感想になっていないかもしれないけど、
ボクの素直な想い。
キリスト教はボクのベースだから、なんか微妙。
トムハンクスは立派な俳優さん。
映画の構成。
流れなど素晴らしいと想う。
でも幼稚園のときだけでもクリスチャンだったから。
やはり微妙。
トムハンクスさんがパンフレットでこう表現していた。
これは『フィクション』だからね。
そう、フィクションとわかっていても、
伝統を護っていかなければいけない側と、
そうではない側の戦い。
双方の人間の致し方ない決断?と行動論理が微妙。
要は個それぞれの哲学のもちかたが大切であって、
ボクはボクの考えを他人様に強要しようとは念わない主義。
むやみな戦いは好きではない。
でも戦いに巻き込まれたら、DNAの命令に従ってしまうかもしれない。
最後は理性VS本能でしょ?
イデオロギーの違いで、流血戦にもっていくのは、やはり下品極まりないと想う。
結局、権力や金やイデオロギーに『固執』するから、
ヒトはおかしくなる。
狂いたくなければ、TPOに応じて『固執』する気持ちを、
瞬時に捨て去る『勇気』が必要なんだろうね。
最終的に、自分の存在価値をどう解釈するか?
さらに欲望が出てくる根源的な理由を知るべきなんじゃないかな?
すべてバランスが大切。
臨機応変にいい意味で、どちらかに偏ることを避けていけたら、いいんだと想うょ。
ねっ!映画の感想になっていないでしょ?
神とはなにか?
キリストは神ではなかったのか?
キリストの末裔がいるのかどうかなんて、
ボクには固執できない事象かもしれない。
だから微妙。
ボクの素直な想い。
キリスト教はボクのベースだから、なんか微妙。
トムハンクスは立派な俳優さん。
映画の構成。
流れなど素晴らしいと想う。
でも幼稚園のときだけでもクリスチャンだったから。
やはり微妙。
トムハンクスさんがパンフレットでこう表現していた。
これは『フィクション』だからね。
そう、フィクションとわかっていても、
伝統を護っていかなければいけない側と、
そうではない側の戦い。
双方の人間の致し方ない決断?と行動論理が微妙。
要は個それぞれの哲学のもちかたが大切であって、
ボクはボクの考えを他人様に強要しようとは念わない主義。
むやみな戦いは好きではない。
でも戦いに巻き込まれたら、DNAの命令に従ってしまうかもしれない。
最後は理性VS本能でしょ?
イデオロギーの違いで、流血戦にもっていくのは、やはり下品極まりないと想う。
結局、権力や金やイデオロギーに『固執』するから、
ヒトはおかしくなる。
狂いたくなければ、TPOに応じて『固執』する気持ちを、
瞬時に捨て去る『勇気』が必要なんだろうね。
最終的に、自分の存在価値をどう解釈するか?
さらに欲望が出てくる根源的な理由を知るべきなんじゃないかな?
すべてバランスが大切。
臨機応変にいい意味で、どちらかに偏ることを避けていけたら、いいんだと想うょ。
ねっ!映画の感想になっていないでしょ?
神とはなにか?
キリストは神ではなかったのか?
キリストの末裔がいるのかどうかなんて、
ボクには固執できない事象かもしれない。
だから微妙。
画像は、昨夜、落胆したあと立ち直るための続きもの。
いまは電車のなか。
移動しているときしか、ブログはなかなかかけない。
ボクの前腕部は、20年前と比較すると、2/3~1/2程に痩せ細ってしまった。
それは腕立て伏せや懸垂をする余裕がないから。
プロテインを飲むゆとりもない。自分で見て情けなくなる。
手首は昔、巻き藁や拳立てで鍛えたから、いまだに瞬時固めることができる。神経系が記憶しているようだ。
拳も同じ。拳の握りかたを手の平が記憶している。
たかがゲンコツ。
されどゲンコツ。
拳、ひとつ完成させるのにも結構、年月がかかる。
手の甲に見える骨、特に人差し指と中指の骨が前腕部の中央にくるようにしなければいけないのだ。
少しでもずれてしまうと、力のモーメントは分散してしまう。
さらに人差し指と中指の付け根にある間接、なんて呼ぶんだろう?ボクたちは拳頭?ケントウといっていた。握ったときに、この二つの部位だけが突き出るような拳を作る。この部位だけで打撃エネルギーを伝えるのである。
握り拳全体で殴るなんて、青春ドラマのワンシーンだからこそ、茶番劇的な拳Scene。
戦いは、エネルギー浪費をいかに少なく抑え、瞬間的な爆発力で、小さなポイント(ヒコウ)を通じて、いかにDamageを与えるか?というところに戦いの美学がある。
だからこの拳の形だけで、達人かどうかわかるもの。
ボクの拳は未完成。
まだまだ。美しくない。
極めたひとの拳は、手首、前腕部などすべて美しく見えるものである。
だから電車内で、携帯でブログを打ちながら、余った片手で拳の握り度合いをチェックしている。
知らない人が見たら、アブナイオヤジに見えているんでしょうね(汗)。
なんのためにトレーニングするのか?愛する人達が危険に遭遇したときに立ち向かう勇気と最低の技を身につけておくためだ。
いまは電車のなか。
移動しているときしか、ブログはなかなかかけない。
ボクの前腕部は、20年前と比較すると、2/3~1/2程に痩せ細ってしまった。
それは腕立て伏せや懸垂をする余裕がないから。
プロテインを飲むゆとりもない。自分で見て情けなくなる。
手首は昔、巻き藁や拳立てで鍛えたから、いまだに瞬時固めることができる。神経系が記憶しているようだ。
拳も同じ。拳の握りかたを手の平が記憶している。
たかがゲンコツ。
されどゲンコツ。
拳、ひとつ完成させるのにも結構、年月がかかる。
手の甲に見える骨、特に人差し指と中指の骨が前腕部の中央にくるようにしなければいけないのだ。
少しでもずれてしまうと、力のモーメントは分散してしまう。
さらに人差し指と中指の付け根にある間接、なんて呼ぶんだろう?ボクたちは拳頭?ケントウといっていた。握ったときに、この二つの部位だけが突き出るような拳を作る。この部位だけで打撃エネルギーを伝えるのである。
握り拳全体で殴るなんて、青春ドラマのワンシーンだからこそ、茶番劇的な拳Scene。
戦いは、エネルギー浪費をいかに少なく抑え、瞬間的な爆発力で、小さなポイント(ヒコウ)を通じて、いかにDamageを与えるか?というところに戦いの美学がある。
だからこの拳の形だけで、達人かどうかわかるもの。
ボクの拳は未完成。
まだまだ。美しくない。
極めたひとの拳は、手首、前腕部などすべて美しく見えるものである。
だから電車内で、携帯でブログを打ちながら、余った片手で拳の握り度合いをチェックしている。
知らない人が見たら、アブナイオヤジに見えているんでしょうね(汗)。
なんのためにトレーニングするのか?愛する人達が危険に遭遇したときに立ち向かう勇気と最低の技を身につけておくためだ。