エゾ中村のブログ

「藤圭子」から「現代医学の功罪」まで、思いの丈を綴ります。 ・・・ From 北海道 ・・・

縄文犬 = アイヌ犬

2021-06-07 08:14:48 | “アイヌ文化”関連
日本史の始まりは、君主「卑弥呼」(巫女)「の元」「日本」ヤマト王権が発足した「弥生時代」と、決め付けても良いのでしょうか? 「旧石器時代」から、一万年もの間 平和を築いて来た「縄文時代」を無視して、日本の歴史は語れない筈です! 2,300年前の事だから、詮索しない方が都合いい?(知らぬは仏 見ぬが神

「卑弥呼」が祀られているとされる「箸墓古墳」は、邪馬台国(弥生時代)の起源について、遺品・文献 が埋葬されていると思います。 なぜか 宮内庁は、古墳の発掘を拒んでいます。 まさか「卑弥呼」を 神の化身と信じているのでしょうか? そんな偶像は、現代に相応しくありません!  
「弥生時代」は、中国統一を成し遂げた の 全盛期です。 勢力争いに敗れた民族が、新天地を求め 海外脱出 した事が、容易に想像できます。 それが「魏志倭人伝」に記された 邪馬台国 の一族なのでしょうか? 
〚 朝鮮半島を渡り、農耕に適した陸地(日のいずる国)を目指し辿り着いた。そこで、穏やかな暮らしを続ける「縄文人」を、軍勢・武力 で制圧し 新たな 国家(邪馬台国)を造った 〛 それが真実ならば、日本史の根本が覆ります! 

蝦夷(北海道)の歴史は「旧石器時代」⇒「縄文時代」⇒「続・縄文時代」⇒「擦文時代」で、本土にある「弥生時代」はありません。 何を意味するのか? 蝦夷地を、邪馬台国 が支配した事実がないと言う事です! ただし「縄文人」は、蝦夷地に渡った痕跡が残っています。 土器 や 貝塚 など! 然らば「縄文人アイヌ人」かと言うと、明らかな 証拠 はありません。 それは、アイヌ民族に 文字 が無かったからです。 言葉も複雑で、歴史を正確に 口伝え する術がない事が、誤解を招いたのかも知れません。 身分を証明する為「先祖代々の家系図を見せろ」文字を持たない アイヌ民族 には不可能です!

「縄文人」も「アイヌ人」も、同じ 狩猟採集(稲作を行わない)民族 だったのは事実です。 そこで、ある疑問が湧いて来ます。 「縄文犬」の存在です。 「卑弥呼」が率いる 邪馬台国 は、稲作を中心にする 農耕民族 です。 優秀な猟犬は「弥生人」に必要なかったと思います。 「縄文人」が、狩の仲間として 大切に育てて来た猟犬は「弥生人」の侵略で、飼い主の手を離れてしまった。「縄文人」は、抹殺したのか 本土追放したのか? ただし「縄文犬」は、辛うじて「弥生人」の愛玩犬として絶滅を免れた。 「四国犬」「甲斐犬」「紀州犬」「秋田犬」、琉球に逃れた人々は「琉球犬」として、今でも大切に飼育されています。

「アイヌ犬」の場合は、少々事情が異なります。 「縄文人」の一部は、蝦夷地で暮らしていたのです。 侵略者「弥生人」から逃れたのではなく、元々 蝦夷地 で生活していたのが アイヌ民族 です。 そして、猟犬「縄文犬アイヌ犬」は、現在に至っています。 アイヌ民族 も アイヌ犬 も「代々 平和を貫いた」どこに 疑問があるでしょうか?    

