すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

Sちゃんに

2015-11-16 | 日記
昨日 幼なじみのSちゃんが 旅立って逝った
そのとき
地区の道路清掃で 草払機ブンブンやってたから
Sちゃん、挨拶に寄ってくれたかもしれないけど
気がつかなかった。

Sちゃんは癌だったんだけども
誰にも
ギリギリまで親戚にも知らせず
ひとりで癌と向き合っていた。

そのまま
誰にも言わずに逝くつもりだったのかもしれないけど
ひと月前
いろんな奇跡的な偶然(ではないと思ってるけど)に導かれて
会うことができた。



病室でSちゃんの顔を見て
残された時間はもう長くはないことが
すぐにわかった。



子供の頃からSちゃんは
いつもにこにこしていて
泣いた顔や怒った顔を一度も見たことがなかった。
控えめで優しくて
でも決してひとに弱みを見せたことがなかった。

病室に駆けつけたとき
「きつかったね
ひとりでようがんばったね」
と言うと
そんなSちゃんが声を出しておいおい泣いた。
そしていっしょに泣いた。




奇しくも
共通の幼なじみが、Sちゃんの病室をつきとめたその日
私は「お手当」(頭蓋仙骨療法)の講習を受けていて
はじめて病室を訪れた時 すぐにそれをやってみた。

はじめはちょっと緊張したけど
二度目に行ったとき
何かしてほしいことある?って訊いたら
かすかに

「 お て あ て 」

と言った。





Sちゃんへのお手当は
「治そうとしない」
ということを教えてくれた。

ただ いのちに寄りそうこと
それがどんなことかを。

いのちを感じるには
この器がじぶんでいっぱいになっていたら
わからない

「治そう、良くしよう」ということすら自分基準
そこには、なにが良くて・なにが悪い という判断がある。


からっぽにすると
感(観)じられる
そこ にいると
その人の過去とか
その人がどんな人だとか
その人が何を成したかとか成さなかったとか
そういう概念は
まったく
意味を持たない





若いころ、わたしの創作活動の動機は
いかに自分の痕跡を残すか?だったとおもう。
だから
自分の痕跡(作品や名前や遺伝子やら)を残さないで死ぬことは恐怖だった。

自分の人生も世の中も良くしていかなきゃって思ってた頃は
いつも上手くできない自分が歯がゆかったし
上手く生きていくための身体の自由を奪われることも恐怖だった。

そう 上手く生きていかなきゃ という思考は
常に正しい選択をしなきゃ ということを強いていて

[病気 = どこかで選択を間違ったから]

どこで間違った?
なにがいけなかった?

「原因は?」

そういう思考回路だ。


それはとても窮屈で
いつも肩に力が入っていて
わたしを本当にリラックスさせてはくれなかった。

人生にはいっぱい落とし穴が仕込まれていて
私はそこに落ちないようにしなきゃ という感じだった。

もしその頃だったら
Sちゃんを前に
元気だった頃のSちゃんの面影を求め
以前のSちゃんがもうそこにいないことを
悲しんでいただろう
そして何もできず、すごすごと帰ったとおもう。



姿かたちはすっかり変わっていたけれど
Sちゃんはとても美しかった。

いつも 私を気遣って
「ともちゃん いそがしかとに わるか」と言って
最後に病室を出たときも
「ありがとう」って唇が動いてた。

Sちゃんといっしょに過ごしたのは
いのちに寄りそう とき だった。
それは
ほんとうに
美しいときだった。


別れはいつも悲しいけれど
死は悪いことではない。
生きた時間の長さとか
まったく 関係ない
いのちはただ
輝いていた


Sちゃん

ありがとう


またね