すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

心のジオラマ

2018-12-03 | 心で生きる
私が見てる世界を模したジオラマがあったとする。
ジオラマの中には
高い山があったり、深い谷があったり、楽しい遊園地があったり
様々な境界線もある。

それは
”私が見てる”世界。
デフォルメされた世界。


あるがままの世界はたぶん、フラットな世界で
見てる人が(ていうか “見る”があるから、世界が立ち顕れるんだけど)
そのフラットな中の、無数の要素の中から
特定のものを拾い上げ
注目して、判断して、区別して
デフォルメがなされていく。
(だから同じ世界に住んでるようでいて、みんな違う世界に住んでいる)

”こだわり”が、いろんなランドマークとか地形となる。

こだわりには「好き」もあれば「嫌い」もある。
「いい」もあれば「悪い」もある。
好きも嫌いも、良いも悪いも、
どちらもこだわり、という点では同じようなものだ。



で、
この”こだわり”が弱まるほどに、世界がフラットに広がるんだと思う。
こだわりがギュッと縮んでシワになって、山や谷になってたんだ。
こだわりはエネルギーの収縮。緊張でギュッと固くなってる状態。滞り。

こだわりが弱まるとエネルギーはホッと緩んでシワが伸びてフラットになる。
遠くまで広くクリアに見渡せる。
滞ってたエネルギーは流れはじめる。


こだわりを捨てるって
好きとか嫌いとか
良いとか悪いとかを
思わないってことじゃない


好きもあれば嫌いもある
光もあれば闇もある
それは行ったり来たりの振り子であるだけ

その移りゆくものを
握りしめて持ち歩こうとしないってこと。


なんでも思って
なんでも感じて
味わったら
忘れていい。


知識でも
感情でも
忘れたくないから
忘れちゃダメだと思ってるから
持ち歩こうとするんだな。人間は。


忘れていい。
体で知ってることは
ぜったい忘れないから。

必要なトキに
必要なカタチで
ちゃんと出てくるから。


安心して忘れていいんだ。



忘れようって思うのとも違う
忘れようっていう時点で対称があるから
対称にとらわれてる。



いま感じることに戻ればいいだけ
呼吸に戻ればいいだけ

簡単すぎて見失う
だから
練習してる。
いつも
いつも



練習してたら

世界はこういうもの、って思ってた風景が
最近なんだか変わってきた。


毎日フレッシュな世界に出会っている感じ

この練習はとても楽しいのだ 






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