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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

真実に墨

2021年09月08日 17時31分20秒 | 意識論関連

養老孟司は著作の内容に論理整合性が著しく欠けていて支離滅裂であることを指摘された時

私は教科書に墨を塗らされたんですよ」と言い出し

どうせ間違ってない本なんかないんだから 間違ってたら墨を塗れば良いんだ」という開き直りの屁理屈を展開したのである

そして 自分が指摘された間違いや論理整合性の欠落については全部無視し 一切訂正も修正もしていない

そのくせ「自分にとって都合の悪いことに耳を貸さない大人が多すぎる」などと言い出す始末である

多くのヒトは 養老の言っている内容の論理整合性には関心がない

ヒトというのは 論理整合性のある真実よりも その場限りに気分が良くなるような「信じたい話」だけを信じようとする習性があるからだ

嘘やデマか それとも論理整合性のある真実なのかは ヒトの多くは興味がない

だからこそ東大医学部の学生が地下鉄に毒ガスを撒いたり 自称メンタリストのDaiGoが身勝手なヘイトスピーチを始めたりするのである

自分のメンタルも理解していないバカがメンタリストを自称されても訳がわからない

学力偏差値も 大衆人気もアテにはならない

信頼性や真偽の基準にはならないのだ

だから個人が自律的に検証し 判断選択をしなければならないのである

個人の主観的な印象だけで判断しているからこそ 嘘やデマが見抜けなくなり 真実が撹乱されてしまうのである

 

養老はこうも言っている

客観的事実などない」と

その説明は主観的好き嫌いと客観的事実との混同やすり替えによるものであり これを指摘しても養老は一切耳を貸さないのである

都合の悪い話は全部無視するのが養老である

マスコミもバカなので 著作が売れて金が儲かりさえすれば「大先生」扱いし 何の疑いも持たなくなる

大きな利益を上げる「金づる」を わざわざ自分から手放すつもりはないのだ

そういう汚い手口で利益を優先しておいて NHKは平気で受信料を徴収するのである

 

こうした無責任な事象というのはNHKに限ったことではなく マスコミや各出版社においても同じことが言えるし

そもそも養老孟司に限ったことではなく プラトンだのニーチェだのカントだのマルクス:ガブリエルだのマイケル:サンデルだのといった「似非哲学」を鵜呑みにし 垂れ流し 金儲けを続けているのである

進化生物学における進化万能論 進化合目的説に基づいた論説を NHKは一切検証せずに「〇〇のために進化した」だとか「生存戦略」といった説明を続けているのである

そして 更科功による支離滅裂な「はぐらかし」の展開である

よくもまあ 誰も問題にしないものだなと

呆れるばかりである

 

 

Ende;


楽しくはない話

2021年09月08日 14時11分53秒 | 意識論関連

ヒトには先天的な社会形成習性というものがあって 自分が属する集団組織への迎合性とか忠誠忠実性を発揮するような行動バイアスが先天的に組み込まれているため

多数派に同調し 多数派の「常識」とか「因習」を鵜呑みにして形式的(表面的)に迎合することで あたかも自分の身の保身にでもなると「思って」いる

マナーというのは形式であるから 「ご苦労さまは上から目線」だとかいうデマであっても検証のしようがないので 誰も反証できず 鵜呑みにする以外にどうにもならない

「上から目線」かどうかは主張している奴の個人的主観や観念であって 客観的には論証も反証もできない

個人的な主観や感想で物を言っているだけなら 「へえ アンタはそう思ってるんだね でも全員がそう思うわけじゃないよね」で済む話なのだが それが社会的な「マナーだ」と言われてしまうと あたかも普遍的な根拠を伴うかのような感覚(錯覚)を促し 迎合せざるを得なくなる

外見的に「アイツはマナーを守らぬ傲慢な奴だ」と思われたくない強迫観念が優先してしまい 「そのマナーってほんとうかなぁ」という疑問を持つ精神的余裕を失い 鵜呑みにしてしまう

強迫観念に基づいて同調性や迎合性を発揮し 根拠のないデマや嘘だろうが鵜呑みにしてしまう習性がヒトにはある

更科功の「本来生物は、生きるために生きているのであって、生きる以上の目的はないのだろう。生きるために大切なことはあっても、生きるよりも大切なことはないのだろう。まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。」などというあやふやな根拠の乏しい「だろう話」であっても 多数から人気があれば科学的にも根拠が伴うはずだという錯覚によって 誰も批判をしなくなるのである

「生物学者であれば倫理の話には興味を持たなたくても良い」という話にはならない

「航空工学者が航空機の危険性に興味を持たなくて良い」という話にもならないし 「原子力の研究者が原発の危険性について言及しなくて良い」という話にもならないのと同じことである

そもそもダーウィンの進化論では生物には目的はなく あくまで自然現象の結果に過ぎないという意味で論じられているのであって これを「進化することが目的である」かのように曲解したからこそ優生学などというオカルトがでっちあげられたのである

