再生核研究所

色々な事を書きます。少しでも良い社会にしたいと思います。良い社会のために  -よっちゃんの想い から-

教育委員会廃止、機は熟した:亀田 徹(PHP総合研究所主任研究員)について

2009-10-31 06:04:21 | Weblog
教育委員会廃止、機は熟した:亀田 徹(PHP総合研究所主任研究員)http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/local/php-20091018-09.html

自民党の余りに長い 惰性政治で、日本国は 膨大な財政赤字と借金を重ね、しかも 日本国の内部も 相当おかしくしてしまいました。
同じように 日本国の教育の在りようは 相当におかしいのではないでしょうか。 
このようなところから、人事と制度を考え、変化させ、教育にも 新しい、感覚を 入れていく必要があるのでは ないでしょうか。このような提案を 高く 評価していきたいと考えます。 次も参考に して下さい。

再生核研究所声明 17 (2008/7/25)  教育界の改革を求める

大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。
試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。
一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。

他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。

このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。

(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。
(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。
(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。
(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、忙しい先生に休暇とお手当て を配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。
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下痢系の過敏性腸症候群、男性の1割近く:について

2009-10-30 17:12:46 | Weblog
下痢系の過敏性腸症候群、男性の1割近く:
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/24655.html
http://news.goo.ne.jp/article/cabrain/life/cabrain-24655.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091007-00000003-cbn-soci

これは 日本の社会が、病んでいる指標と考えたいと思います。
ものの考え方、気の持ち方でも 相当改善されるのではないでしょうか。
余計な事は考えない、思わない では如何でしょうか。
勝手に想像して、悩んでいることが多いと思います。
私も気をつけたいと思います

「良い談合ある」「だめです」 亀井氏と公取委が火花:について

2009-10-30 05:58:54 | Weblog
「良い談合ある」「だめです」 亀井氏と公取委が火花:
http://www.asahi.com/politics/update/1022/TKY200910220241.html?ref=goo
http://www.asahi.com/politics/update/1022/TKY200910220241_01.html

本当に 亀井氏の発言には 心温まるものがあります。 相当の日本人の精神を持った 人物として 一貫して 高く評価し、注目しています。 
ただ 競争入札 だけでは 世の中 動かない部分が、また不適当な部分が生じるのではないでしょうか。 単に数字だけではなく、過去の実績や、全体の進める具体的な方法、 将来のケアの問題など 総合的な判断が 必要なのではないでしょうか。 大学などの人事 公募でも、書類審査だけでは 極めて 危険で、面椄による、発表などの方が 重きをなすことが 多いのが 実情ではないでしょうか。 
そこで、ありようについての 検討を 行うべきであると考えます。
もちろん 公正の原則 の基にです:

再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:

最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.

1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか. 
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.

現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中ははるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.
特に少年期の教育にあっては哲学(ものごとの本質と人生,世界を考えること),道徳,芸術,体育などを中心とする人間を育てる教育に改めるべきではないでしょうか.国や隣人を愛せるようになる教育,多様性を重視し,個性や隠れた才能を伸ばし,友情を育み,人々が助け合うようになるような教育が望まれます.
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良い社会のために―よっちゃんの想い― から
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大手メーカー内定の大学生がホームレスに暴行し『mixi』に動画掲載について

2009-10-29 19:55:53 | Weblog
大手メーカー内定の大学生がホームレスに暴行し『mixi』に動画掲載
http://topics.jp.msn.com/life/column.aspx?articleid=164948

悲しくなる ニュース: 強いものが弱いものをいじめる、馬鹿にする風潮の 現われと言えると思います。どのような 社会を 世界を夢めているのか と考えると 哀しくなってしまいます。
次を 参考にして下さい。

1.4 再生核研究所声明 4(2007/3/17): 競争社会から個性を活かせる社会に:

現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、憲法第25条の精神を高揚させ 最低生活の保障による連帯を確認する事の必要性を訴えている(声明3)。いじめ、犯罪、モラルの低下、そして全国に広がる財政赤字など、それらの大きな原因として、経済環境の厳しさとともに、貧しい競争意識と受験勉強に代表される貧しい戦後の教育内容にあると考えます。考え方を変えるのは簡単ではありませんが 精神、考え方を競争社会から個性を活かせる社会に変えていく必要性があるのではないでしょうか。その理由は:

1)まず競争とは、1つの価値、ある判断の下での順位になり、その点では個性や、特殊性を排除した価値観の画一化に繋がる危険性を有している。例えば現在の受験制度では多くの場合に受験科目の得点で順位が定められ、概ねそれによって合格、不合格が定まり、その流れで入学の大学が定まり、そして同様に大学の伝統的な序列で一定の評価が定まっていく流れになっていると考えられる。もちろん伝統的に行われてきた体制はそれなりの理由があり尊重されなければならないと考えますが、評価をこれらで一元的に考えることには大きな問題があると思います。例えばそのような流れ以外の道を選んだ人たちの立場です。 スポーツ選手や、芸術家、芸能関係者、技術者、職人、棋士、実業家などなどです。

2)スポーツなどの世界では競争はかなり明確に理解でき、競争の世界として、もちろん結構だと思います。例えばお相撲さんは優勝を目指して努力されているわけです。しかし歌い手さんたちは それぞれの個性と持ち味を活かしていろいろな人が活躍されていますが、それとて、いろいろな評価が下されますが、その時の競争とは考えられてもお互いに芸を高めていくような いわば精進の競争であり大いに勧められるべき競争と言えます。

3)これに対して貧しい競争とは、相手との比較ばかりに気を取られ、自分を見失った競争であり、自分の個性を活かせないところで、相手より優位に立とうする競争の事です。自分のむかないところで、無理して競争に駆り立てられている状況はないでしょうか。

4)日本の教育の重点が いわゆる学力中心で、知識中心になっていないでしょうか。そして、いわゆる頭のよい人、学力のある人がすべてのような一元的な価値判断が余りにも強すぎはしないでしょうか。 勉強の嫌いな子や勉強のできない子、いわゆる優秀でない人と言われている人が それゆえに低く見られてはいないでしょうか。勉強ができず、学力がなくても、いわゆる優秀でなくてもいろいろな長所があって、よい個性を持っているのにそれらが評価されず、また無視されるようにはなっていないでしょうか。これでは、勉強のできない子は学校が嫌いになり、やがて社会から疎外されるようになってしまわないでしょうか。絵が得意で感銘させる人や、工作がうまく名人的と思われる人の才能を引き出せない社会は社会の大きな損失にはならないでしょうか。運動会などやキャンプ生活などで多くの体験授業などがあれば いろいろな才能が発揮され、学力以外のいろいろな個性や、才能を発見できる機会が出て来るのではないでしょうか。もちろん実社会は大きな世界です。

5)学力中心による教育では、生徒の個性を活かせず、一元的な価値判断で多くの個性と才能をうずもらせてしまうだけではなく、才能を活かせない生徒は社会から疎外され、不満が増大する事になり、社会は不安定になると思います。

6)個性を活かせる社会とは 社会にはいろいろな人が必要であり、それぞれ自分の得意な分野や好きな分野で、個性が活かせるようなところで社会に参加して、助け合っていくような社会のことです。強い人も弱い人も、考える事が得意な人も苦手な人もそれぞれ長所もあり短所もありそれぞれが補完し、助け合っていく社会です。このような社会では、苛めも、犯罪も生じる土壌がないのではないでしょうか。

7)財政赤字について触れましたが、無いお金を使うという事自体が無責任の結果ではないでしょうか。短期的に赤字という事は仕方がないことですが、赤字を増大させていくというのは余りにも無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。これらの背後には学力を付けることばかりに走り、責任感の無い自己中心的な教育が生み出した日本人全体の精神的な土壌から起きているという根強い原因があるのではないでしょうか。

8)何かというと経済効果や活力のある社会という観点が問題になりますが、少数の自爆テロを起す人を抱える社会はどれほど、経済的にマイナスを生むことでしょうか。そのよう状況では例えば新幹線を守るにはどれほどの経費がかかることになるでしょうか。あらゆる所で、厳重な警備を必要とする社会になってしまいます。それに対して 社会に強い不満を持つ人を生み出さない社会とは何と素晴らしい社会でしょうか。この観点からも、憲法第25条の精神を思い出すことは大変いい状況を生むのではないでしょうか。
皆さん 競争社会から個性を活かせる社会 を目指そうではありませんか。以 上

次の尊敬する大谷先生の文を参考にしてください

二十一世紀    (平成13年4月寄稿せず01)

