その昔学生寮のあったころの話
「菅生の丘には蚊が多いんだよ」
「へ~?」
「とくにヤブが多くてね~!」
「・・・・・(ヤブ?)」
ちょっとした小噺おあとがよろしいようで・・・
そこでヤホーYahooで検索くん
ヤブ医者は「野巫医者(ヤブイシャ)」を語源としていているらしい
「野巫」は「田舎の巫医(ふい)」とも云われ
呪術で医療する田舎の医師のことらしい
ここで田舎いなかと連呼するとあまりよくないですが
ネットや辞書に記載されているのでご容赦ください
とにかく・・・・
あやしい呪術で治療行為を行うことから「いい加減な医者」
たったひとつの呪術でしか治療できないことから「下手な医者」
ここからこのような診療を行う医者を「野巫医者」と呼ぶようになった
でもそもそも「野巫」という言葉もつかわれることが少なく
ちょっと確実ではないかもしれませんとコメントあり
「野暮な医者」が転じて「ヤブ医者」という説もあります
いずれにしてもあまりいい印象なし
では続いて検索くん
「名医」とは?
それこそ「医術と人柄に優れた医師」であることに異論はない
ただ・・・・
ただ昨今の情報誌にある名医100選において
なるほどと思うことが少ないのはなんでだろう?(古いか?)
いつの間に名医=肩書きなんだろう?って感じ
まして「患者が選ぶ名医100選」はまた違っていることが多い
もし名医が一部の肩書き・ブランドに左右されるなら
きっと多くの市中病院や開業医の外来待合室からは
患者さんの姿も減ってしまうはずなのに・・・
実際はそうでもない
「名医」と「ヤブ医者」は相反する言葉ではなく
ときに=(イコール)だったりする
また書き過ぎで注意かも?
「ヤブ医者」は研修医が見習ってはいけない反面教師の代表ですが
でもあるcolumnにはこう書いてあった
「診療所のヤブ医者は実は人柄は最高の医者であることが多い!」
どういうこと?
「先生!この間の薬はおっかね~から飲んでね~よ!」
「お~ほうかい!飲んでね~のか?」
「ほうさ!それでも治っただよ!ほんと!先生はヤブだな~」
「ははは~」
とにかくあの先生はよく話を聞いてくれます
いつも家族のことまで心配してくれる
(ま~でも考えてくれても功を奏したことはね~な)
いつも笑顔だしそれだけでも痛みが消えて癒されるですよ
(たぶん気のせいだし薬で治ってないけど病院に来たかいはあるよ)
つまりね
話は聞かず視線は会わせず無表情
でも処方する薬は確かに効いてるかもしれない
でもそれよりも人間味あるヤブ医者を選んでいる患者さんがいるってこと
「先生は・・・・ぜんぜんお医者さんっぽくないですね」
「初めてです!こんなに触ってこんなに説明してくれて!すっきりしました!」
「先生の分野じゃないけど・・・・聞いてもいいですか?」
週に4日外来やってるとこんなうれしい言葉がいただける
たしかに研修医の先生たちは診療技術はまだまだ達人ではありません
でもこんな風な「ヤブ医者」にはなれるんじゃないか?
患者さんへの接し方は心がけ次第
センスというより思い入れ
たしかに聖マリではオリエンテーションでコミュニケーション技法を学びますが
それも技術に過ぎずそこに心を入れて「技(わざ)」にしないといけない
ここが大切
「よく聴く」は「相手の立場で考えて聴く」(自分はゼロにしないと聴けない)
これってたぶん指導医の背中見てないと見えないし
間違った指導医(たぶん迷医?)についていくと
それこそ医療の藪の中に迷い込む
そのcolumnには
「臨床医を志すからには、まずは患者さんの身になって考えるという基本的な姿勢が自然に前面に出てくるような、日々の心がけが大切です」とある
だから
「菅生の丘にはヤブが多い」というのは皮肉られた嘲笑話ではなく
「そうか!昔から僕たちの先輩はよく話は聞ける名医たちだったんだ!」と
胸を張れる話だと思い直している日々です
僕もそんな「ヤブ医者」もいいな~と思ってます
そうか!だから番長はいつも口うるさいんだ!
だってヤブ蚊は寝てても耳元でうるさいしって
おあとがよろしいようで
チャンチャン
「菅生の丘には蚊が多いんだよ」
「へ~?」
「とくにヤブが多くてね~!」
「・・・・・(ヤブ?)」
ちょっとした小噺おあとがよろしいようで・・・
そこでヤホーYahooで検索くん
ヤブ医者は「野巫医者(ヤブイシャ)」を語源としていているらしい
「野巫」は「田舎の巫医(ふい)」とも云われ
呪術で医療する田舎の医師のことらしい
ここで田舎いなかと連呼するとあまりよくないですが
ネットや辞書に記載されているのでご容赦ください
とにかく・・・・
あやしい呪術で治療行為を行うことから「いい加減な医者」
たったひとつの呪術でしか治療できないことから「下手な医者」
ここからこのような診療を行う医者を「野巫医者」と呼ぶようになった
でもそもそも「野巫」という言葉もつかわれることが少なく
ちょっと確実ではないかもしれませんとコメントあり
「野暮な医者」が転じて「ヤブ医者」という説もあります
いずれにしてもあまりいい印象なし
では続いて検索くん
「名医」とは?
