水分橋(みずわけばし)

2014年02月12日 | Weblog

生まれ育った守山区に接するところにありながら、交通の便が悪いせいか、

このあたりの地理にはどちらかというと暗い方でした。

 

漠然と、庄内川と矢田川が合流するあたりの橋、矢田川花火が催される場所

(いまはもう催されなくなってしまったが)、という程度の認識だったのです。

 

庄内川と矢田川が合流するのに「水分(みずわけ)」とはこれいかに。

 

時は江戸時代にさかのぼります。

 

(今の)名古屋西部の灌漑のための庄内用水、黒川を経由した名古屋城の堀への導水からの堀川へ。

このために庄内川から取水が計画されました。

庄内川の流れを分けて取水する。そういう意味合いの「水分(みずわけ)」でした。

 

庄内川から取水するためには、庄内川の水位を上げるための堰が必要となります。

その堰を作る大規模な土木工事が行われ、結果川底が一部かさ上げされました。

ここの堰を利用して架けられた橋が水分橋(みずわけばし)です。

 

さらに興味深いことに、この庄内川から取水された水、矢田川を通り越して黒川に流れます。

わざわざ矢田川の川底をくぐって流れるように作られているのです。江戸時代にです。

 

矢田川から取水すれば楽やん。

 

確かに。しかしそこは矢田川。

上流には瀬戸。

昔から陶器作りが盛んな地域です。

そこから流れてくる川は、今でこそ澄んだ水が流れていますが、私が子供のころまでは白く濁った水が

流れていました。こんな川から取水しては用水の底にすぐ白い粘土がたまってしまいます。

だからあえて矢田川と合流する前の庄内川から取水し、矢田川をくぐって流していました。

 

このあたりとても興味深い地形と歴史です。現地調査も含め、もっと詳しく調べていきたいと思っています。

 

ちなみに水分橋のすぐ南、矢田川にかかる三階橋(さんがいばし)も時を同じくして架けられました。

矢田川をくぐる水路が1階。矢田川が2階。その上に架かる橋だから三階橋です。

 

わくわくする話です。

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瑞穂総合運動場にある遺跡

2014年02月07日 | Weblog

今回は郷土研究部です。

 

何度か訪れてはいるものの、遺跡を意識して訪れるのは今回が初。

実は瑞穂運動場内には、重要な遺跡が3つあります。

1つ目は、瑞穂古墳群のうちの第二号墳と呼ばれる墳丘。

2つ目は、下内田貝塚。

これは実際にはこの立札のみが残されています。

3つ目、これはかなりまとまった集落の跡らしい大曲輪貝塚。

ここからはなんと縄文時代とみられる人骨がほぼ完全な形で発見されています。

実物は名古屋市博物館に保存されているが、ここにも当時発見された形で

レプリカが置かれています。

縄文時代だけでなく、中世までのかなり長い間、集落が続いていた跡が見られる複合遺跡。

貝塚があるということは、この辺りまで海岸だったことを裏付ける遺跡。

すぐ北側に汐路町という地名が残っている点も興味深いですね。

山崎川の古代の河口にあたる場所だったのでしょうか。

確かに、瑞穂総合運動場のある場所は、西、北、東側の三方を丘陵地に囲まれた位置にあります。

そしてこの集落、熱田神宮の創建に深くかかわった尾張氏との関係も深いといわれています。

 

まだまだ一人郷土研究部の調査は始まったばかりだが、このあたりの土地、町の成り立ちを

探る上でとても意義深い一歩だったと、一人悦に入るのでした。

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感謝状

2014年02月01日 | Weblog

先ほど、市の文化会館で表彰式があり、受け取ってまいりました。

保育園を運営する社会福祉法人の理事を続けてきたことによるものです。

実際には大した貢献もしていないのに、恐縮なことです。

 

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