①世田谷区立駒繋小学校 世田谷区下馬1丁目
②世田谷区立明正小学校 世田谷区成城3丁目
③世田谷区立京西小学校 世田谷区用賀4丁目
④世田谷区立九品仏小学校 世田谷区奥沢8丁目
⑤世田谷区立城山小学校 世田谷区梅丘2丁目
⑥渋谷区立臨川小学校 渋谷区広尾1丁目
⑦渋谷区立常磐松小学校 渋谷区東1丁目
⑧渋谷区立長谷戸小学校 渋谷区恵比寿西1丁目
⑨渋谷区立加計塚小学校 渋谷区恵比寿4丁目
⑩渋谷区立富谷小学校 渋谷区上原1丁目
読みなど
① こまつなぎ 昭和15年4月開校。校名は近くの駒繋神社に因む。
② めいせい 昭和28年4月開校。校名は建学の精神「明るく」「正しく」に由来。
③ きょうさい 明治12年12月 京西学校創立。昭和16年4月 東京市京西国民学校と改称。校名は,伊藤博文が命名したという。同校の北東の方角に,昭和54年11月11日に造られた石碑がある。その石碑には「伊藤博文公の命名になり,明治十二年十二月十日瀬田用賀に村民の熱意と協力とにより用賀村千二百九十三番地に開校」と記されている。京西は東京の西部に位置するとの意か。
④ くほんぶつ 昭和27年4月設立。校名は,近くにある九品仏浄真寺に因む。近くに東急大井町線の九品仏駅(昭和4年11月 開業)や暗渠化された九品仏川緑道(東急東横線自由が丘駅南口)がある。地名ではない。九・品は呉音。
⑤ じょうやま 昭和35年4月開校。校名は世田谷城(世田谷城阯公園)に因む。
⑥ りんせん 「臨川」は,高い所から渋谷川を見おろすという意味で付けられたといわれているが,臨済宗のお寺であった祥雲寺の部屋を借りて開校したことから,その「臨」の字をとって付けられたともいう。
⑦ ときわまつ 大正14年12月 豊多摩郡渋谷町大字渋谷字常盤松(明治22~昭和3)に開校。昭和3年,常盤松が町名になる際,「盤」の字は割れるので縁起が悪いとして「磐」の字に改め,常磐松町(~41)となる。町名の由来は,千両の価値があるほどの常盤松と称する古木があったことによるという。常磐松町は消滅したが,小学校のほか,マンションなどにその名を残す。
⑧ ながやと 明治45年4月,豊多摩郡渋谷町立臨川第二尋常小学校として開校し,大正5年5月,校名を所在地の渋谷町大字下渋谷字長谷戸からとり「豊多摩郡渋谷町立長谷戸尋常小学校」と改称。長谷戸の地名は代官山から下る「長」い「谷」の入口「戸」に由来するともいわれる。同校は草川信(1893~1948)が教師として在職中に「夕焼け小焼け」を作曲したことから「夕焼け小焼けの小学校」として知られる。長谷戸は昭和3年に長谷戸町となったが,昭和43年に消滅した。
⑨ かけづか 大正8年4月 豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字欠塚に開校。「校名由来」の石碑には「昔,この附近一帯に小円墳群がありその一つが缺けていたことから,このあたりを缺塚と呼ばれたと伝えられる。缺塚の名は江戸初期,下渋谷村小字缺塚として存在した。この史実から校名を決定した」とある。
⑩ とみがや 昭和6年4月 東京府豊多摩郡代々幡(よよはた)町大字代々木字富ケ谷に町立富谷尋常小学校として開校。翌年10月 東京市編入と共に東京市富谷尋常小学校と名称変更。当校の所在地名も渋谷区代々木富ケ谷町となる。
②世田谷区立明正小学校 世田谷区成城3丁目
③世田谷区立京西小学校 世田谷区用賀4丁目
④世田谷区立九品仏小学校 世田谷区奥沢8丁目
⑤世田谷区立城山小学校 世田谷区梅丘2丁目
⑥渋谷区立臨川小学校 渋谷区広尾1丁目
⑦渋谷区立常磐松小学校 渋谷区東1丁目
⑧渋谷区立長谷戸小学校 渋谷区恵比寿西1丁目
⑨渋谷区立加計塚小学校 渋谷区恵比寿4丁目
⑩渋谷区立富谷小学校 渋谷区上原1丁目
読みなど
① こまつなぎ 昭和15年4月開校。校名は近くの駒繋神社に因む。
② めいせい 昭和28年4月開校。校名は建学の精神「明るく」「正しく」に由来。
③ きょうさい 明治12年12月 京西学校創立。昭和16年4月 東京市京西国民学校と改称。校名は,伊藤博文が命名したという。同校の北東の方角に,昭和54年11月11日に造られた石碑がある。その石碑には「伊藤博文公の命名になり,明治十二年十二月十日瀬田用賀に村民の熱意と協力とにより用賀村千二百九十三番地に開校」と記されている。京西は東京の西部に位置するとの意か。
④ くほんぶつ 昭和27年4月設立。校名は,近くにある九品仏浄真寺に因む。近くに東急大井町線の九品仏駅(昭和4年11月 開業)や暗渠化された九品仏川緑道(東急東横線自由が丘駅南口)がある。地名ではない。九・品は呉音。
⑤ じょうやま 昭和35年4月開校。校名は世田谷城(世田谷城阯公園)に因む。
⑥ りんせん 「臨川」は,高い所から渋谷川を見おろすという意味で付けられたといわれているが,臨済宗のお寺であった祥雲寺の部屋を借りて開校したことから,その「臨」の字をとって付けられたともいう。
⑦ ときわまつ 大正14年12月 豊多摩郡渋谷町大字渋谷字常盤松(明治22~昭和3)に開校。昭和3年,常盤松が町名になる際,「盤」の字は割れるので縁起が悪いとして「磐」の字に改め,常磐松町(~41)となる。町名の由来は,千両の価値があるほどの常盤松と称する古木があったことによるという。常磐松町は消滅したが,小学校のほか,マンションなどにその名を残す。
⑧ ながやと 明治45年4月,豊多摩郡渋谷町立臨川第二尋常小学校として開校し,大正5年5月,校名を所在地の渋谷町大字下渋谷字長谷戸からとり「豊多摩郡渋谷町立長谷戸尋常小学校」と改称。長谷戸の地名は代官山から下る「長」い「谷」の入口「戸」に由来するともいわれる。同校は草川信(1893~1948)が教師として在職中に「夕焼け小焼け」を作曲したことから「夕焼け小焼けの小学校」として知られる。長谷戸は昭和3年に長谷戸町となったが,昭和43年に消滅した。
⑨ かけづか 大正8年4月 豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字欠塚に開校。「校名由来」の石碑には「昔,この附近一帯に小円墳群がありその一つが缺けていたことから,このあたりを缺塚と呼ばれたと伝えられる。缺塚の名は江戸初期,下渋谷村小字缺塚として存在した。この史実から校名を決定した」とある。
⑩ とみがや 昭和6年4月 東京府豊多摩郡代々幡(よよはた)町大字代々木字富ケ谷に町立富谷尋常小学校として開校。翌年10月 東京市編入と共に東京市富谷尋常小学校と名称変更。当校の所在地名も渋谷区代々木富ケ谷町となる。
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