なんて言葉は誰が考えたのでしょう。
私は誰にも絶対そんな言葉はかけない。
よくがんばったね。
それで十分じゃないか。
その存在を知ったのは小学生の頃。
しかし、その頃の志段味地区は、山。森。雑木林。
小学生の手におえる地域ではなかった。
最近、宅地造成が進み、そのための再調査や再発掘が行われ、
俄然、全国的に注目を浴びている。
遺物の数々が名古屋市博物館の常設展に加えられたことを知り、
行ってみることに。
ガイドをしておられた方と、守山区の古墳の話で大いに盛り上がり、
志段味大塚古墳はちょうど今、発掘が行われているので機会があればぜひという言葉を受け、
午後から早速行ってみた。
帆立貝式古墳と呼ばれる前方後円墳の一種。
その後円部の発掘現場。
葺石(ふきいし)と円筒型埴輪が確認できる。
さらに前方部を墳丘頂上より。
大正12年に京都大学によって発掘調査が行われ、石室2室が確認された。
その時に、馬具や刀剣など出土したらしいが、現在どこにあるかは不明らしい。
発掘を行っている方々から興味深い話もたくさん聞くことができ、
実に充実した成果を得ることができた。と思う。
今日は仕事を早く切り上げて、灼熱の中、別荘地のような池までサイクリング。
そして散歩。
帰りにナフコで買い物をして、数kgの荷物を背負って帰り道。
パンク。
荷物が重すぎたのか、そもそもの体重が重すぎたのか・・・。
久々にバドミントンでした。
ほんの2時間なのに、これが結構な運動量。
そして今回は、あれ?新顔。
近くで見るとよく知った顔。
ともに少年野球のコーチとして頑張った仲間ではないですか。
奥様もよく知ってますよ。
後で聞いた話では、バド部部長のときちゃんと古いつきあいなのだとか。
ともあれ、多少は減量に役立ったかな。
生まれ育った守山区に接するところにありながら、交通の便が悪いせいか、
このあたりの地理にはどちらかというと暗い方でした。
漠然と、庄内川と矢田川が合流するあたりの橋、矢田川花火が催される場所
(いまはもう催されなくなってしまったが)、という程度の認識だったのです。
庄内川と矢田川が合流するのに「水分(みずわけ)」とはこれいかに。
時は江戸時代にさかのぼります。
(今の)名古屋西部の灌漑のための庄内用水、黒川を経由した名古屋城の堀への導水からの堀川へ。
このために庄内川から取水が計画されました。
庄内川の流れを分けて取水する。そういう意味合いの「水分(みずわけ)」でした。
庄内川から取水するためには、庄内川の水位を上げるための堰が必要となります。
その堰を作る大規模な土木工事が行われ、結果川底が一部かさ上げされました。
ここの堰を利用して架けられた橋が水分橋(みずわけばし)です。
さらに興味深いことに、この庄内川から取水された水、矢田川を通り越して黒川に流れます。
わざわざ矢田川の川底をくぐって流れるように作られているのです。江戸時代にです。
矢田川から取水すれば楽やん。
確かに。しかしそこは矢田川。
上流には瀬戸。
昔から陶器作りが盛んな地域です。
そこから流れてくる川は、今でこそ澄んだ水が流れていますが、私が子供のころまでは白く濁った水が
流れていました。こんな川から取水しては用水の底にすぐ白い粘土がたまってしまいます。
だからあえて矢田川と合流する前の庄内川から取水し、矢田川をくぐって流していました。
このあたりとても興味深い地形と歴史です。現地調査も含め、もっと詳しく調べていきたいと思っています。
ちなみに水分橋のすぐ南、矢田川にかかる三階橋(さんがいばし)も時を同じくして架けられました。
矢田川をくぐる水路が1階。矢田川が2階。その上に架かる橋だから三階橋です。
わくわくする話です。
今回は郷土研究部です。
何度か訪れてはいるものの、遺跡を意識して訪れるのは今回が初。
実は瑞穂運動場内には、重要な遺跡が3つあります。
1つ目は、瑞穂古墳群のうちの第二号墳と呼ばれる墳丘。
2つ目は、下内田貝塚。
これは実際にはこの立札のみが残されています。
3つ目、これはかなりまとまった集落の跡らしい大曲輪貝塚。
ここからはなんと縄文時代とみられる人骨がほぼ完全な形で発見されています。
実物は名古屋市博物館に保存されているが、ここにも当時発見された形で
レプリカが置かれています。
縄文時代だけでなく、中世までのかなり長い間、集落が続いていた跡が見られる複合遺跡。
貝塚があるということは、この辺りまで海岸だったことを裏付ける遺跡。
すぐ北側に汐路町という地名が残っている点も興味深いですね。
山崎川の古代の河口にあたる場所だったのでしょうか。
確かに、瑞穂総合運動場のある場所は、西、北、東側の三方を丘陵地に囲まれた位置にあります。
そしてこの集落、熱田神宮の創建に深くかかわった尾張氏との関係も深いといわれています。
まだまだ一人郷土研究部の調査は始まったばかりだが、このあたりの土地、町の成り立ちを
探る上でとても意義深い一歩だったと、一人悦に入るのでした。
先ほど、市の文化会館で表彰式があり、受け取ってまいりました。
保育園を運営する社会福祉法人の理事を続けてきたことによるものです。
実際には大した貢献もしていないのに、恐縮なことです。
仕事で、高校生に向けて大学内の素顔を紹介するための
小さな見開きの冊子のようなビラのようなものの作成を
一人で担当させてもらっています。
今日の昼間も学生たちの笑顔の写真を選びながら一人で
ニヤニヤしておりました。
やっぱり自分は、ひとの笑顔に接するのがよほど好きなようです。
あ、この写真はオマケです。
ご無沙汰しておりました。
たまには投稿しなければと思いつつ、なんとログイン用のパスワードを忘れて右往左往する毎日でした。
ついに突き止めた。自分のパスワード。
ところで昨年末、新たに導入したベース。
新たな活動を開始したバンド「spirits」で使うために導入したのがこの「Bacchus」。
どれだけ酒好きやねん。って話でした・・・。