長くて、つまんないから、
携帯でブログをご覧の方は読まれない方がいいと思います。
今から19年も前の話です。
実話です。
千葉大学を卒業したあと、
ボクはハワイ大学の熱帯園芸植物生理学教室に所属しておりました。
ボクがDr.Sagawa宅へ居候しはじめた当時は、Dr.Sagawaのご令嬢がいらっしゃいましたが、その後、英国の大学へ行かれたため、少しの間は先生と二人暮らしだったのです。
1ヶ月後、タイからスーパ・シーポーシャロエンさんという女史がこられ、
先生宅へトミーと同様、居候されたのでした。
タイのスーパさんが来られてからは、先生宅で居候が二人になったので、
米国人の先生と、タイ人のスーパさんと、日本人のボクという
多国籍軍のような共同生活になってしまったのです。
その後、おかしな英語で、話し合う度に、
スーパさんはなぜか?ボクのことを大変気にいってくださって、
お昼のランチ時になると、大学のカフェテリアはあまり美味しくないとのことで、
大学郊外へ、わざわざランチのために連れていってくださるのです。
タイ料理・ベトナム料理・チャモロ料理などの本当の美味しさを発見できたのは、
スーパさんのお陰だと思います。
当時、彼女はタイ・バンコクにおいて大会社の副社長という立場だったので、
完全に貧乏学生であったボクはヒモ状態のような
ランチ小旅行のお付き合いの毎日でした(笑)。
ボクはスーパさんのことを姉貴のような存在として認識しておりましたので、
恋愛感情というものは全く存在せず、同じ屋根の下で暮らす同居人の
イメージが強く、仲良くなればなるほど、8歳?くらい年上の姉貴っていう
心強い仲間意識を持っておりました。
渡米する以前、ボクは千葉大学でずいぶん勉強しておりましたので、
スーパさんも心強かったんでしょうね。
最先端技術の全てを彼女にお伝えしていたんですから、・・・。
そんな感じで、様々な出逢いと出来事を体験して、
ボクの青春時代に多大な影響を及ぼして下さったのです。
当時の米国時代のお陰で、今のボクが存在しているんだと思います。
それがボクの近年における最大のベースになっているようです。
お互い、無事に日本・タイに帰国したあとも、
国際電話でたわいのないことをおしゃべりする
姉弟のような関係がずっと続いておりました。
いまだに洋ランの仕入れで、タイに行ったときは、
彼らご夫婦で大歓迎のお持てなしをしてくださいます。
いまや、とんでもない大企業に成長されて、
そんじゃそこらのお金持ちとは訳が違います。
ボクがお金持ちに固執しないわけはここにあるのかもしれません。
彼らの生活は、それはそれは異次元で、高級外車がいっぱいあって、
お手伝いさんもたくさんいらっしゃって、
まるでアメリカンドリームっていう感じなんですが、
その反面、それらを維持するための彼らの苦悩や大変さは友達であるが故、
手に取るようにわかるので、ボクは正反対の人生を歩んできた感があります。
あるとき、バンコクでスーパさんのご主人さんのお友達たちと
結構、飲みに飲みまくっておりました。
彼らの豪邸へ帰宅後、ボクは、何を思ったのか?
