すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

その〇〇はトキメクか

2017-09-29 | 日記
今までいろんなものを作って売ってきたけど
昔から値段付けがとても苦手でした。


一般的には
材料代+かかった光熱費+かかった時間+・・ってすればいいっていうけど
なんかしっくりこない。
長いことそういう値段の付け方に違和感があった。


”働いてる”っていうより
これがいいって思うことをやってるだけだから
それを「時間」っていう区切りで切り売りできないんだよね。。
(それに採算や効率優先でやったときって
必ず後から後悔するようなことが起こるから
いつからかそれはやめた)


それで
周りと見比べて
ああ、アレがいくらで、コレがいくらなら
私のはこれくらいだったら
ダレも文句言わないかも・・
(あー、でもやっぱり安すぎるナ∼… T-T)なんていう
ビビりな値段の付け方してました!




そしたら最近この動画見た。→実現リモコン

ハッピーさんがこの動画の中で言ってます。

「モノを売ってるんじゃないんですよ
エネルギーを売ってるんですよ!」


あと

モノを作って世に出すまでの過程
とにかく細部まで、どこをとっても、
「自分がトキメク○○」を徹底すれば売れる!ってことも。
(○○には材料、デザイン、値段、ディスプレイ、などが入る)




なるほど と思った。




以前ある方から聞いた話を思い出した。

「ポテトチップスは”空気”を売ってるんですよ」
カルビーの会長さん(前社長)が言ってたそうだ。

(カルビーの会長さんのお話し聞きに行ったことあるけど
とても福福した気持ちのいい気を出してる方でした。
ご高齢なのに情熱的で若々しかった。)

その時は
ポテトチップスって中身が砕けないように空気が充填してあるから
実質何十グラムかしか入ってないし
うまい商売ってことかなって思ってたけど、
ハッピーさんのこの言葉を聞いて
そうゆうことかと思った。


ポテトチップスを開ける瞬間って「楽しい」じゃないですか
今日はお家でポテトチップ食べながらあの映画見よ~♪とかね
そういう楽しいエネルギーにお金払ってるんだ。
その楽しいエネルギーを自分に取り込む。

この内容でこの値段は高い!とか思ってないよね。
(ちなみにそれ食べるときに、ああこんな時間に、とか、カロリーが添加物が、
とか気にしてたらエネルギーが下がるんだろうな)



モノをプレゼントするときのラッピングもそう
あのもらった時の「わ~✨」っていう瞬間
開けるときのわくわく感
これ
嬉しい楽しいワクワク、
なんか⤴⤴⤴なエネルギーですね。

「見えること」だけについて言えば
捨ててしまうものなのにムダとか
ここにお金(労力)かけるの意味ないとか
言うこともできるけど
こういうことは目には見えないけれど
「プラスのエネルギー」が流れて
(エネルギーは良い悪いじゃなくて、プラスかマイナスか・高いか低いか・明るいか暗いか・軽いか重いかだと思う)
それが「豊かさ」につながってるのかなって思った。


そういうエネルギーに対してお金を払うんだ
だとすれば
作る側も豊かな気持ちで作りたい
プラスのエネルギーを込めたい

モノでも食べ物でも
私はいいものを作ってるって自分で思ってる
おいしいよ~⤴♡
これいいよ~⤴♡
って思ってる

せっかくいいものでも
値段付けるところで「卑屈」⤵になった時点で
その商品のエネルギーがちょっと下がるってことか
って思った。


そしてきっと
トキメク値段ていうのは
誰かのアノ商品(一般に言う相場)よりも
高いかもしれないし安いかもしれないけど
それと比べてどうこうっていうんじゃなくて
その値段をつけて
「私」が
「どう」感じるか?
内側の「感覚」を感じながらわかってくるものなんだろうう。



ずっと苦手意識が根強くあったお金のこと
これからはもっと楽しく向き合っていけそうな気がしてきた。


白状しまっす

2017-09-27 | 日記
私のいちばん隠したいカッコ悪いところは

それは



それは




お金の管理ができない

というか

計算ができない

というか



金銭感覚が

おかしい



ところです。





ひゃ~~~ 言っちゃった!