◎「縄文犬」=「アイヌ犬」

「アイヌ犬」が「北海道犬」と改名されたのは、1937年の事です。 実態を知ると「北海道犬」の名称は 適切でありません。 改名するのであれば「縄文犬」が 相応しいと思います!(歴史ロマンを感じます)

「縄文文化」の ロマン

2021-06-01 08:07:19 | “アイヌ文化”関連
7月「北海道北東北の縄文遺跡群」が、ユネスコ世界遺産委員会 で 文化遺産として登録される事になりました。 2005年「知床」が 世界自然遺産 に登録されていますが、北海道で 世界文化遺産 は初めてになります。
「縄文遺跡群」は、北海道・青森・秋田・岩手の 4道県・17遺跡で構成されています。 実際には、日本中に 遺跡・貝塚 が存在しますので、その一部が発見されたと言う事です。 
その中で「北黄金貝塚」「入江貝塚」「高砂貝塚」は、7~30キロ圏内ですので 私の地元です。 と言う事は 2,300年以前「縄文文化」が、当地に根付いていた事になります。 想像はしていましたが、世界文化遺産 に選ばれ 改めて「縄文時代」のロマンを 感じます! 

◎ 縄文時代の「竪穴住居」(レプリカ)


「縄文時代」は、15,000年前の「旧石器時代」から、 2,300年前の「弥生時代」の間、約一万年続いた 世界的にも優れた文明だった様です。 縄文初期は、縄目の模様を施した 土器 が知られています。 後期は、人型の埴輪が 大量に発見されています。「貝塚」は、食糧の残骸 貝殻 や 動物(魚)の骨が集まっているので、ゴミ集積場と考えらています。 実際は 貝殻 や 骨 を加工し、衣服を縫う針 や 釣り用の針 にする 廃物利用の宝庫 だったのかも知れません。「縄文時代」は、金属(銅・鉄)加工技術は なかった様です!
不明なのは、当時の気候です。 おそらく、現在の気温より相当 高かったと想像します。 そうでなければ、半年もの間 狩猟・採取 ができず、備蓄した食糧で 飢えを凌ぐ事になります。 それは、現実に不可能です! 「縄文人」は、米 や 野菜 を栽培する 農耕民族 ではなかった筈です!

◎ ユニークな「埴輪(はにわ)」

縄文時代」は、どの様な経緯で「弥生時代」に引き継がれたのか? 優れた文化が、突然 消滅する道理はありません! 何か、事件があったと思います。 一説では、農耕(米作り)と 金属加工 を得意とする民族が、大陸から遣って来て「縄文人」を 本土から追放した。 その後「弥生人」は、卑弥呼 を長にし「邪馬台国」を築いた。 案外、的を射た 説 です。 然らば「縄文人」は 何処に逃げたのか? 蝦夷 や 琉球 の可能性があります。 理由は、沖縄県民 と アイヌ民族 の DNA分析  で、日本人より類似点が 多い事が分かっています。 確証はありませんが、一万年間 平和が続いた「縄文文化」は、卑弥呼 を中心とする 新参者 に 滅ぼされた事になります!

不思議なのは、蝦夷地(北海道)において「弥生時代」の痕跡が残っていません。 「縄文人」が作ったであろう 石器:鏃(やじり)は、出土するものの「弥生文化」の足跡が何一つないのです。 蝦夷地の存在を知りながら、原生林だらけの 蝦夷地開拓 を 諦めたのかも知れません。 それとも、気候が 農耕に向かないと判断したのでしょうか?  

2,300年前の事ですが、一つ 疑問が湧いてきます。 北海道(我が郷土)に残る「縄文人」は、アイヌ民族 そのものではないのか? 「縄文人=アイヌ人」 そう考えると、総てにおいて 辻褄が 合います。 狩猟・採取 が食の基本であって、積極的に農耕を行わない 狩猟採集民族 。 まるで「縄文時代」の生活を継続している様です。 違いは、埴輪を作った形跡がない事くらいです。 その代わり、丸太を使ったユニークな彫刻は 類似します。 何も「縄文人」と「アイヌ人」を、強引に結びつけるつもりはありません! ただ「共通点が多い」と感じるだけです。

◎ 民族共生象徴空間「ウポポイ」
 

2020年、政府は道南・白老町に アイヌ民族博物館(民族共生象徴空間)ウポポイ を完成しました。 東京オリンピックを盛り上げる為、観光客(インバウンド客)を誘致する目論見を感じます。 しかし、新型コロナによって、思惑は頓挫しました。 観光を促進するのは、人流を抑止する事と相反するからです。 
然らば「縄文人=アイヌ人」として、北海道観光の方向性を切り替えるのは如何でしょうか? 「ウポポイ」も「縄文文化館」も、地域・展示物 に 大きな違いはありません!

