すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

手すりを放す

2018-12-06 | 心で生きる
わかったと おもったとたんに またコケる 


わかったなんておもったとたんに
驕りが出てくる
中心からブレる

そんでコケる _| ̄|○


あ、いま できてるーーって 思ったとたんふらつく
補助輪はずしたて 🚴



瞑想やヨガでもそうだけど
できるとかできないとか
そういういうことじゃないのにね



人に評価してもらうためとか
よりよく見せるために、とか
より良い自分になるために、とかじゃない。
なにかの“ため”にじゃない。



何かをプラスして、自分の殻を強固にしてく方向とは逆で

落として 剥がして
捨てていく



言葉を落とす
観念を落とす



手すりを放すのが
怖いんだな


だけど
ずっと
これがやりたかったんだとおもう


たぶんこれをしに来たんだとおもう
この世に 



そういえば昨日 いい言葉を聞いた。
昔々 仏陀が言ったそうだ

「偽物は はじめ甘く、あとで苦い
本物は はじめ苦く、あとで甘い」

後でくる甘さとは
ようするに至福のこと




今日もいのちが、私を生きてる


昨日の続きじゃない

まっさらな時間を
生きよう




↓クリックよろしくね↓
人気ブログランキング










コメント

心のジオラマ

2018-12-03 | 心で生きる
私が見てる世界を模したジオラマがあったとする。
ジオラマの中には
高い山があったり、深い谷があったり、楽しい遊園地があったり
様々な境界線もある。

それは
”私が見てる”世界。
デフォルメされた世界。


あるがままの世界はたぶん、フラットな世界で
見てる人が(ていうか 見る人があるから、世界が立ち顕れるんだけど)
そのフラットな中の、無数の要素の中から
特定のものを拾い上げ
注目して、判断して、区別して
デフォルメがなされていく。
(だから同じ世界に住んでるようでいて、みんな違う世界に住んでいる)

”こだわり”が、いろんなランドマークとか地形となる。

こだわりには「好き」もあれば「嫌い」もある。
「いい」もあれば「悪い」もある。
好きも嫌いも、良いも悪いも、
どちらもこだわり、という点では同じようなものだ。



で、
この”こだわり”が弱まるほどに、世界がフラットに広がるんだと思う。
こだわりがギュッと縮んでシワになって、山や谷になってたんだ。
こだわりはエネルギーの収縮。緊張でギュッと固くなってる状態。滞り。

