SUN PATIO

My Collections, My Thoughts and Ideas

神功皇后をめぐって

2008-12-14 | 歴史、考古学
先ほどクローゼットを整理していたら、
古い紙幣が一枚出てきた。奇妙なことに
二十代の頃に愛用していた和英辞典に挟まれて。
はて・・・かくも面妖なものが何故ここに?
と、記憶を遡るうち、ふと思い当たって膝を打つ。
そうだ、私はこの紙幣を素材にしてアート作品を
創ろうとしていたのだ。辞書なんぞに挟んだのは、
折り目の皺を伸ばそうとしたからであった。
ところが当初の構想が変わり作品のテーマを変更。
紙幣のことはそれっきり忘れ去ってしまった・・・
一切を思い出したうえで眺めるこの女性の表情は、
心なしか恨めしさを湛えているようにも映る。
仔細に見れば、小さな表記で彼女の名が。
肖像の上部に「神功」、下部には「皇后」と。
ちなみに、この五圓札は本邦で初めて
肖像画を導入した紙幣とのこと。但し
作画を担当したのは実は日本人ではなかった。
キオソーネという名のドイツ人らしい。

古代史に関心を持ってみると、“神功皇后”とは
神韻縹渺たる絶妙なネーミングに感じられる。
この明治期の紙幣に描かれた皇后像を見て、
どのような事柄が連想されるだろうか? 
身重ながら神託を受けて三韓征伐を成し遂げた
女傑のイメージが最も鮮明かもしれない。
この人物が出生し歴史に足跡を残した時代は、
『宋書倭国伝』に「倭の五王」が現れる少し前、
いわゆる“空白の四世紀”の頃だったと思われる。
八世紀の朝廷による正史の編纂開始時において
彼女の事績には既に伝説化のプロセスが進行し、
その正確な実態の把握は困難になっていただろう。
そのうえ西日本各地に残存していた皇后の伝承を
ありのまま記録できかねる政治・宗教上の事情が
在ったに違いなく、さらなる潤色や改変が加わる。
こうした経緯で神功皇后と呼ばれた女性の実像は
幾層ものベールに覆われるに至ったのだろう。

神功皇后というのは『日本書紀』に記された
漢風諡号である。一方『古事記』では息長帯比売
と称されるが、こちらも死後の贈り名。
『播磨国風土記』では神功皇后と思われる人物は
大帯日売命の名で通っている。
だが、古代氏族の系譜に詳しい宝賀寿男氏の研究
によれば、神功皇后の実体は垂仁皇后とされる
日葉酢媛であり、しかも日葉酢媛というのは
本当は垂仁皇后ではなく成務皇后だという。

また、神功皇后の美貌を伝える記述が
『日本書紀』には見られるが、
お伽話の“かぐや姫”も神功皇后をモデルにして
生み出された気配がある。どうやら
『古事記』に見える垂仁天皇妃・迦具夜比売が
それに相当するようだ。まとめると
神功皇后=大帯日売命=日葉酢媛=迦具夜比売、
ということになるが、このような多重構造は
記紀の他の人物についても存在している模様で、
上古史解明の疎かにできない糸口といえよう。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
鸕野讚良 (2501)
2008-12-15 19:08:59
わたしの場合、神功皇后は持統天皇と重なります。
そして持統帝に対しては、息子を皇位につけたいと妄執するあまり不比等に利用された悲しき女帝のイメージがあり、それがそのまま神功皇后に結びつきます。

酒楽の歌の場面で・・
神功「宿禰~!ありがとうね~!
   これで、やっと応神ちゃんも大王になれるわ!
   お祝いのお酒を用意したのよ!   
   ささ、ぐいっと一杯やってよ~!」
宿禰「おめでとうございます。
   謹んで頂戴いたします。」
 ・・満面の笑みを浮べて神功から杯を受ける建内宿禰
 ・・だが目だけは笑っていなかった
なんてことを勝手に妄想しています。
返信する
ぐいっと一杯 (spaspaboy)
2008-12-16 15:42:59
2501さん、今回もコメント有り難うございます。酒楽の歌の場面は、さもありなんですねー、面白いです!
わたしは鸕野讚良もやはり巫女的体質の人物ではないかと思っていました。持統:不比等、神功:宿禰などのコンビネーションは、ユング的には日本人の集合的無意識に潜む元型パターンのひとつなのかな、という気がします。マックス・ウェーバーなどは、この世の支配者の類型をカリスマ的支配、伝統的支配、合理的支配の3つに分けていますが、日本では上古以来、女性のシャーマンによるカリスマ的支配はしばしば男性の側近による合理的支配と結合したようですね。宿禰は有能な武闘派宰相、不比等もきわめて現実処理能力の高い為政者ですが、さらに神話の世界に遡ると、アマテラスと高木神の関係に比定されるし、こうした事象の鋳型は例えばどこかの企業の女性オーナー社長とそれを補佐する男性の切れ者専務の関係にも投影されているかもしれず、そう見れば、人間とは或る一定の状況・人間関係の中に配置されると見えない型に嵌ったように似かよった経路を辿るものなのかな、と思ったりします。
返信する