子どものころから貯金てものをしたことがない。
企業に勤めてお給料たくさんもらってた時も
バイトしながら好きなことしてたときも
あればあるしこペラって使ってしまう。
これ ちょっとビョーキかも?って思ってた。





長いことそんな自分を隠して生きてきました。


こんなんではダメだ、いつかは克服しなければ。。と思って生きてきました。




ですが




ちっとも変わりませんで今に至ります!  (`・ω・´)ゞ





そのくせ昔から
自分で真剣に作ったモノやサービスに対しての対価を受け取るときに
なんかすいません(''◇'')ゞ って
申し訳ない感じがいつも付きまとって
そして価格設定を低く低くしてしまう。

それで後でモヤモヤする。
お金に対しての観念が
かなり屈折してたんだなって思う。




いままで自分のこういうところ
見て見ぬふりをしてきたけど

認めてあげようと思う。

(パートナーには白状してたけど
ブログに書くなんて到底ムリとおもってた。
でも隠して余裕のフリしてる自分が白々しくて
本当に認めるために書こうと思った)



結婚してた時は
自分がそんなだってこと
なかったことにして
できる顔して(できなきゃ路頭に迷う!と思って)
頑張った。

髪振り乱して頑張った。
ちゃんとしなきゃ!って
いつも自分を見張り相手を見張り
何かに追われるようにせわしなく
心が落ち着かなかった。

頑張っても頑張っても先が見えなかった。
私はこんなに頑張ってるのに!って
ギスギスして
ダンナは鬱になり
私は痩せこけパサついていき
お互い擦り減っていった。


離婚したあと
ほんとはすごく似たものどうしだったなって気付いた。

肩の力が抜け
気がついたら
ほんとは何をしたかったのかわからなくなってた。
だから敢えて何もしないでみた。→やめてみる を やってみた。

そしたらお金がなくなったんで
バイトでもやるかって思ったら、てんでできなかった。→できないこと。引き出しにもともと入っていないもの。
そして自分を知れた。→前者後者論って知ってますー?



独りだったし
体の不調もきてたし
見える現実はどん底だったけど
なぜか「大丈夫」は揺るがなくあった。

私の内側では
長いこと背負ってた荷物をどんどん捨てて(そして今も捨て中)
ココロがどんどん軽くなった。


不安や怖さも時々来そうになったけど
そんなときは
米、ある!
水、(川が)ある!
火、(薪が)ある!
だいじょうぶ、生きていける!
っておもった。

(じっさい電話は止められたけど
ライフラインは止まるに至らなかった。)


なにが好きか
どうしたいか
一つ一つ感じながら
自分の中から気力が湧き出てくるのを待った。


そしたらだんだん元気になった。
ちょっとずつ行動しはじめた。



そうやって
ホッと力が抜けて
本来の私に戻りだしたら
過去の見え方が変わった。
あの頃の自分がどんなだったか
よーく見えてきた。


ほんとの私を許してなかったから
相手のことも許せなかったんだ

心でなくてアタマで動いてるから
体は重く
しんどかった~~~

相手もどれだけしんどかったかね・・


それからはじめて
本当の和解ができた。




今日の日記

2017-09-25 | 日記
先週の新月(彼岸入り)から 秋分の日 から の今、 

この間はいろんなことがあった


嬉しいこと 

アンテナがキャッチしたことを実行に移せて
そのアクションが広がって
嬉しいの和が広がったこと

 
苦しいこと

今までもやもやしていた
私の中のお金に関しての壁を
破りたくて
行動を起こして
軋轢がおこったこと
こっちは
胸がギューッとして
ざわついて
考えると
いろんなダークな重い感情が出てくる



すごく両極端
すごく象徴的

どちらのエネルギーも私の中から出たもの
どちらを育てていきたい?
どちらの世界に住みたい?

答えは明快

育てていきたいほうに
注目して
お世話していこう。


望まないほうは
水をあげなければ
枯れてしまうから
放っておこう。



その境目に立っていると
時々引き戻されてしまいそうで
そのたびに
胸がギュッと
なる。


これは
私を流れるエネルギーが収縮してるってこと

水が流れるホースを
踏んで流れを止めることと同じ

その圧力を感じたら
おっと、今、呼吸してるー?って
呼吸浅くなってるよ~
呼吸を感じて
今を感じて
今に戻ってくる。


これを繰り返している。



なんかこれは
ターニングポイントなのかなー?

