まだ治らん。

2004年11月26日 | Weblog
かれこれ3週間になるであろうか。
私の愛車はいまだ入院中である。
代車の軽(subaruPLEO)の走行距離も私だけで
1100kmを超してしまったではないか。
ああしかし、こればっかりは自業自得、
あせってもしょうがない。

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別れに涙は禁物なのです。

2004年11月24日 | Weblog
先週の金曜日、祖母を亡くした。
90歳の天寿を最後まで気丈に全うしたのだから、
めでたくも大往生であったといえる。

両親が常に厳しかった自分にとって、
子供の頃唯一心から甘えることのできた存在であった。
今の空虚感は説明しがたい。

葬儀にあたり、幼い頃、毎日のように遊んでもらった
自分にとっては姉のようであった姉妹と30数年ぶりに
再会を果たした。
おばあちゃんからのささやかな置き土産だと思った。

今年を振り返るには気が早いが、劇的な再会も多い反面、
今生の別れが続くさびしい年でもあった。

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職場にて

2004年11月17日 | Weblog
今日、あまりに天気が良かったので、おにぎりとお茶を買って
職場の裏の矢作川の川原に降りて見た。

このあたりは、勘八峡という景勝地として有名で、
(http://www.aichi-kanko.jp/apta910.asp?ID=51&Lname=3)
澄んだ空気と共に自然を独り占めしているような
気分に浸ることができる。

4月に職場を変わった(職を変わった)のだが、
現在の職場でのもっとも贅沢な恩恵のひとつだと言える。

あと数ヶ月で万博が始まるそうだ。
いったいこのような自然を守ってくれるのかそれとも・・・。
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かたちあるもの

2004年11月13日 | Weblog
先週の水曜日の朝でした。
子供を乗せて「出発!」。「ガリガリ!」。
一瞬の沈黙。
「おとうさんぶつかったの?」
「あれ?ナニ?」

熱が下がったばかりの私は、車の脇に低いコンクリート塀が
あることだけでなく、自分のガレージには屋根を支える
柱が存在することもすっかり忘れて、いきなりハンドルを
左に切りながら発進してしまったのでした。

なに、人間だれしも失敗はある。

しかし現実はあまりに冷たく、事実だけを置いていきます。

左後方ドアからタイヤにかけて、全治約2週間の負傷。
翌日入院。
今は、代車の軽をころがしています。
subaruのプレオという車。
「軽かあ。」

乗ってみると意外にもよくできた車。
外見は地味だけどsubaruらしく剛性がしっかり作られており、
よく走る。高速だって妙な振動も加速の頭打ちもほとんど感じない。
何より燃費がsubaru7938の倍くらい。

いやいや、関心している場合ではありません。
早く治ってください。
もっと大事にします。

それにしても、誰も怪我しない事故でよかった。
自分を戒めることもできました。
恵まれています。
ひとまずは、感謝。
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近くにありて遠きもの

2004年11月11日 | Weblog
先日、中学校の頃の同窓会のような集まりがあった。

自分は残念ながら出席が叶わなかったが、出席者の一部で、
その頃から決して目立つことのなかったはずの私の名前が登場したらしく、
ありがたいことに会場の数人から直接電話をもらった。

そして、一昨日も書いたようにイーグルスの後、
これもほぼ27年ぶりの再会を果たしたのだが、不思議なことに
会った瞬間からまるで昨日まで一緒に生活していたかと錯覚するくらい
打ち解けた。
同時に、まるで27年ぶりに失った記憶をよみがえらせていくような、
軽い眩暈も感じた。

そう、27年というのはさほど短くはないはずだ。

それにしても旧友との心の距離感は、まるで昔育った街を
大人になってから訪ねた時のような(「あれ、こんなに
道幅狭かったっけ」「あ、こんな近くだったんだこの駅」
というような)縮尺を感じた。