にも関わらず 更科は「みなさんはダーウィンを曲解している」と言いながら 言っている内容は「生きる以上の目的はないのだろう」などという論理不明のはぐらかしである

にも関わらず「まあ、生きていれば、それだけで立派なものなのだ。」などと言われれば あたかも「自分も立派なものなんだな」という感覚に陥って主観的に満足するだけで 内容が少しも科学的でも論理客観的でもないことには意識が働かなくなる

そうやってヒトはバカになるのである

 

ヒトが求めているのは論理客観的根拠を伴った真実ではなく 主観的に気分が良くなる「信じたい話だけを信じようとする」だけなのである

フリードリヒ:ニーチェだのイマヌエル:カントだの養老孟司の著作というものは 論理客観的根拠に基づいた真実の論証ではなく あくまで大衆が抱く固定観念に迎合した根拠のない「多数が信じたがる話」を展開しているに過ぎない

根拠のない「線引き」の見本市や 勝手な「決め付け」の羅列であっても 大衆にとってはむしろ安心満足感を提供してしまうことによって「人気」を得ることが可能となるのである

生きているだけでも、立派なものなのだ。」だとか 「人間は叡智界に属しているのだ」だとか「できそうにないことは やらない方が良い」などと言われると バカは何も考えずに満足し 鵜呑みにする

「何も考えずに満足して鵜呑みにする」からバカなのである

ヒトとは 先天的に簡単にバカになる性質を持っていることを自覚すべきである

 

私は こんなバカげた説明をするのは楽しくもなければ意欲もわかない

東電社内で原発の津波に対する脆弱性を主張することも きっと楽しくなどなかっただろう

ナチス政権下のドイツでナチス政権に反対することも 楽しくなどなかろう

NASAのスペースシャトルが 低温によってパッキンが機能しなくなって危険であることをいくら上司に説明しても聞き入れてもらえなければ それはきっと楽しくなどなかろう

大多数のバカがバカげた話を鵜呑みにしている状況を放置するだけの無神経さを発揮するつもりなはない

たとえ野垂れ死にしてでもである

どうせ最後は全員死ぬのに 何でバカを放置しなければならないのかが 私には理解できないのである そこに何の合理性があると言うのであろうか

哲学や科学というのは スポーツや芸術とは違ってやならねばならぬことはやらなアカンのである

何が本当の「目的」なのかを忘れて 一体どこに向かうつもりか

ヒトの本能は奪い合いという「遺伝子レベルの貧乏性」によって利己的利益の追求や 嘘やデマの鵜呑みを平気でやらかすものである

こうした先天的な人間としての欠陥を補うことが出来るのは 論理客観的根拠に基づいた「本当の目的」を見極める能力である

「科学は悪だ 理性は悪だ オーガニックで自然なものは何でも全て安全だ」とでも思っておけば安心満足することも簡単だが 簡単だからこそイヌサフランをギョウジャニンニクと間違えて喰って死ぬのである

遺伝的進化が起きるためには 大量の死滅が必要であり 決して人間の文明社会で生ずることはない

淘汰圧力による収束が起きるためには 誰が死のうが誰が誰を殺そうが 全部放置し受容しなければならない

そこに「人間性」や「倫理」が伴うわけねぇだろ

バカバカしい

 

 


Ende;


文明の意義

2021年09月08日 11時45分44秒 | 意識論関連

「親は、子どもに学校に行って欲しいわけじゃなくて、『幸せになってほしい』と願っているはず。その最終目標を見失わないようにしたいですね」

ヨシタケシンスケ(絵本作家)

 

本当の目的を忘れて 目先の因習だの根拠のない常識に囚われてしまうから 子供を追い詰めてしまうことになる

ヒトはどうしても目先の感情に無意識に流されて本当に求めているものを忘れてしまう

「ヒトの意識の9割は無意識」と言われており 9割の情動に対して1割の目的意識を簡単に失う傾向が非常に強い

卑怯で卑劣なことをする奴からは逃げないと 逃げなかったことを事後正当化する形で自分まで卑怯で卑劣な奴になってしまう

イジメが蔓延している教室に迎合しても 人間性は養われない

イジメている奴をぶん殴っても「強い人間」にはなれず 同類になるだけである

なぜ卑怯なことや卑劣なことをする奴がいるのか その客観的な仕組みや原理や構造を分析することで 再発防止になり 被害を減らし 社会に貢献することも可能となる

失敗や間違いを認識し それに基づいて繰り返さないように教訓として知識財産とする それこそが本当の「文明」というものの意味

 

 

Ende;


先天的欠陥

2021年09月08日 10時51分30秒 | 意識論関連

悟性って どうやったら発揮できるんすかね

「理性を超越してる」って言いますけど どうして悟性の方が理性よりも上だって言えるんすかね

誰か論理的に説明してくれないんすかね

根拠がないんすよ

証拠もない

イマヌエル:カントの勝手な決め付けを鵜呑みにしているだけ

「俺様には悟性があるから優秀なんだ」って勝手に妄想勘違いして満足して その満足から疑うことを忘れて鵜呑みにする

主観的に「信じたいことを信じようとする」だけで 客観性をすっ飛ばし 論理の飛躍が生じる

これがヒトがバカになる根本的原因

目先の情動が優先して主観的感想だけで物事を判断し 自己客観性を喪失する

ヒトって動物っすから 情動で行動が促されるようになっていて この構造自体は変えようがない

だから脳みそが1.5リットルもあってもバカげたことを鵜呑みにできる

でも 一応脳みその容量自体はヒトであれば大体同じなので 主体的に「考える」ことができれば 論理客観性も発揮することは可能となる

バカにならずに済むこともできる

知識の「量」だとか 誰が決めたのかもわからない基準に基づいた学力偏差値だとかIQの話じゃありませんよ そういうのは先天的に得手不得手がありますし 一面的な認知能力の基準でしかありませんから