年いよいよ水のごとくに迎ふかな   大野林火

だんだんそんな気になってきた。二十一世紀に入ったよ、といっても特にどうということもないが、来し方行く末を思う一つの区切りかも知れない。
1925年生まれの私が、20世紀をはじめて意識したのは、小学校低学年のころに、20世紀梨を知ったときである。梨のみずみずしさが、20世紀のみずみずしさを象徴しているように思われた。ところが長じて技術の世界で50年も暮しているうちに、20人の暮らしのためにはじまったのに、いつのまにか、市場や科学技術のために、人の暮らしがあるような感じがしだしたからである。なんだか主客転倒である。その源は、アメリカに代表される近代精神である。競争が最高で、勝った人が個人的に生活を謳歌するアメリカンドリームに象徴される。市場原理とか、グローバリズムなどがその流れをくむ。でもそんなことばかりしていると、世界は新しい世紀の終わらないうちに破滅する虞(おそれ)がある。
不思議なのは、日本の政党の中で、市場原理至上主義反対を掲げるところがないように思われることである。野党が、アメリカ式資本主義とは違う倫理観に立った新しい展望を掲げてくれれば、議論ははるかに深まるだろうにと思われてならない。
折しもNHKの人間講座で貝原益軒の話をしている。正に西欧主義とは正反対、欲望の限界を自覚して、「畏れ、慎み、惜しむ」事を倫理の基にしている。明治維新以来、最初はヨーロッパから、戦後はアメリカ経由で、抑制なし精神が日本にやってきた。でも最近ようやくヨーロッパを中心に、反省の気配もみえる。平成10年3月、オランダで益軒の国際シンポジウムがもたれたそうである。
個人的な生活を謳歌するよりは、自然との共生、家族の共生、他人との共生、他民族との共生、共生こそが21世紀の願望だと思うがどうだろう。
( 日だまりの風景 平成18年9月15日発行 大谷杉郎著 印刷所 太陽印刷工業(株)P172・P173より )



絶滅危惧植物 未来へ「保存基地に」 徳島大植物園が育成場:

2009-10-29 06:06:17 | Weblog
絶滅危惧植物 未来へ「保存基地に」 徳島大植物園が育成場:
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20091024STXKF098923102009.html
http://eco.nikkei.co.jp/news/today/article.aspx?id=NN003Y606%2023102009

これは 大変良い試みとして、高く評価したいと思います。 種の保存には 格別の配慮をしていく必要があると考えます。それは何億年もかけて 発展してきたかけがいの
ない種の 保存ですが、他方 生物の全体的な 生体系を壊して、とりかえしのつかない事態に 陥る危険性があるからです。人間が勝手に活動して、 生物全体を おかしくしてしまう危険性は 高いのではないでしょうか。人間の立ちいらない島、海、山などを 指定することなども 良い考えではないでしょうか。
次を参考にして下さい:

再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと
世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。
国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。
特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。
この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理  存在、知、愛
の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。

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首相、東アジア共同体に米国関与表明へ:について

2009-10-28 06:07:56 | Weblog
首相、東アジア共同体に米国関与表明へ:
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091024-OYT1T00543.htm

この辺の 高度な政治的な判断 については、 鳩山氏と小沢氏に 任せておけば良いと考えます。 逆の立場から考えても、 またアメリカの大きな存在と、アメリカが単に1国の存在ではなく、国際社会そのものの性格を有する存在であることを考えると、適切な判断であると考えます。
一般に閉じた特定の グループを作るのは 良い事では、ないのではないでしょうか。 
開かれた 緩やかな組織の方が いいと考えます。

戦後行政を大掃除 鳩山首相、初の所信表明演説:について

2009-10-27 13:02:34 | Weblog
戦後行政を大掃除 鳩山首相、初の所信表明演説:
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/130616
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/196471.html
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091026-OYT1T00662.htm?from=y10

素晴らしい 歴史的な 演説として高く 評価したいと思います。 新政権は 善政を次々と 打ち出していて 政治が 生きてきました。 しばらく成り行きを 見ていくこととして、次の最大の関心は  新政権が 財政問題に 取り組み、国家再建に 貢献できるか否か に移ると考えます。