それには、問題があります。 2007年、国連 は アイヌ民族の 人権問題 を示唆しています。 要するに、土地 や 資源 の 原状回復 です。「アイヌの財産を返せ」と、暗に 指摘しているのです。 そこに「縄文文化」が加わると、日本政府の思惑が狂います。(推して良いのか 引く冪か)
「ウポポイ」が「縄文文化」に飛躍するとは、想定外だったのでしょうか? それこそ「藪をつついて蛇を出す」また一つ「日本史の不都合な真実」が解き明かされる事になります。 北海道 および 日本 の 先住民 は、モンゴロイド系「アイヌ民族」では ないのかと!

“開陽丸” と “戊辰戦争”

2021-05-26 08:13:48 | “アイヌ文化”関連

大政奉還” & “明治維新” の経緯は、専門家でも正確に答えられないと思います。 どうして 500年前の歴史を説明できても、150年前の近代史が曖昧ないのか? 何か、解明してはならない “不都合な真相” があるのではと 疑ってしまいます! 大政奉還は、開国を迫ったアメリカ合衆国の “黒船襲来” が 原因なのでしょうか? 「このままでは 軍事力でアメリカの植民地にされる」 それを恐れた「徳川 慶喜」は、あっさりと “大和朝廷”(天皇)に政権を移行した。 それとも、幕府に反旗を掲げた “新政府軍” の策略だったのでしょうか? 真相は、闇の中です! 明らかなのは、新政府軍を支援した、“海援隊” の「坂本 龍馬」です。 時のスターの如く現れ、人心を掌握する原動力になった人物です。 しかし、イギリス?の支援を受け 目立ち過ぎた「龍馬」は 敵が多かった。 “池田屋事件” では 辛うじて殺戮を逃れたものの、その後 何者かによって 暗殺されています。 下手人は、京都の治安警察「地回り」なのか、新選組一の剣豪「沖田 総司」なのか 、‟乱世” における ‟謎” です! 

蝦夷(現・北海道)に辿り着いた幕府軍:“新撰組” の動きは、地元と言う事もあり 多少 知識があります。 新撰組を率いた総長「近藤 勇」は、関東での戦いで 新政府軍に捕まり処刑(首切)されています。 総長亡き後、副長の「土方 歳三」が 新撰組の指揮を代行しています。(男気で知られる “鬼の副長” です) 
関東で劣勢に立った新選組は、新政府軍に追われ 蝦夷の箱館(函館)に向かうも、軍力の差は大きかった。 止む無く、軍艦数隻と “開陽丸” で 江差に向かった。 戦略 と 体制 を 立て直す為でした。 しかし 1868年の冬、暴風雪が原因で ‟座礁” してしまった。 まもなく ‟開陽丸” は 江差港で 沈没 した様です。 頼みの “開陽丸” を失った「土方 歳三」と 艦長の「榎本 武揚」は、心底 落胆したと言われています。 その後 別の軍艦で箱館に戻ったものの、新政府軍の優位は変わらず「土方」は、あえなく 敵兵の銃弾を受け 戦死 しています。 新天地を蝦夷に求めた “幕府軍” の日本で最後の内戦:戊辰戦争 は、‟新選組” の敗戦をもって終焉しています!  

これが、歴史の片隅に埋もれた真相でしょうか? もし 開陽丸が沈没せず、新選組「土方」が あと一年生き延びていたら、蝦夷地の歴史が大きく変わったと思います。 戊辰戦争は、‟新政府軍” と ‟新選組” の戦いではありません。 幕府軍(徳川幕府)と 新政府軍(明治政府)の戦いです。 力が衰えたと言え、幕府軍は強かった。 特に ‟会津藩” と ‟庄内藩” は、新政府軍と戦う為に ‟ドイツ” から莫大な軍資金の援助を求めていたのです。 しかし、その目論見は「土方 歳三」の死と、‟戊辰戦争” の敗戦で頓挫した様です。 