実際にIQだの学力偏差値が高くても進化生物学上の誤謬も哲学界のトンチンカンな話にも 誰も気づかないでしょ

「生きているだけでも、立派なものなのだ。」なんつう主観に基づく勝手な決め付けを科学的論証だと勘違いして誰も疑わない

 

動物である以上は 環境適応しないと死んじゃうんですね だから環境に適応して死なないような行動バイアスが組み込まれている

怖いことはしたがらない

逆に 怖くないことは平気でやる

これが動物的な行動バイアスであり 無意識というものです

テレビタレントとかスポーツ選手が相手だとマスコミはプライバシーもヘッタクレもなしにストーカーのようにつきまといますけど 相手が学術権威などの肩書があると急に言っている内容を全部鵜呑みにして「裏をとった」と勘違いする

品行方正にメールや書類で質問せずに 猿山のサルみたいに密集囲み取材を平気でやらかして 何とも思わない

上司から「何でも良いからコメント取ってこい」と言われれば 唯々諾々と非常識な取材も行える

やっていることは「日大アメフト部の部員と一緒だ」とは「思って」いない

報道であれば国家権力に屈しないことは重要ですけど 逆に報道内部の権力には簡単に屈し 唯々諾々と何かの宗教とか軍隊みたいにつきまとい行為を正当化できていると勘違いしている

SNS上での誹謗中傷とかネットイジメや「私刑」も一緒で 主観的な怒りを社会的正義だとすり替え勘違いすることでヘイトだのイジメだので個人弱者を集団組織的に攻撃する

みんなでやっていることは安心なので 怖くないので 平気でやる

逆に 権威に対して批判することは怖いので 勝てそうにないので 誰もやりたがらない

卑屈なんすけど 多数がそうなので 安心して卑屈な行動が採れる

「帰納的推論」の危険性ってのはそこにある

統計的多数が 論理客観的根拠を伴った真実であるかのように錯覚する危険性です

多数だと安心できる 脳というのはそういう仕組みになっている

ドーパミンが持つ常習性とは 行動を「整理」するという情動を作り出すものであり 麻薬中毒になるのも 「へずまりゅう」みたいに迷惑中毒になるのも 実証不能の観念に囚われ真実を見なくなるのも それが安心になるから

安心なものを失うと 恐怖になる

恐怖とは 安心なもの 好きなものを失う恐怖であって 好きではないものは失っても怖いとは感じない

麻薬中毒患者の禁断症状とは 麻薬に対する快楽を失う恐怖によるシーケンシャルな反射反応である

権威とは そもそも「信じておきたい相手」のことであって 盲目的に信じておける対象として「権威」を崇めることで安心する

ヒトは哺乳類ですから 産まれてくれば初期的には親を盲目的に信用するようにできていて それが大人になると続柄血縁を超えて「権威」に盲目的信頼が転移することで安心する

だから学術界が宗教のように盲目性を持ってしまい 批判精神を簡単に失う

学術界というものは 本来喧々諤々の批判や否定や議論の積み重ねによって磨かれるものであって 唯々諾々と権威に服従したら何の進歩もなくなり組織が腐敗するだけである

松沢哲郎による3億円超もの研究費不正利用が 松沢個人だけで行えたのかはわからないが ありていにいって組織的に腐敗していないと無理なんじゃないだろうか

わからないことはわからないのだが そもそも松沢が主張している「動物的な先天的本能習性から人間としての社会性を立証すること」は構造原理的に不可能であり ただの大衆迎合的なデマに過ぎない

チンパンジーがどういう行動したら チンパンジーの人間としての社会性が立証できるんすかね

チンパンジーの代わりに凶悪殺人犯を鋼鉄製のケージに入れて 凶悪殺人犯がどのような行動を採ったら 凶悪殺人犯の人間性が立証できると言うんですかね

これ 誰も答えないんすよ

なのにマスコミは「立証できたら素晴らしいですね」などと形容して訂正もしない

どこが「素晴らしい」んすかね

「素晴らしい」と主観的に形容しただけで 科学的な論理客観的根拠がないという事実は黙殺されてんすよ

バカな大衆は「研究費が足りないからだ」なんつう糞しょうもない養護をしますけど 不正をするような嘘つきが「人間としての社会性を立証する」なんつうのがペテンも甚だしいことには目をつぶりたがる

もはやカルト宗教の信者と一緒でしょ

気分的に安心なら ペテンでも何でも受け入れ正当化する

そして「自分だけは絶対に大丈夫だ」と満足する

 

 

 

Ende;