「ドリアンが食べたいよん」
と言ってしまい、彼らはわざわざ隣の村まで、
ドリアンを買いに走って下さったのでした。
「Masa、おまえのためにドリアン買ってきてやったぞ~」
とげとげの異臭を放つでっかい果実がキッチンテーブルの上に置かれました。
へ~、これが果物の王様のドリアンね。
「食べろ、食べろ! うまいだろ?(アロイマア~?)」
半分は食べたのかな? やはりわざわざボクのために用意して下さったので、
ふくれたお腹をさすりながら、必死に食べた記憶が残っています。
その後、シャワーを浴びて、ベットにつくと、なにやら、
身体に大異変が起こったのです。
いま思い出しても、恐すぎる異変でした、・・・。(続く)。
携帯でブログをご覧の方は読まれない方がいいと思います。
今から19年も前の話です。
実話です。
千葉大学を卒業したあと、
ボクはハワイ大学の熱帯園芸植物生理学教室に所属しておりました。
ボクがDr.Sagawa宅へ居候しはじめた当時は、Dr.Sagawaのご令嬢がいらっしゃいましたが、その後、英国の大学へ行かれたため、少しの間は先生と二人暮らしだったのです。
1ヶ月後、タイからスーパ・シーポーシャロエンさんという女史がこられ、
先生宅へトミーと同様、居候されたのでした。
タイのスーパさんが来られてからは、先生宅で居候が二人になったので、
米国人の先生と、タイ人のスーパさんと、日本人のボクという
多国籍軍のような共同生活になってしまったのです。
その後、おかしな英語で、話し合う度に、
スーパさんはなぜか?ボクのことを大変気にいってくださって、
お昼のランチ時になると、大学のカフェテリアはあまり美味しくないとのことで、
大学郊外へ、わざわざランチのために連れていってくださるのです。
タイ料理・ベトナム料理・チャモロ料理などの本当の美味しさを発見できたのは、
スーパさんのお陰だと思います。
当時、彼女はタイ・バンコクにおいて大会社の副社長という立場だったので、
完全に貧乏学生であったボクはヒモ状態のような
ランチ小旅行のお付き合いの毎日でした(笑)。
ボクはスーパさんのことを姉貴のような存在として認識しておりましたので、
恋愛感情というものは全く存在せず、同じ屋根の下で暮らす同居人の
イメージが強く、仲良くなればなるほど、8歳?くらい年上の姉貴っていう
心強い仲間意識を持っておりました。
渡米する以前、ボクは千葉大学でずいぶん勉強しておりましたので、
スーパさんも心強かったんでしょうね。
最先端技術の全てを彼女にお伝えしていたんですから、・・・。
そんな感じで、様々な出逢いと出来事を体験して、
ボクの青春時代に多大な影響を及ぼして下さったのです。
当時の米国時代のお陰で、今のボクが存在しているんだと思います。
それがボクの近年における最大のベースになっているようです。
お互い、無事に日本・タイに帰国したあとも、
国際電話でたわいのないことをおしゃべりする
姉弟のような関係がずっと続いておりました。
いまだに洋ランの仕入れで、タイに行ったときは、
彼らご夫婦で大歓迎のお持てなしをしてくださいます。
いまや、とんでもない大企業に成長されて、
そんじゃそこらのお金持ちとは訳が違います。
ボクがお金持ちに固執しないわけはここにあるのかもしれません。
彼らの生活は、それはそれは異次元で、高級外車がいっぱいあって、
お手伝いさんもたくさんいらっしゃって、
まるでアメリカンドリームっていう感じなんですが、
その反面、それらを維持するための彼らの苦悩や大変さは友達であるが故、
手に取るようにわかるので、ボクは正反対の人生を歩んできた感があります。
あるとき、バンコクでスーパさんのご主人さんのお友達たちと
結構、飲みに飲みまくっておりました。
彼らの豪邸へ帰宅後、ボクは、何を思ったのか?
「ドリアンが食べたいよん」
と言ってしまい、彼らはわざわざ隣の村まで、
ドリアンを買いに走って下さったのでした。
「Masa、おまえのためにドリアン買ってきてやったぞ~」
とげとげの異臭を放つでっかい果実がキッチンテーブルの上に置かれました。
へ~、これが果物の王様のドリアンね。
「食べろ、食べろ! うまいだろ?(アロイマア~?)」
半分は食べたのかな? やはりわざわざボクのために用意して下さったので、
ふくれたお腹をさすりながら、必死に食べた記憶が残っています。
その後、シャワーを浴びて、ベットにつくと、なにやら、
身体に大異変が起こったのです。
いま思い出しても、恐すぎる異変でした、・・・。(続く)。