疑問は 内戦のどさくさに翻弄され、アメリカ・イギリス・ドイツ の侵略を、新政府軍は 忘れていたのでしょうか? ‟新選組” の抵抗が 一年以上長引けば、日本は 他国から狙われる立場だったのです! ‟お粗末” どころか、余りにも 国は ‟無防備” でした。 新政府軍が目指した ‟明治政府” は、かの国の ‟植民地” になったかも知れません。


◎ 江差港の入江に停泊する“開陽丸”(レプリカ)                                 Kaiyou

明治維新” は、不可解な動向が多過ぎます。 どうして、新撰組 と 新政府軍 の戦いが 蝦夷地で繰り広げ、そのまま “新政府軍” は 北海道に居座ったのか? 新政府軍の策略が、蝦夷地略奪 だとしたら “戊辰戦争” の正当性が問われます! 一体 「土方 歳三」率いる新撰組は、命を懸けて蝦夷地を守ったのか? それとも、明治政府の策略に乗ってしまったのか? どちらにしても、アイヌ民族の聖地・蝦夷 を標的にした “都合の良い略奪” です! 
戊辰戦争で日本の軍事力を誇示し「北の大地(蝦夷)を奪い取った」 どこに大義があるのでしょうか? 徳川幕府は、“北前船” の寄港地として蝦夷を物流の拠点として位置付けていたのです。(鎖国時の大事な貿易港として) 

泰平の 眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で 夜も眠れず」 黒船来航で目を覚まし、持てる軍事力で 弱い ‟アイヌ民族” を威嚇し 攻め入る。 余りにも、安易な発想です。(アメリカ人に勝てないが、アイヌ民族には勝てる) 武家政権:600年の ‟戒め”(人道)を、いとも簡単に破ってしまったのです! 一体全体、誰が ‟利益” を得たのか?

◎「土方 歳三」(鬼の副長)

(男気の副長と言うより、男前の歳三)  

明治政府設立で失職した諸藩の下級武士を、次から次へと北海道に追い遣ったのは事実です。 “屯田兵” として ‟開拓団” として、未開の大地を開墾する様に政府が指令したのです。 要するに、不平不満分子の追放(厄介払い)でした。 その末裔が我々道民ですから、明治政府を安易に批判出来ないと承知しています。 しかし 150年経っても、過去の亡霊(軍国主義)に支配されるのは ご免です。 現在の日本は、世界屈指の “民主主義国?” です。 近代史を振り返るのは、自由だと思います!  

“大政奉還” & “明治維新” で活躍した「徳川 慶喜」「坂本 龍馬」「西郷 隆盛」「勝 海舟」「板垣 退助」「伊藤 博文」「岩倉 具視」「近藤 勇」「土方 歳三」「榎本 武揚」 それぞれ、日本の将来を憂いた方々です。 ただし、日本を “軍国主義” に導いた人物が 確実に居ります。 そして、侵略戦争(領土拡大)に舵を切った! 

果たして「坂本 龍馬」の志は、明治政府に受け継がれたのでしょうか? 残念ながら、新政府軍(明治政府)に都合よく担がれたと思います! 「日本の夜明けは近い」 「龍馬」が言う “日本の夜明け” は、明治政府が歩んだ “軍国主義”・“侵略戦争” の道ではないと思います。    

◎「坂本 龍馬」(明治維新の第一人者)

「坂本 龍馬」は、欧米の ‟民主主義”・‟経済立国” を目指した ‟志” が高い人物と信じたい。 その後の ‟明治政府” は、‟軍国主義” と ‟侵略戦争” の 明け暮れ でした。 「龍馬」の言う「日本の 夜明け は近い」と、‟正反対” です! 

