今から4~50年も前のことですが、日本で山岳写真というジャンルを確立した白旗史郎のヒマラヤ山岳写真集を目にして以来、「一度は自分の目でヒマラヤを見てみたい」との思いを抱き続けてきました。
定年退職後も、常にネパールのガイドブックを手元に置いて、ネパール語の日常会話集なども本棚に飾り「何時かきっとヒマラヤに行ってやるぞ」と念じ続けてきました。
そんな日々の中で偶然、航空会社のポイントを使って、安価にネパールへ行けるチャンスが転がり込んできたのです。
既に年金生活へ突入して、贅沢ができる身分ではありませんが、一度チャンスを逃したら、次は無いかもしれません。
慌ただしく旅の準備を進め、気が付くとカトマンドゥ( カトマンズ )の宿に辿り着いていました。
私にも青年時代と呼べる季節がありましたが、その頃は日本を離れ、見知らぬ世界へ旅立ちたい衝動に駆られていたことを、今更ながらに思い出しています。
「青年は荒野を目指す」などと云う、かなり気恥ずかしいフレーズに獏とした憧れを持っていたことも事実です。
多分、あの頃から基本的な精神構造は少しも変わっていないのかもしれません。
昼近くになって、宿の向かいの店でパンを買って口に頬張り、それをコーラで胃へ流し込むと、私はカトマンドゥ市街の散策に出かけました。
初めて訪ねた異国の街に、好奇心を刺激されたのですが、思い付きの旅ですから、スケジュールに因ってはこの街が拠点となるはずです。
バスなどの交通事情やドミトリー(相部屋方式の安宿)などを確認しておこうと考えました。
下のカトマンドゥ市街の概念図(市街図)を以下にご覧下さい。
図の上方の四角いオレンジ色がゲストハウスのドルフィンです。
カトマンドゥ市街北部のタメル地区と呼ばれる場所に位置しています。
市街の南北は徒歩で30分程。凡そ2kmぐらいの距離でしょうか。
私は宿前の細い路地を抜けて、ナーシングゲイトと称する、南へ延びる通りへと歩を進めました。
通りの両側には衣料品店や御土産物屋などが並んでいます。
通りは意外と清潔で、ゴミなどは見当たりません。
デリーの街とは雲泥の差です。
ヒンドゥー教の仏具か、お土産用かは分かりませんが、いかにもネパールらしい装飾品を並べた店などが目に付きます。
タメル・チョークの十字路を抜けて暫く進むと、市街図青△1のタヒティー・チョークと呼ばれる場所に出ました。
白いストゥーパ(仏塔)に幾枚もの旗がはためいていました。
この場所は複数の道が交差していますが、信号もない広場の中で、人、自転車、バイクや自動車までもが混然と行き交っています。
私は気儘に、斜め左手の道へ進みました。
石畳み通りに面した肉屋の店先に、生肉を載せた台が無造作に置かれていました。
その先の道は、市街図青△2のアサンチョークの交差点へと続き、その場所のアンナプルナ寺院では、香が絶え間ない煙を燻らせていました。
周囲には、豆や穀物の袋を並べた店が軒を並べ、タメル地区とは違った、より庶民的な暮らしを感じさせる雰囲気を漂わせていました。
※ 他の記事へは index をご利用頂くと便利です。
ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 1
ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 2
全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次