good day to Die

映画、ドラマ、小説、漫画、音楽についての感想等を
日記代わりに書いておくためのブログです。
ネタバレあり。

「インセプション」についていくつか

2010-07-25 18:21:54 | クリストファー・ノーラン監督
「インセプション」について、ネットで色々見てると、みなさん色々考察していてすごいなぁ、と思う。
私なんか大して疑問にも思わず、分かった気になってるけど、これはどうなんだ、あれはどうなんだ、と
人が疑問を呈しているのを読んで、初めてそこに疑問を感じるべきなのか、と知る始末。
いかに何も考えずに見ているかがバレる(笑)。

ネタバレあります。








1 第3層(雪山)での要塞爆破は何のために必要なのか?
2 コブが虚無に落ちたサイトーと巡り会うことが可能なのか?
3 最後に出て来た子どもたちは成長しているか?(最後は現実か、夢か)
そのあたりが主な疑問点なのかな?

1は、夢の中の人間を起こす(上の階層に戻す)ためには、上の階層からのキックが必要だけど、第3層から
落ちたロバートやコブ、アリアドネは単純に第4層に行ったのではなく、虚無に落ちたはずで、
虚無から戻るには虚無で自殺(他殺もいいのか?)すれば良くて、第3層からのキックは必要ないから、
要塞爆破による落下も不要じゃないか、という疑問なのかな。
上層階とのキックの連動で、虚無にいる人たちにキックを知らせるためとか…??
雪山パートは全部必要ないんじゃないのか、という感想の人が多くて、ちょっと監督やキャスト・スタッフに
同情したり…。
結構あの撮影は大変そうじゃん。
そのわりに景色は真っ白だし、キャストはゴーグルしてて誰が誰やらだけど…。


2は、虚無というのがいまいちハッキリしてないから、虚無でコブがサイトーを見つけ出せるのかはなんとも…。
虚無は、夢と違って、あの夢共有マシンを使わなくても、誰もが同じ世界につくということなんだっけ。
集合意識みたいな…。
同じ世界に落ちたのでなければ、コブがサイトーを見つけ出せるはずがないので、同じ世界ということ
なんだろう。←なんて適当な(笑)。

子どもたちが成長しているかどうかは、はっきりしないけど、コブが夢に見ていた姿とそれほど変わらず、
服装も同じように見える。
でも、コブが最後に子どもたちと会ってから、それほど時間が経っていないかもしれないから、子どもたちの
姿かたちがあまり変わってなくてもおかしくはない。

私は映画について、そういうものなんだろう、と思ってしまう適当な人間なので、あまり矛盾とか疑問とか
考えないんだよね…。
発展性がない…。

ディカプリオは、ちょっと浮いてたかもしれない。
他のメンバーに比べて、コブはあまりプロフェッショナルな感じがしないんだよね。
それはディカプリオの演技のせいというより、脚本のせいかもしれないけど。
ディカプリオは、やっぱり相当華のある役者で、一人で世界を作れてしまうと思うので、合わない作品だと
その映画自体をぶち壊しそう。
今回、ディカプリオのせいでこの映画がおかしくなったりはしてないけど、どうも他の役者とはカラーが
違っていたような…。
(その後ツイッターで、ノーラン監督がディカプリオにはあまり興味がなさげ、という人のツイートを読んで、
それがディカプリオの違和感の原因かもしれないと納得気味)
そして、やっぱりディカプリオは童顔だねぇ。パンフレットの最後の?写真なんか、ほんとかわいい顔で、
ちょっとかわいそうな気がした。
生まれ持った顔はどうにもならないんだけどね。

あと、やっぱりノーラン監督は女優を輝かせないよね。今回はそれほどでもなかったけど。
男優は魅力的に撮るのにねー。
コメント
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