ちょっと象徴的に両極端の出来事でした。



苦しいような感情が襲ってきたときって
つい
私は悪くないとか間違ってないとか
やっぱり悪いのかなとか間違ってるかなとか
私って間違ってないよね?って他人に聞きたくなったり(そんで間違ってないよ!って言ってほしい)
そんなぐるぐるの蟻地獄に陥りそうだけど

おっと待て

正しいか間違いか
善か悪かの
私の住むところをそんな世界にしたいのかよ?!
ちがうちがう

そこじゃないよね。
まわりを見て見比べて判断するそんな世界観は分離の世界
もーそれは終わりのない苦しい道
思考が創り出す幻想の世界
そっちにはもう戻らないよ


「考え」たって思考はろくな答えをもってないね



はい
呼吸して~

「思考」の世界から
「今」に帰ってきて~


はい

お帰りー

一日に何度もこれやってるよ  笑






日が差してきたよ



まずはお散歩行こうかなっ

って言ったら

犬たち

のび~~~ってして

行く気まんまん



では

行ってきます(^o^)/









甘酒のこと 

2017-09-17 | 日記
はじめにお知らせです。

甘酒の原料に使っていた、自家栽培米が終了しました。
うちのお米が終わったら甘酒つくりを休止しようかと思ってましたが
平戸産の無農薬無肥料のお米が手に入りましたので
引き続き、次の収穫までは
この平戸産のお米で糀、甘酒を作ることにしました。

品種は今までのヒノヒカリから
ヒトメボレに変わります。
ふつうに食べてみて
甘味があってとても美味しいお米です。
甘酒の味もちょっと変わったのか、な?
(私はあんまりわからない・・う~んさらに甘くなったような気がします。とにかく美味しいヨ!)


*********


去年の夏
甘酒を作り始めて

小さな音楽ライブに出店させてもらったときに
おそるおそる販売してみたのが約一年前

その時の日記→垂直時間でやってます




去年の夏といえば
とにかく体調が悪くて
あんまり働けなくて
収入はないし
どうしようかな~。。ってときに

お米の在庫がたくさんあるけど
ぜんぜん売る気がしなくて
というのも、

この時のお米が、良い出来ではなくて
辛口の母に
「あんたの米、まずか!」とぼろくそに言われて  (笑)

(この時のお米は田植えが大幅に遅れたため生育が悪かった。
粒が小さいために、白米でふつうに炊いたらベチャッとなってた。)



で、お米で売りたくないなー、と考えて思いついたのが
糀屋さんに糀にしてもらおう☆

それで自分用に味噌や甘酒つくろ!


で糀屋さんに行ってみたら
うちのお米でやってもらうには
米5升(約7.5㎏)単位でなら可能、ということで
そんなにあっても一人で消費しきれんなー
というのが甘酒を売りはじめたきっかけ。


お米がおいしくないな、、とは薄々気付いてたけど
母がそこまでぼろくそに言わなかったら
モヤっとしながら売ってただろうな
だから結果的にはほんとよかった。
(その時は凹みましたがね)

という
「なりゆき」で始めた甘酒ですけど
まず私が、おいしいー!と嬉しかった。

で、その年のお米はまあまあの良い出来になりましたが
引き続きお米で売るより面白いので続けています。


糀も自分で作るようになってから
はじめは上手にできなくて
今になって振り返れば
品質が落ちた時もありました。
その時はわからなかったけど。
うまくできるようになったら前の未熟さに気付くといった感じで。
そんなとき
離れていったお客さんもいるかもしれないけど
変わらず買い続けてくれているお客さんもいて
本当にありがたいです。

いつも糀と甘酒を作るときは
やさしいこころ持ちで接します。
もし落ち込んでたりイライラしてるときは
扱う前に気持ちをリセットします。

生きてるから
影響あると思うので。


そして毎回毎回ですが
出来上がった甘酒に
う~まい!と褒めたたえてます。
私だけの仕事じゃなくて
菌さんたちのなせる仕事ですから。
いつもおいしくて悶絶してます。


こんな感じで
いつもその時その時
気持ち込めれることをやってるだけですが
後になって眺めてみると
あぁそうか
あれがあったからこれがあって
なんでも無駄なことはないなぁと
うまくできてるなぁと思う。
先のことより

どうしたいか
に乗っかっていけば
大丈夫なんだなぁ




今年のお米も花が咲いて実りはじめました。
毎日
よしよし😊と眺めてます。