再生核研究所

色々な事を書きます。少しでも良い社会にしたいと思います。良い社会のために  -よっちゃんの想い から-

教員免許更新制を廃止へ:

2009-10-15 06:02:30 | Weblog
教員免許更新制を廃止へ:
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009101400410
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090912/stt0909122355017-n1.htm 
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090912/stt0909122355017-n2.htm
http://www.asahi.com/politics/update/1014/TKY200910130370.html

素晴らしい ことであると 高く評価したいと思います。 政治が生きてきた 実感をいろいろなところで、感じられる、この頃です。次を参考にして下さい:
再生核研究所声明 17 (2008/7/25)  教育界の改革を求める

大分県の教育界における不祥事は、いくら日本国が 空虚な日本の社会(再生核研究所声15)といっても 流石に健全な批判が湧いてきたのは当然である。身近な点から問題点を考察すると、試験がたとえ公正にできたとしても、全然問題は解決しないのではないでしょうか。 第一に、試験問題が適切であるかどうか、広く日本中で検討してみる必要があるのではないでしょうか。さらに、面接試験という大事な場面を迎えますが あのような体質で、より良い学生を公正に選ぶことができるか 検討する必要があると考えます。

試験内容について、例えば、数学専攻で、教育学部長をされた ある先生の嘆きを思い出します。大学でいくら専門の数学を熱心に勉強しても 専門の数学は採用試験には出題されず、大学受験や高校程度の数学の問題しか出題されず、それで、大学で熱心に勉学している学生よりも、家庭教師や塾でアルバイトをしている学生の方が有利になってしまい、実際、合格率も高いという嘆きです。これでは数学教育界が、数学の本当の精神や深い専門的な内容などよりは 受験勉強に代表されるような問題解きの技術の勉強になってしまうのではないでしょうか。 実際、入学して来る多くの大学生は 数学は問題解きであり、多くの技術を学ぶのが数学だと思っているのが現状ではないでしょうか。これでは創造性豊かな教育や本来の数学教育の目標からは ほど遠いのではないでしょうか。
一般に試験について、何十年も前に あるラジオ ニュースで聴いたことが なぜか何時も気になります: ネジの検査で、良いものを落とし、悪いものをわざわざ選んでいたというのです。わざわざ数学嫌いな生徒を育てたり、悪い教育を行っているような事は 至る所に見られる現象ではないでしょうか。

他方、教育には善良な市民を育成するという大事な面があるはずです。その大事な考えの一つには個性を活かし、公正な社会を実現することにあるのではないかと考えます。しかし、教育委員会の指導的な人達が 自ら信じられないような不正を行っていて、そのような方々が面接したり、教員を指導しているという事は如何なものでしょうか。大分で起きた事件は 大分県の特殊性から出てきたものではない以上、日本中で同じような状況ではないでしょうか。人事の刷新を行い、教育改革を進めるように訴えます。
このような状況で、教員更新性の導入を行えば、教育界はますます混乱し、よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。

(1)教員の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣いの負担を増加させる。
(2)財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
(3)更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教員は初めから、問題が無いと考えられる。
(4)更新されなかった教員の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は解決できず、いわば余計なことをすることになる。
(5)このような制度の導入そのものが、教員の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。
などなどですが、そのようなことに 時間とお金 をかけるくらいならば、忙しい先生に休暇とお手当て を配布した方が 遙かに効果的ではないでしょうか。
日本国の再生のために、試験問題の作成委員や面接する人を 見識ある人物に代えるばかりではなく、教育界の全般的な改革と刷新を行うように 多くの関係者に求めます。またマスコミの積極的な取り組みを要請致します。 以上。
http://blogs.yahoo.co.jp/kbdmm360;  http://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/
4.21 愚かな教員更新性の導入について:

この問題は教師の不祥事から考えられた制度ですが、あまりにも現実離れしたマイナスの政策ではないでしょうか。よい事は何もないと考えます。マイナス要素を挙げてみたいと思います。
教師の忙しい状況の中で、さらに時間と余計な気遣の負担を増加させる。
財政難で国がおかしくなるような状況の中で、さらに大きな資金と労力をかける事になる。
更新講習は形式的になり、効果が望めず、逆効果が考えられる。また講習で改善されるような教師は初めから、問題が無いと考えられる。
更新されなかった教師の生活や身分の問題が解決できなければ、結局更新の問題は実現できず、いわば余計なことをすることになる。
このような制度の導入そのものが、教師の身分を不安定にし、教育上良くない効果を生むと考えられる。などなどですが、 現実的には一律ではなく、個別に指導、対処する方法が良いのではないでしょうか。研究費の不正があると一律運用を厳しくするような傾向がありますが、政策を進める時に一律という考えには考慮する必要があるのではないでしょうか。一律という考え方と実際の効果、現実を考えて、政策は進めて頂きたいと考えます。逆から考えますと 財政難の折、余計な機関や仕事、組織を作ろうとする人達がいるのかと考えてしまいます。公務員や行政はいつもその様なことを考え、よって行政組織は肥大化していくという事はいわば行政法則と思います。それを監視するのが政治の大きな役割であるはずです。
良い社会のために―よっちゃんの想い― から
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