                 


「墓泥棒 は 正当化できない」

2021-05-16 08:12:28 | “アイヌ文化”関連

“泥棒”は、犯罪です! 子供でも他人の物を盗む事は、いけない(悪い)と分かっています。 “墓泥棒” と名指しするのは、事もあろうに日本各地の ‟国立大学” です。 ‟アイヌ人の墓”(土葬)を無断で掘り起こし、無数(1,600体)の頭蓋骨を持ち去ったと言うのですから 呆れます。 犯人は大学の職員か、依頼を受けた一般人か、定かではありません。 ただし、その目的は明らかです。 ‟アイヌ人” と ‟日本人” の遺伝子を分析し、縄文時代からの ‟血脈” の有無を調べたかったのです。 要するに「北海道蝦夷地は、縄文時代から日本固有の領土」と、アイヌ人の血脈を DNA によって証明したかったからです。 しかし その思惑は、あらゆる大学で研究を重ねても解明できなかったのです!

問題は ‟北大”・‟東大”・‟京大” が、独自の判断でアイヌ民族の遺伝子を調べたのか、疑問が残ります。 果たして、“墓泥棒” に 何のメリットがあるのか? エジプト の ピラミッド 盗掘ならば、研究価値が有るかも知れませんが、一アイヌ人の骨に価値が有るとは思えません。 強いて言えば、国が ‟日本の歴史” を書き換える為の暴挙です。「蝦夷地は 日本の先祖が開拓した。それを、科学的に証明て欲しい」 命令に応じた各大学は 、‟墓泥棒” を苦渋の思いで 選択したと思います。 いくら研究の為でも、墓泥棒 は許されない行為です! 

◎ ‟蝦夷地”で生きて来た「アイヌ民族」
 

2018年12月、“NHK・ETV特集”「明治維新から150年、北の大地に生きてきたアイヌ民族の苦難の歴史」で、アイヌ人の遺骨を北大から返還する先住民族アイヌの儀式が放映されました。 それは、戦争で散った邦人の遺骨返還とは、様相が異なるものでした。 当然です。 盗掘された 遺骨の返還です。「ご先祖様の遺骨を返してくれて有難う」と、言う筈がありません。 明らかに、北大側は “針の筵”(弁解の余地なし)状態でした。 北大を代表して儀式に参加した副学長は、首を垂れる事なく立ち竦んでいました。 そんな中、アイヌ民族の代表者は「謝罪しろ!」と一括しました。 決して、厳しい言葉ではありません。「申し訳ありませんでした」 その一言で許すと言っていたのです。 それでも 頭を下げず、儀式から立ち去ったのです!(過去の不祥事とは言え、礼儀を知らない “子供の使い” の様でした)

現在、北海道在住のアイヌ人は 把握している数、おおよそ 13,000人(2017年調べ)です! 間違いなく、‟旧土人保護法” の同化政策で、アイヌ民族は ほぼ滅びてしまった。 いや 日本国籍を与えられ、 身を隠す様に 日本(道外)や 海外 で 生き続けているのです。 故郷を追われた ‟アイヌ民族” の悲しい現実です!

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新聞によると、日本各地(北大・東大・京大など)に保管されているアイヌ人の遺骨 “計1,600体” を、盗掘された地域のアイヌ人に返還する手順(ガイドライン)を政府が示した様です。 返還時のトラブルを考え、政府が一定のルールを設けたのです。 何故、明治時代から続けて来た “墓泥棒” の不祥事を、今になって清算しようとするのか? 勿論、“東京オリンピック”の為です! 

2007年、国連で採択された「先住民族の権利に関する宣言」の中に、‟遺骨の返還” が盛り込まれているからです。 何も、アイヌ民族に対する政府の “思いやり”(人道)では無いのです。 ‟蝦夷地侵略” の正当性?を、世界にアピールする姑息な ‟パフォーマンス” です! 「遺骨は返しますが、土地も資源も返しません」それでは、国連も 世界も 認めません。

果たして 「尊厳ある慰霊」(遺骨返還)が、短期間で成し遂げるられるのでしょうか? 事は、簡単に治まる筈がありません! アイヌ民族への “屈辱” を、アイヌ文化に基づく地方振興(ウポポイ建設)で、癒す事は出来ません!