それこそ「医術と人柄に優れた医師」であることに異論はない
ただ・・・・
ただ昨今の情報誌にある名医100選において
なるほどと思うことが少ないのはなんでだろう?(古いか?)
いつの間に名医=肩書きなんだろう?って感じ
まして「患者が選ぶ名医100選」はまた違っていることが多い
もし名医が一部の肩書き・ブランドに左右されるなら
きっと多くの市中病院や開業医の外来待合室からは
患者さんの姿も減ってしまうはずなのに・・・
実際はそうでもない
「名医」と「ヤブ医者」は相反する言葉ではなく
ときに=(イコール)だったりする
また書き過ぎで注意かも?
「ヤブ医者」は研修医が見習ってはいけない反面教師の代表ですが
でもあるcolumnにはこう書いてあった
「診療所のヤブ医者は実は人柄は最高の医者であることが多い!」
どういうこと?
「先生!この間の薬はおっかね~から飲んでね~よ!」
「お~ほうかい!飲んでね~のか?」
「ほうさ!それでも治っただよ!ほんと!先生はヤブだな~」
「ははは~」
とにかくあの先生はよく話を聞いてくれます
いつも家族のことまで心配してくれる
(ま~でも考えてくれても功を奏したことはね~な)
いつも笑顔だしそれだけでも痛みが消えて癒されるですよ
(たぶん気のせいだし薬で治ってないけど病院に来たかいはあるよ)
つまりね
話は聞かず視線は会わせず無表情
でも処方する薬は確かに効いてるかもしれない
でもそれよりも人間味あるヤブ医者を選んでいる患者さんがいるってこと
「先生は・・・・ぜんぜんお医者さんっぽくないですね」
「初めてです!こんなに触ってこんなに説明してくれて!すっきりしました!」
「先生の分野じゃないけど・・・・聞いてもいいですか?」
週に4日外来やってるとこんなうれしい言葉がいただける
たしかに研修医の先生たちは診療技術はまだまだ達人ではありません
でもこんな風な「ヤブ医者」にはなれるんじゃないか?
患者さんへの接し方は心がけ次第
センスというより思い入れ
たしかに聖マリではオリエンテーションでコミュニケーション技法を学びますが
それも技術に過ぎずそこに心を入れて「技(わざ)」にしないといけない
ここが大切
「よく聴く」は「相手の立場で考えて聴く」(自分はゼロにしないと聴けない)
これってたぶん指導医の背中見てないと見えないし
間違った指導医(たぶん迷医?)についていくと
それこそ医療の藪の中に迷い込む
そのcolumnには
「臨床医を志すからには、まずは患者さんの身になって考えるという基本的な姿勢が自然に前面に出てくるような、日々の心がけが大切です」とある
だから
「菅生の丘にはヤブが多い」というのは皮肉られた嘲笑話ではなく
「そうか!昔から僕たちの先輩はよく話は聞ける名医たちだったんだ!」と
胸を張れる話だと思い直している日々です
僕もそんな「ヤブ医者」もいいな~と思ってます
そうか!だから番長はいつも口うるさいんだ!
だってヤブ蚊は寝てても耳元でうるさいしって
おあとがよろしいようで
チャンチャン
やはり人の気持ちを考える!それが大事なのでしょうか?
いい腕をもっているが気持ちをあまり考えていない.気持ちを考えてくれるが腕は普通・・・患者さんは自分の病気が手術で治せるのならいい腕のひとをとるはずですが!?
どうなのでしょうか?
どっちももっている人を育てられるといいですが・・・
なかなかうまくはいかないですよね・・・笑
傾聴は重要です。
でもときに己の世界にどっぷりつかる臨床医に遭遇します。傾聴しているようで、実は自分の分野に引き込んでいるだけって感じ。
『ゼロポジション』が大切だと思います。
一生懸命患者さんに説明して満足気に病室を出たあと、その患者さんがポツっと一言。
『あの先生いい先生なのよ。でも話が長いの。聞いてくれるけど、そのあとの話が倍くらい。だからどっちが聞いてるのかわかんない(笑)』って。
ははは。言われてそうな自分がいます。
言い訳もがましい説明も不要。
『こういうことも、こういうこともあります。』これじゃICでもなんでもないって思われます。やはり患者さんに合わせて、きちんと必要最低限のことを説明する。そのために、まず傾聴して相手のニーズをとらえることだと思います。
違うかな?
毎月通院して診療を受けていますが担当の医師が話を聞いているふりをして自分の想像でしか話さない事が多いです。
状況を聞かれるので話すのですが、話を遮って…更に私がそうではなくてと言い始めてももう聞き入れもせずに自分の想像する状況を止めることなく話し続けます。(こういう話し方をする人間はどんな職業をしていようと相手に不信感を抱かせるのでは…)
さすがにそろそろ信用出来ないというところまで来てしまったのですが、類する科が自分がいける範囲の地域にほとんどなく通院し続けるしかないのが現状です。
話を聞いてもらえないのがわかってきたので、今後自分の状況を話すのをやめるかもしれません。
という患者もいることを心に留めておいて欲しいです。