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そよかぜノート

読書と詩の記録

「生きてます、15歳。」

2005年11月23日 | book 児童書 絵本
■「生きてます、15歳。-500gで生まれた全盲の女の子」
■作者 井上 美由紀
■ポプラ社 私の生き方文庫
■資料 「母の涙」

 私は生まれたときの体重が500グラムしかありませんでした。生まれてすぐお医者様から説明があったそうですが、母は私のあまりの小ささに,涙があふれて先生の説明が聞き取れなかったそうです。私の5本の指はまるでつまようじのよう、頭の大きさは卵くらい、太ももは大人の小指くらいだったそうです。それから7ヶ月間、私は病院の保育器の中で育ちました。母はその間、雨の日も雪の日も、毎日欠かさずに、私に会いに来てくれました。母が指を私の手のひらにやると、私はそれをしっかりとにぎりしめていたそうです。
 母が私に会いに来る時間になると、看護婦さんたちは、あわてて私の顔をきれいにふいたり、おむつをかえたり、大変です。なぜなら、私の顔が少しでも汚れていようものなら、母からきつく叱られるからです。
「どうして今日は顔がきたないとね。顔ぐらいきれいにふいてやらんね。忙しいとは分かる けどそれがあんたたちの仕事やろう。」
と言っていたそうです。
 生まれて5か月くらいになると、保育器から出て母に抱かれました。その軽さに母は、
「よくここまで生きてきたね。よく頑張ったね。えらかったね。」
と言って泣いたそうです。
 そのころ母は、私の目のことをお医者様から告げられました。
「美由紀ちゃんの目は、将来、ものを形として見ることができません。」
 母はそのとき、ふいてもふいても涙があふれ出て、どこをどうやって家まで帰り着いたのか、分からなかったと言います。
 でも母は、間もなく気持ちを切りかえ、「美由紀とふたりで、がんばって生きていこう。」と誓ったそうです。
 私が幼稚園のころ、母とふたりで近くの公園に行ったときのことです。遊ぶ前に母は、「ここにベンチがある。」「少し歩くと看板があるから注意しなさい。」などと、その公園の様子を、こまかく教えてくれました。

 でも、私はそこで遊んでいる途中に、その看板に頭をぶつけて、大けがをしてしまいました。ところが、母は私を助けてはくれません。また、転んでけがをしても知らん顔です。
「あんたが注意して歩かんからやろ。痛かったらもっと気をつけて遊ばんね。」
母の言葉はそれだけです。
 私が2階の階段から落ちて、本当に痛くて、動けなくなったことがありました。そんなときでも母は、上から、
「あんた、そんなところで何しようとね。」
「階段から落ちて痛くて動けん。」
と言うと、母はたった一言、
「ごくろうさん。」
それだけでした。

 でもあるとき、こんな出来事がありました。ある日、私が公園のブランコに乗って遊んでいると、男の子が3人やって来るなり、私の顔をのぞき込んで、
「こんやつは、目がみえんばい。」
そのとき母がそばに来て、
「目がみえんけん、なんね。こん子はあんたたちよりよっぽどがんばりやで、思いやりがあるとよ。分かったね。」
と言いました。そしたら、その男の子たちが、
「おばちゃん、ごめん。」
と言って、いっしょに遊んでくれました。
 私が小学校3年のころ、母とふたりで補助輪をとって、自転車に乗る練習をしました。

 私はてっきり母が、自転車の後ろの荷台を持ってくれるものだと思っていました。ところが母は、ベンチに座って、大声で叱るだけなのです。私は自転車ごと倒れてしまい、ひじやひざからは血がふきだしました。でも母は、知らん顔です。
 1回倒れたら、自転車がどこにあるかさがすのが大変です。やっとの事でハンドルをつかんでも、今度は自転車をおこすのにひと苦労です。それでも母は大声でどなるばかりです。私は腹が立って、腹が立って、「なんて冷たい母親だろう。」と心の中で思いました。
 しばらくの間、乗ってはたおれ、乗ってはたおれしているうちに、なんと自転車がスイスイ進むようになったのです。そのとき、母が私のそばに来て、
「美由紀、よく頑張ったね。何でも根性やろう。やろうと思ったらできるやろう。」
と言って、ふたりで抱き合って喜びました。抱き合っているうちに、私は母に腹をたてていたことなど、すっかり忘れていました。
 今、私は中学3年生になりました。今でも母には、いろいろなことを教えてもらっています。人に思いやりを持つこと、やろうと思ったらできるまで頑張ること、礼儀作法をきちんと守ることなどです。私はそんな母が大好きです。
 私は目が見えないので、たくさんのことはできないかもしれません。でも努力することはできます。
 今度は、母に喜びの涙をながしてもらいたい、と思います。それはふいてもふいてもあふれ出てくる、喜びと幸せの涙です。それは私が私の夢を実現できたときに、かなうことでしょう。
■世の中の厳しさ、生きるために弱音をはかない心の強さをしっかりと教えてくれます。あんなにしなくていいのにと、私なら思ってしまう。そこまで厳しくできない。だから、きっと親子ともども朽ちて倒れていくだろう。しかし、彼女の母は、未来を見ていた。だからこそ、心を鬼にしてでも、少々のけがをしてでも、強くなることを教えたのだと思う。母親自身が心を強くもったからこそできるのだと思う。


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