再生核研究所声明 27 (2009/08/31)  政権交代を祝す、配慮と期待

再生核研究所は より良い社会を作るためには 政治が重要であるとの考えから、 時の政治について評価、批評、あるいは あるべき姿を提言、表明してきた。 特に日本国の置かれている状況を憂慮し、日本国の再生を期して、国防、財政、教育、経済などについて いろいろな提言を行っている。
しかしながら、現今、現実的に政治を大きく動かし、日本国に活を入れ、再生の契機を掴む最も有効な方法は、オバマ大統領の下で政治を変革させているアメリカ合衆国のように、良い指導者の下での政権交代にある(声明26)
として、再生核研究所声明7 (2007/06/10): 参議院選挙に当たって 以来、 政権交代の重要な意義を一貫して表明してきた。 まず、政権交代の偉業を成し遂げた日本国民に対して、敬意を表したい。また実現させた、鳩山代表、政権交代できる民主主義の確立に 志と人生を賭けてこられた 小沢氏、志を同じくし、良く協力された、岡田氏や菅氏に対しても 敬意と祝意を表したい。
さて、新政権の課題には、天文学的な借金と慢性的な財政赤字、少子高齢化の厳しい環境、経済再建、硬直化した官僚機構、幼稚な日本外交や防衛構想など多難なものがあり、それこそ日本国の衰退にかかわる問題である。
そこで、日本国民、特に政治家やマスコミ関係の皆さんに要請したいのは、如何にすれば日本国再生の基礎ができるかという視点から、新政権の下で、団結し、協力し、賢明な政治が行えるように努力して頂きたいということである。 長期政権の歪を正すには 相当な時間がかかるのは当然であるから、少なくとも最初の4年間くらいの時間的な猶予を与え、新政権をあたたかく支える気持が第1に必要であると考える。若者の過ちは活力の証であるから、新政権の過ちをあたたかく見守り、新政権に十分な信頼を寄せよう。そうすれば、 新政権の指導者たちは必ず、国民の期待に応えるべく、努力して頂けるものと考える。 実際、それだけの十分な人材を新政権は有している。すなわち、鳩山代表の掲げる友愛の精神で、日本国は団結して、国家再建の大義のもとで努力していく決意を持ちたい。 政党よりは国家、国民が大事であるとは、 繰り返し述べてきたことである。 皆さん、世界に誇れるような文化国家、日本国を築いていこうではありませんか。スタンフォ-ド大学で学位を取得された鳩山代表は、国際的視野と研究心を身に付けられ、オバマ大統領とともに 世界の歴史を進化させる能力と精神を持っておられるものと期待したい。                            
以上。

3.20 日本の財政の厳しさ:
国の借金834兆円、 国民1人あたりの借金 約653万円 07年度3月末
地方の借金 200兆円 (財務省の発表より) 国の債務超過 289兆円 前年度比13兆円増 05年度 財務省試算  新規国債 31兆円が影響している。さらに、 国債発行額   2008年には、償還の為、借り換えだけでも、134兆円の国債発行。

日本の財政を考える  より
http://www.mof.go.jp/zaisei/con_07.html

日本の借金時計
財部 誠一  財部 誠一ジャーナルより
http://www.takarabe-hrj.co.jp/clock.htm

全国都道府県の借金時計 より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/map.htm

日本の借金時計   (数字はうそをつかない)より
http://www.geocities.jp/mkqdj167/japan.htm

新政策機構「チームニッポン」 より
http://www.team-nippon.com/

日本経済が破綻するまで動きつづけるリアルタイム財政赤字カウンタより
http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html

リアルタイム財政赤字カウンターより
http://www.kh-web.org/fin/

日本経済復活の会  http://www.tek.co.jp/p/debt_time.html
良い社会のために―よっちゃんの想い― から
http://ameblo.jp/syoshinoris/  
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人間の質の差について:

2009-10-26 06:26:38 | Weblog
人間の質の差について:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5376403.html
よのなか、 いろいろな人間がいますが、私がもっとも疑念に感じるのは、なぜ人間には質の差があるのか?ということです。
当たり前といえば当たり前なのですが、事実としてあまりに強烈です。

品行方正で、礼儀正しく、努力を怠らず、個性もあって存在自体に輝きがある(なくなったらそれを惜しむ人がいっぱいいる)ようなひとと、努力もせず、素行が悪く、礼儀知らず、発揮する個性もないような、どう考えても何の魅力も感じられないという存在が、両極端的に存在する。
そういうのって、すごく残酷なあるいは、あまりにも不均衡な醜い現実だと思うんですけどね。