こだわりが弱まるとエネルギーはホッと緩んでシワが伸びてフラットになる。
遠くまで広くクリアに見渡せる。
滞ってたエネルギーは流れはじめる。


こだわりを捨てるって
好きとか嫌いとか
良いとか悪いとかを
思わないってことじゃない


好きもあれば嫌いもある
光もあれば闇もある
それは行ったり来たりの振り子であるだけ

その移りゆくものを
握りしめて持ち歩こうとしないってこと。


なんでも思って
なんでも感じて
味わったら
忘れていい。


知識でも
感情でも
忘れたくないから
忘れちゃダメだと思ってるから
持ち歩こうとするんだな。人間は。


忘れていい。
体で知ってることは
ぜったい忘れないから。

必要なトキに
必要なカタチで
ちゃんと出てくるから。


安心して忘れていいんだ。



忘れようって思うのとも違う
忘れようっていう時点で対称があるから
対称にとらわれてる。



いま感じることに戻ればいいだけ
呼吸に戻ればいいだけ

簡単すぎて見失う
だから
練習してる。
いつも
いつも



練習してたら

世界はこういうもの、って思ってた風景が
最近なんだか変わってきた。


毎日フレッシュな世界に出会っている感じ

この練習はとても楽しいのだ 






↓クリック応援よろしくね
人気ブログランキング
コメント

いまここの車窓から

2018-11-27 | 瞑想
日曜は阿部さんの瞑想会に行ってきた。
普段は車だから
特急列車とか
乗るだけでワクワクする。


いちばん前の車両だったので
前方を線路がずーっと伸びてるのが見えて
遠くの景色がどんどん近づいては過ぎ去っていくのをただ見てた。


景色は瞬間瞬間、変わっていくけど
どの景色も
完璧に美しいって感じた。





動いてるのは列車のほうだけど
こうやってると
存在としての私 はずっと「ここ」にいたんだとわかる。

私の中心に下りていって観てみれば
ずっと「ここ」にいたし
「ここ」以外、行きようがない。

変わっていくのは ただ、景色だ。

これまでも、景色はずーっと変わってきた。

外側のことも内側のことも
すべては動いている。
何ひとつ、確かなことはなかった。
そしてこれからも


いろんなことがあったようでいて
いろんなことが来ては去り、来ては去り、、、移ろいでいるだけで
この「場」というのは
もともとカラッポなんだなぁ。



ほんとに、「いまここ」においては
何も起こってないのだなぁ


苦しみはストーリーの中にしかない。



瞑想はストーリーを横に置いて
ただ 在る という
ありのままの命に帰る時間

そしてそれは
いつもここにある。


それを携えて
今日も娑婆を生きるのだ 



↓クリック応援よろしくです↓
人気ブログランキング






コメント

時間という幻想

2018-11-20 | 心で生きる
私はまだまだ多くの時間、外側から自分の時間を見つめている。

見つめているのはマインド(自意識、思考)だ。

そこには いまとの乖離がある。

マインドはいまに生きられない。

感じることでしか今に生きられない。



他と比べて
劣等感を持ったり
優越感を持ったりするのは、
マインドが
他の時間と私の時間を見比べて
あっちはいいなぁ、こっちはすごいなぁってやってるようなものだ。
切り取ったとたんに真実のすがたは失われるのに。

そんなことはやめて
今という時間の湖底に鎮座しよう
そうすると
時間はないってわかるから。
むろん「他の時間」も「私の時間」も幻想だってわかる。



ごはんを食べているときも
仕事をしているときも
誰かといる時も
一人の時も
ボーっとしているときも
散歩してるときも
どのいまも
優劣はない

かけがえのない、いまを
今日も生きてみよう(*´▽`*)




↓クリックよろしくです↓


人気ブログランキング




コメント

不自由の中の自由

2018-11-14 | 心で生きる
以前 ある人とこんな話をした



「境遇」と「幸せ」ってのは関係ないね

どんな境遇にいようと
こんな境遇のせいで不幸だと
不満を言いながら生きることもできるし

境遇とは関係なく、
目の前のどんな些細なことからでも
幸せを見つけることもできるよね

だから例えば戦争の世に生きてたとしても
日々の中に喜びは見つけられると思うし

極端な話だけどさ
病床にあっても
牢獄に入れられても
身体の自由を奪われたって
その中で人は幸せを見つけることができるんじゃないかな

だからどんな不自由や苦しみの中にある人にでも
自由は残されていると思うんだ


そうだね
その気になりさえすればね

明日死ぬとしてもね



・・・





”今に生きる”の今ってのは
時間軸で言う今じゃないんだ

むしろ
時間軸から解き放たれること


「いつか」ではなくて
「今(これ)がすべて」なんだって認めること、諦める(明らめる)こと
「今(これ)が最善」だと
そういう生きる姿勢

「今を生きる」と「愛を生きる」は
同義語だ



この先、私が
傷つかないようにとか
悲しまないようにとか
苦しまないようにとか
損しないようにとか・・・
そういう心配や画策は
結局のところ
私のエネルギーを委縮させる

そんなものはぜんぶ捨てて
手ぶらで行こう


”流れ”がやっていることなんだから
流れに任せて
気楽に行こう



なんにもいらない


手ぶらで気楽に
バカになって
真剣に遊ぼう





今日は朝から虹。しかもダブル!
久しぶりに見た(*´▽`*)
良い兆し♪



↓クリックよろしくね↓

人気ブログランキング
コメント