていた
というほうが正しい。
早い話、日々に流されてしまっていたわけですね。
もったいない話です。
でも、そんな中、これを読んでいて下さっている
人たちと毎日のように顔をあわせ、いろんな
話をすることができました。
そういう、友人・知人というのは私にとってとても大きな
財産であり、宝だと思っています。
私にとってなくてはならない存在です。
そしてもちろん、新たな出会いも重ねることができました。
以前、どこかで、何事につけ経験は財産だというようなことを
書いた覚えがありますが、それとは別にやはり私にとっての
財産はたくさんありました。
感謝、感謝です。
そういう指摘を受けるということは
それだけ読んでいただいているということで
うれしい思いをしております。
さて、最近は何をしていたかというと、
とにかくバタバタと走り回っていて
目新しいトピックを見つけられなかった。
というより、トピックにする意識を怠っていた
というほうが正しい。
早い話、日々に流されてしまっていたわけですね。
もったいない話です。
でも、そんな中、これを読んでいて下さっている
人たちと毎日のように顔をあわせ、いろんな
話をすることができました。
そういう、友人・知人というのは私にとってとても大きな
財産であり、宝だと思っています。
私にとってなくてはならない存在です。
そしてもちろん、新たな出会いも重ねることができました。
以前、どこかで、何事につけ経験は財産だというようなことを
書いた覚えがありますが、それとは別にやはり私にとっての
財産はたくさんありました。
感謝、感謝です。
ひと・もの・カネ、っていう言葉と話、
たしか同じひとに教わったよね。
ものやカネっていう即物的なアイテムは
まあいいとしてさ、
ひと、というものの大切さについては
年齢とともにわかってくるもんだねえ。
ひとがそこにいる価値、というものに
最近どこにいてもこころがいきます。
そのひとがそこにいてくれる意味や価値、
そういうものを感じようとする、
そんなふうに最近はなりました。
そして自分自身も、
そこにいる何らかの価値を持っていたい。
どこにいても何をしていても
ひとと関わってる時間のなかでは
なにかしら有用な人間でいたいと
そう思うのですよ。
力んでいた時代もありました。
そして、歳を重ねるごとに、
ほんとうに多くの周りの人たちに、
深く支えられているんだなということが
わかってきました。
そういう意味でも
今は、おくろっく氏のいうように、
「そして自分自身も、
そこにいる何らかの価値を持っていたい。
どこにいても何をしていても
ひとと関わってる時間のなかでは
なにかしら有用な人間でいたい」
という思いに強く共感を覚えます。