その点、世の摂理的に、あるいは一般的感性的に、どう感じるものでしょうか。
これは 極めて重要な 視点を提供していると思います。 およそ この気球上には 多様な生物が存在して、その多様性が 何億年も 生物の存在を 続けさせた 主因ではないかと思います。 自然の変化に 対応するには 多様な生物が存在し、その変化に耐えられる生物が 生き残ってきたと言えます。 生物の存在の大きな 理由は 多様性ではないでしょうか。 そこで、生物には 多様性を 図るような仕組みが、遺伝子構造に 繰りこまれているのでは ないでしょうか。そこで、人間にも 多様性があるのだと考えます。 いろいろな人間がいれば、いろいろな考えや 湧き、 いろいろな状況に 耐えられるようになります。 広い視野、いろいろな環境に 耐えられる存在になると思います。そこで、教育などについても、画一化ではなくて、個性を生かせる多様化が大事であると考えます。
次を参考にして下さい

再生核研究所声明 4 (2007/03/17):

競争社会から個性を活かせる社会に:

現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、憲法第25条の精神を高揚させ 最低生活の保障による連帯を確認する事の必要性を訴えている(声明3)。いじめ、犯罪、モラルの低下、そして全国に広がる財政赤字など、それらの大きな原因として、経済環境の厳しさとともに、貧しい競争意識と受験勉強に代表される貧しい戦後の教育内容にあると考えます。考え方を変えるのは簡単ではありませんが 精神、考え方を競争社会から個性を活かせる社会に変えていく必要性があるのではないでしょうか。 
その理由は:

1)まず競争とは、1つの価値、ある判断の下での順位になり、その点では個性や、特殊性を排除した価値観の画一化に繋がる危険性を有している。例えば現在の受験制度では多くの場合に受験科目の得点で順位が定められ、概ねそれによって合格、不合格が定まり、その流れで入学の大学が定まり、そして同様に大学の伝統的な序列で一定の評価が定まっていく流れになっていると考えられる。もちろん伝統的に行われてきた体制はそれなりの理由があり尊重されなければならないと考えますが、評価をこれらで1元的に考えることには大きな問題があると思います。例えばそのような流れ以外の道を選んだ人たちの立場です。 スポーツ選手や、芸術家、芸能関係者、技術者、職人、棋士、実業家などなどです。

2)スポーツなどの世界では競争はかなり明確に理解でき、競争の世界として、もちろん結構だと思います。例えばお相撲さんは優勝を目指して努力されているわけです。しかし歌い手さんたちは それぞれの個性と持ち味を活かしていろいろな人が活躍されていますが、それとて、いろいろな評価が下されますが、その時の競争とは考えられてもお互いに芸を高めていくような いわば精進の競争であり大いに勧められるべき競争と言えます。

3)これに対して貧しい競争とは、相手との比較ばかりに気を取られ、自分を見失った競争であり、自分の個性を活かせないところで、相手より優位に立とうする競争の事です。自分のむかないところで、無理して競争に駆り立てられている状況はないでしょうか。

4)日本の教育の重点が いわゆる学力中心で、知識中心になっていないでしょうか。そして、いわゆる頭のよい人、学力のある人がすべてのような1元的な価値判断が余りにも強すぎはしないでしょうか。 勉強の嫌いな子や勉強のできない子、いわゆる優秀でない人と言われている人が それゆえに低く見られてはいないでしょうか。勉強ができず、学力がなくても、いわゆる優秀でなくてもいろいろな長所があって、よい個性を持っているのにそれらが評価されず、また無視されるようにはなっていないでしょうか。これでは、勉強のできない子は学校が嫌いになり、やがて社会から疎外されるようになってしまわないでしょうか。絵が得意で感銘させる人や、工作がうまく名人的と思われる人の才能を引き出せない社会は社会の大きな損失にはならないでしょうか。運動会などやキャンプ生活などで多くの体験授業などがあれば いろいろな才能が発揮され、学力以外のいろいろな個性や、才能を発見できる機会が出て来るのではないでしょうか。もちろん実社会は大きな世界です。

5)学力中心による教育では、生徒の個性を活かせず、1元的な価値判断で多くの個性と才能をうずもらせてしまうだけではなく、才能を活かせない生徒は社会から疎外され、不満が増大する事になり、社会は不安定になると思います。

6)個性を活かせる社会とは 社会にはいろいろな人が必要であり、それぞれ自分の得意な分野や好きな分野で、個性が活かせるようなところで社会に参加して、助け合っていくような社会のことです。強い人も弱い人も、考える事が得意な人も苦手な人もそれぞれ長所もあり短所もありそれぞれが補完し、助け合っていく社会です。このような社会では、苛めも、犯罪も生じる土壌がないのではないでしょうか。

