んむむむむ…
ある後輩が「ペットを飼うという人間のエゴ」について考えていて、
それを読んでたら
こっちまで考えてしまった。
で、
考えてたら
「人間っていう生き物がエゴの塊なのでは」っていう考えに至ったわけですよ。
人間は猿から段々と進化して
二足歩行を覚え
道具を使うことを覚え
火を使うようになり
動物をつかって生活するようになる。
ここではまず【家畜】です。動物は。
【家畜】とは【畜生】とか汚い言葉では言いますが
【ペット】所謂【愛玩動物】よりも格下に見ていることが字面からも分かります。
この辺がまずエゴ。
その昔、エジプトでは既に
【愛玩動物】として猫が飼われていたそうです。
人間の感覚に則する動物は
保護され
首輪を付けられ
豪華に飾り立てられ
外を走り回る自由を奪われます。
その一方で人間は、
自分達の欲求を満たす為に動物を殺します。
肉が食べたいから、牛や豚を殺します。
冬は寒いから、兎や鹿を殺して皮を剥ぎます。
安全に暮らしたいから、狼や熊を殺します。
もし、人が猿同然のままならば
生態系のヒエラルキーの下あたりにいたことでしょう。
大型の哺乳類は、肉食動物の格好の餌食です。
しかし、人は進化していきます。
より良い生活を望み、その欲求を満たすために進化します。
住む為に森を切り開き
海を渡る為に船を浮かべ
鳥の様に飛びたいと鉄を空に飛ばし
もっと早く遠くに行きたいと車を走らせます。
この進化の中で
人間はそれ以外の動物を考慮した部分があるでしょうか。
動物達は住む場所すら脅かされ
人間が作ったものに不覚にも命を奪われ
排気される有毒な物質で種そのものが絶滅することすらあります。
いつしか驕った人間は
ヒエラルキーの頂点ならまだしも
ヒエラルキーの外から動物達を見ているようです。
このままではいけないと、
最近になってようやく一部の人間が
動物や環境の保護に乗り出しました。
もちろん、それは素晴らしい取り組みです。
ですが、
ここまで乱しといて
「人間がやらなくて誰がやる」っていうのもまた
驕りではないのでしょうか。
どんなに頑張っても
絶滅したリョコウバトはもう空を飛ぶことはありません。
ニホンオオカミは美しい森を闊歩することもありません。
動物には
人間はどのように映っているのだろう。
もし動物達に感情や思考があるとするならば
人間は恐ろしい存在でしょうか。
私は、きっと
とても愚かな生物に映っていると思います。
共存を忘れ自らに驕ってしまった人間。
人間が消えても、動物達は生き延びるでしょうね。間違いなく。
また意味分からないこと書いちゃった。