◎ ヒグマが暮らす環境は無くなった。(アイヌ民族しかり)

「ダッコちゃん人形」

2021-05-12 08:15:09 | “アイヌ文化”関連
昭和に流行った「ダッコちゃん人形」を 覚えているでしょうか? 昭和35年、玩具メーカー ‟タカラ” が販売した ‟ビニール人形” です! 当時、爆発的に売れたと記憶しています。 子供達(自分を含め)は、腕に挟んで 喜んでいました。 キャラクターの元祖的 存在だったと思います。 印象的な 目・口・肌の色、何の疑いもなく「可愛い人形」でした。 

◎「ダッコちゃん人形」
 

おそらく、昭和最大の ‟ヒット玩具” だったと思います。 販売元(現タカラトミー)の ‟ロゴマーク” になったのですから、日本文化に多大な影響を与えたと思います。
そんな「ダッコちゃん人形」は、飽きられる事なく 子供達に支持されて来ました。 突然、昭和 63年に製造販売を中止しています。 理由は、欧米で起きた ‟黒人差別問題” でした。「肌の色で 人間を差別してはいけない」と言う風潮が、世界中で盛り上がったのです。 タカラトミーも、敏感に反応したと思います。「黒い肌のキャラクターを中止しよう」と!
日本には 差別がなかったのか? とんでもございません。 陰湿な ‟虐め・差別” は、昔からありました!

歴史を辿ると 明治32年、アイヌ民族を対象にした ‟旧土人保護法” の制定です。 国籍と名前を与え、今後 日本人として「生まれ変われ」と言う国策でした。 大東亜戦争で、朝鮮半島を侵略した際「明日から日本語を使え」と同じ、相手に有無を許さぬ命令です。 当時 日本は ‟軍国主義” だから、仕方がない措置だったのでしょうか? 違います。 日本は 他民族に対し、‟心を許さない国民性” があったからです! 観光客 や 労働者 は、国益を優先し 入国を歓迎する。 しかし、‟政治亡命者” や ‟難民” は 一切 受け入れない。 単純な 選別(差別)です。
それは ‟戦後” も ‟今” も、本質的に変わっていません!
 
1986年、中曾根元総理は「日本国籍を持つ方々で、差別を受けている少数民族はいない」と、独自の見解を 国会で述べています。 知識が豊富な日本の ‟ドン”(総理)ですら、その程度の認識です。 差別する側は、差別を受ける人達の心情が分からないのです。 在日朝鮮人・在日中国人 に国籍を与える事なく冷遇し、‟アイヌ民族” は 日本に同化した人達だから「差別の対象ではない」と、高を括っている様に聞こえます。 麴町で活動していると、‟北海道” の状況が 見えないのでしょうか? おそらく、‟不都合な真実” を無視していたのでしょう! ‟旧土人保護法” が廃止され、‟アイヌ文化振興法” が出来たのは 1997年ですから、‟中曾根発言” は 適切でないばかりか ‟矛盾” しています。 アイヌ人を「土人」と表現する愚策が、少数民族を差別する土壌になった事は 明白です!(‟琉球民族” にしても同じ) 

我が町は、‟在日朝鮮人”・‟在日中国人”・それに ‟先住民族アイヌ” が、共存しています。 中国人・朝鮮人 の子供は、外国人として虐められるのを目撃しました。 アイヌ人に対し、‟土人” と罵り 蔑むのを目撃しました。 私は、そんな暴言を吐く仲間を 軽蔑していました。 いや、自分の心でも差別はあったので、同罪かも知れません。 「国籍を与えた」「保護している」そんな ‟押し付け” は、差別を増長する ‟根源” です!  

‟白人至上主義” を掲げた「前アメリカ大統領・トランプ」は、民族の分断を 煽ったと思います。 黒人差別・エスパニック差別・アジア差別、以前は  ‟インディアン”・‟イヌイット”(エスキモー)問題もありました。 ‟民主主義” のお手本である「アメリカ合衆国」は、建国以来 人種差別の ‟伏魔殿” と言えば過言でしょうか? 移住政策で栄えた国としては、矛盾だらけの ‟近代史” です!

図らずも ‟新型コロナウイルス” の影響で、‟差別” は 伝染・増長すると危惧しています。 日本でも、‟ヘイトクライム”(憎悪犯罪)に発展しない様 祈るだけです。

ダッコちゃん人形」の話が、‟差別問題” に 飛躍しました! ご勘弁ください。