7)財政赤字について触れましたが、無いお金を使うという事自体が無責任の結果ではないでしょうか。短期的に赤字という事は仕方がないことですが、赤字を増大させていくというのは余りにも無責任と言われても仕方がないのではないでしょうか。これらの背後には学力を付けることばかりに走り、責任感の無い自己中心的な教育が生み出した日本人全体の精神的な土壌から起きているという根強い原因があるのではないでしょうか。

8)何かというと経済効果や活力のある社会という観点が問題になりますが、少数の自爆テロを起す人を抱える社会はどれほど、経済的にマイナスを生むことでしょうか。そのよう状況では例えば新幹線を守るにはどれほどの経費がかかることになるでしょうか。あらゆる所で、厳重な警備を必要とする社会になってしまいます。それに対して 社会に強い不満を持つ人を生み出さない社会とは何と素晴らしい社会でしょうか。この観点からも憲法第25条の精神を思い出すことは大変いい状況を生むのではないでしょうか。
皆さん 競争社会から個性を活かせる社会 を目指そうではありませんか。
以 上
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献金問題、鳩山首相に試練=臨時国会で追及へ-自民:について

2009-10-25 06:24:39 | Weblog
献金問題、鳩山首相に試練=臨時国会で追及へ-自民:
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009100500801&m=rss

問題ですが、 誰も 鳩山氏が ずるがしこい 人物とは 考えないと思います。 監督不届きや、形式的な 間違いをしたとしても です。
他方、鳩山氏は 一国の首相で、国全体の在りように ついて、日々努力されている極めて 大きな、役割を担っています。よって、国会は、もっぱら 日本国の再生 のために努力し、小さな問題で、 貴重な 時間を浪費すべきではないのでは ないでしょうか。 国会は 国の最高機関として、そのような 卑小な問題を議論する場ではない と考えます。
お金でいえば、何兆円もの お金を動かす立場です。それらが 活かせるか否かは 大きな社会的な問題 ではないでしょうか。
そのような問題は、検察庁と裁判所に お任せしておけばよいと考えます。

自民党が 国家再生のための 大きな展望 を描かず、 卑小な問題で、国権の最高機関を 軽んずるならば、自民党は万年 野党の 批判政党に なり下がる ことには ならないでしょうか。
今こそ、有能な鳩山氏の 才能と実績 を、小さなあやまちで、うずもらせることなく、国家のために 活かして欲しいと考えます。

次を参考にして下さい:

再生核研究所声明 27 (2009/08/31)  政権交代を祝す、配慮と期待

再生核研究所は より良い社会を作るためには 政治が重要であるとの考えから、 時の政治について評価、批評、あるいは あるべき姿を提言、表明してきた。 特に日本国の置かれている状況を憂慮し、日本国の再生を期して、国防、財政、教育、経済などについて いろいろな提言を行っている。

しかしながら、現今、現実的に政治を大きく動かし、日本国に活を入れ、再生の契機を掴む最も有効な方法は、オバマ大統領の下で政治を変革させているアメリカ合衆国のように、良い指導者の下での政権交代にある(声明26)

として、再生核研究所声明7 (2007/06/10): 参議院選挙に当たって 以来、 政権交代の重要な意義を一貫して表明してきた。 まず、政権交代の偉業を成し遂げた日本国民に対して、敬意を表したい。また実現させた、鳩山代表、政権交代できる民主主義の確立に 志と人生を賭けてこられた 小沢氏、志を同じくし、良く協力された、岡田氏や菅氏に対しても 敬意と祝意を表したい。