一方、身内の話である。
この6月に亡くした実父は、とても厳しく、頑固で、
融通の利かない、しかも言い出したら引くことを
知らないヒトだった。若い頃は、正直疎ましく思ったことも
しばしばだった。実際、勘当された時期もあった。
しかしヒトの心は不思議なもので、6月に亡くしてからは
見事に記憶が昇華されてしまったせいか、悪い思い出が出て来ない。

その父に、戦中戦後を共に苦労して育った兄姉がいて、
今も近くに生活している。自分にとってもかけがいのない
親戚であり、人生の先輩達である。

そんな彼らが数年前、些細な感情のすれ違いからお互い
一切の連絡を絶つに至った。
昔の苦労に立ち会っていない自分には事の仔細を知る由もないが、
生きているからこその諍いではないのか。

悲惨な戦争を体験しつつも命を永らえ、
苦労を重ねつつも子宝に、孫に、曾孫にも恵まれ、
賑やかに暮らせる今を共に感謝し、喜び合う日が訪れることを
心から願ってやまない。

せめて今、生きているというこの事実を、
また、同じ時間と空間をともに共有しているという事実を
素直に感謝できる人間でありたい。

生まれたとき、一番最初に築き上げる人間関係が親子であり、
兄弟であったことも忘れてはならない。

秋の夜長に任せて、生意気なことを書き連ねた。
草葉の陰から怒鳴られそうである。
虫の声にでも紛らしていただきたい。


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出合ったのは28年前だったか

2004年11月08日 | Weblog
機会を得てイーグルスのライブをしかも最前列で観る事ができた。
イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を初めて聴いたのが
中学校時代だった。奇しくも会場で中学校時代の親友と再会を
果たした。

中学校卒業後すぐに引越しをした自分は、同級生たちとの交流が
ほぼ途絶えていた。
今夜は、思い出す事柄が多すぎて、眠れそうにない。
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ひさびさの、熱。

2004年11月03日 | Weblog
昨日、午後からなんだか身体がおかしいなと思い、早めに帰宅して
熱を測ったら、38.4度。「あ~、ひさびさに熱でた。」って感じで
すぐにベッドへ。今日の夕方までほとんど寝てました。よく寝た~。
まだ若干の頭痛は残っているものの、熱は下がったので明日からは
復活の予定。素直に寝ることも大事だよねたまには。
(反面、やることが溜まりすぎててけっこうあせってたりする。)
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たまには熱帯魚屋もいいかも

2004年11月01日 | Weblog
久しぶりに一社の熱帯魚屋さんに行って来ました。
熱帯魚屋さんは、子供にとってはある意味水族館と同じ。
目を輝かせていろんな魚を覗き込んでいました。
海水魚の綺麗さにかなり揺れましたが、設備が高価だし、
世話も大変そうなので、自粛。でも今日は、
グッピーとカージナルテトラと小さいエンゼルフィッシュと
クリスタルキャットと縞どじょうを購入。
殺風景だった3つの水槽はがぜんにぎやかになってきました。

子供に生き物の世話を強要する気もないし、その必要も
ないと思っているので、カブトムシやクワガタムシを
捕まえてきても(夏にはけっこう採りに出かけるんです。実は。
子供抜きで。夜中に。)自分で世話をしていたのですが、
いつの間にか今年は子供だけで世話をしていて、生まれてきた幼虫の
世話もまめにやっているようです。
魚達も、最初は自分だけで世話をしていたのですが、いつの間にか
子供が餌をやっていたり、死んでしまった魚を庭に埋葬していたり。

そうやって小さな命を大切にすることを覚えていってくれたら、
なんて都合のいいことを考えるときもありますが、
強要はしないでおこうと、改めて誓うのでした。

写真は、友人が昨年の春に瀬戸の岩屋堂ですくって来た2~3cmほどの
タモロコの子を、世話できないからということで譲り受け、今では
10cmほどに成長したものです。

カミナリすごいね。今夜は。
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