さて、新政権の課題には、天文学的な借金と慢性的な財政赤字、少子高齢化の厳しい環境、経済再建、硬直化した官僚機構、幼稚な日本外交や防衛構想など多難なものがあり、それこそ日本国の衰退にかかわる問題である。
そこで、日本国民、特に政治家やマスコミ関係の皆さんに要請したいのは、如何にすれば日本国再生の基礎ができるかという視点から、新政権の下で、団結し、協力し、賢明な政治が行えるように努力して頂きたいということである。 長期政権の歪を正すには 相当な時間がかかるのは当然であるから、少なくとも最初の4年間くらいの時間的な猶予を与え、新政権をあたたかく支える気持が第1に必要であると考える。若者の過ちは活力の証であるから、新政権の過ちをあたたかく見守り、新政権に十分な信頼を寄せよう。そうすれば、 新政権の指導者たちは必ず、国民の期待に応えるべく、努力して頂けるものと考える。 実際、それだけの十分な人材を新政権は有している。すなわち、鳩山代表の掲げる友愛の精神で、日本国は団結して、国家再建の大義のもとで努力していく決意を持ちたい。 政党よりは国家、国民が大事であるとは、 繰り返し述べてきたことである。 皆さん、世界に誇れるような文化国家、日本国を築いていこうではありませんか。スタンフォ-ド大学で学位を取得された鳩山代表は、国際的視野と研究心を身に付けられ、オバマ大統領とともに 世界の歴史を進化させる能力と精神を持っておられるものと期待したい。                            
以上。

「被害者1000万人以上」=年金記録問題で長妻厚労相について

2009-10-24 06:02:03 | Weblog
「被害者1000万人以上」=年金記録問題で長妻厚労相
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009102300215
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091023-00000034-jij-pol

次の文を参考にしてください
下記のような状況が到る所に見られるのではないでしょうか
長期政権の弊害とも言えるのではないでしょうか

再生核研究所声明 15 (2008/05/24): 空虚な日本の社会

バブル崩壊後の日本の社会とは、いたるところに現れた借金財政、無責任な責任者の態度とそれを許している社会、経済の停滞、精神の空白と無気力、教育の空洞化などである。これらは空虚な社会と表現されよう。もし日本国の再生がならず、このまま衰退を続ければ、世界の歴史には、かつてアジアに栄えた、ユニークな文化を持った日本国が存在したが、戦後の教育を誤ったために衰退して、かつての日本国をしのぶような国は いまや世界のどこにも無い と記録される時代を迎えるだろう。
何と、国、地方合わせて1000兆円を越える借金を抱えても、政治家もマスコミも危機感が足りないと言えよう。国防の最高責任者が接待漬けで、大臣がどこの国の国防大臣か分からないような発言をしていたのである。町まちはシャター通りと称されて、衰退を続け、農村も荒廃を続け、若者は派遣社員として不安定な状況に追い込まれている。教育はただ勉強して良い大学に入る事を考えればよいという 受験勉強に退化したり、無気力に陥ったりしていて、本来の教育の理念さえ失っている時代とも言える。これらは氷山の一角で、象徴的な状況と言えよう。そこに現れた社会とは、中身の薄い空虚な社会である。評価といって評価を考えようとすれば、よくやっているように見せかける為の書類作りや講演会などのセレモニーである。パンフレットや報告書が 社会にあふれた時代とも言えるだろう。評価されるべき元のもの、本務に取り組む時間と資金をそのために浪費しているような状況がいたるところに現れた、奇妙な時代を迎えていると言える。公務員はいわゆる親方日の丸で 税金がひとりでに入ってくるように感じている風潮で、貴重な税金といった考えが足りないと言えるだろう。
これでは、約5兆円もの防衛費をかけていても、日本国は外国軍の侵略を受ける前に、自滅、衰退してしまう状況ではないでしょうか。橋本大阪府知事のように、地方を、国を立て直す気迫ある若者達の立ち上がりと国民的な奮起を期待したい。
それには先ず大きなマイナスの仕事を減らし、公務員の財政意識を高め、綱紀を引き締め、公僕たる精神を初心として、国、地方の建て直しに取り掛かるように要請したい。危機意識を国民が共有して立ち上がる必要があると考えます。国、地方の豊かさはすべての基礎になるものであるから、おのおのの立場で、地域ごと経済再建にも努力して行きたい。教育問題にも抜本的な取り組みと検討が加えられなければならない。教育界も無気力、無責任な状態と言えよう。教育にも何か魂を入れる必要があるのと考える。江戸時代の幕末や明治政府には しっかりしないと外国の侵略を受けてしまうという危機感と連帯感があったと考える。今しっかりしないと 国が衰退してしまうという危機感と連帯感をもって国民が立ち上がるべき時である。
それらを展開する基本は 有能な人材を要所に配して、各級の人事を大幅に刷新することである。活力ある人材によって沈滞した社会を再生させる必要があると考えます。
国家は 大戦や地震など災害によって滅ぶことがあるが、多くの場合には、戦後50年を越えて内部から衰退するものである、という世界の歴史を想起したい。 以上。
http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360;  http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/