すべてのみちはここに

もう追いかけないよ 
宝物は 
いつもここにある

ほんとうの我が家

2021-03-21 | サンガ
中道という生き方は
右と左
善と悪
正と誤

中間にあるんじゃなくて

そうゆういわば水平方向にある判断や分別やかけ引きから
垂直方向に抜ける生き方



正しい があるとき
間違い がある

表 があるとき、
裏 がある


私という"立場"から見るときは例外なく
私の「都合」を通してしか見れない。ということを知っておこう


水平方向に広がる"戦場"を上から見て
「どっちに行っても一緒だね」ってことが見渡せる地平からの視点
それが中道





右に行くべきか
左に行くべきか

どっちでもいい


やってるつもりの自分がいるけど
ほんとは
そういう縁が起こっているだけ



だからこそ、
その時その時の私が
思うようにやればいい

そういう"思い"が浮かんだことも
起こったこと




それぞれが自分の中の光に従い進むこと
それぞれの中のその光は同じもの


社会の中をいくら探したって
ほんとうの安息の地はないから
だから
社会を幻だと知りながらそこを生きつつ
ほんとうの我が家にいつも帰る




ずいぶんと遠回りしてきたけど
ずーっと昔から
あのときも
あのときも、
わたしはただ
ここに帰りたかったんだね。






完璧なひと

2021-03-14 | サンガ


隙間なく
分かれ目なく
いまをいきているよ


時間にラベルを貼らず
いつも
ただ いま で


そうしてたらね
遠い距離の運転も
ずっといま
だから
遠いと近いの区別もなくなるよ


大事な時間

やり過ごす時間

あるわけじゃないよ


ひとも
モノも
コトも
特別な高みがあるわけじゃないよ


分けられない

判断できない


私はなにも知らない



だから
すべてを知ってる完璧なわたしにおまかせしよう


そのために私ができることは


静かにすること


こころを澄まして
私の中の完璧なひとの声に
従うこと



自分がやってたんじゃない

生かされている

はじめから
そうだったことを知る


大安心という
わたしのおうちに帰ろう

毎日
毎時
いつも
いつも


ただ いま



おかえり






よろこばしいしらせ

2021-03-09 | サンガ


人間というものは
どうしようもないですねぇ

って
自分を見てたらおもう😊



どうしようもないから
かわいいもので


どうしようもない私を
ただ見てる

叱りもしないし
正当化もしない

ああ そうですかと
ただ見てる


そして
どうしようもないカケラの数々は
浮かんでは消えていく
アブクのようなもので


それはどこにでも流れていて


ただ流れていて


それがわたしではないし

それがあなたでもないし


そういうの全部、自分だと思いこんで
大事に抱え込むなんて
ほんとにバカげてるから
そんなにたいしたもんじゃないから😆
良くも悪くもね


二念を継がず

どんなおもいも
浮かんだら手放す


いつもわたしはここにいて



ぜーんぶ
一切合切は
アブクのようなものだなんて
なんとよろこばしいしらせ


一切合切から手を引いたら
やることなくなるから
疲弊していた命は休息して
充電されて
そこではじめて
与えたくなる

与えることと
受け取ることが
同時に起こる


あり がたい

(=奇跡、とも言う)




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かたちになるまえに既に在る

2021-02-17 | カヒコ(古典フラ)


恵みの雪
春の雪
あっちの空は晴れている


急な予定の変更も
きっと必要だったこと




このせかいは結果
わたしの内側の反映


いまここがはじまりでありゴール


在りたい世界の
その在りように
なりきる




体の目は
しってると思い込んでるものしか知覚できない

しらないものをみたいなら
思考は役にたたない


ではわたしは
なにをみたいのか


uli 
カタチになる前に既にあるよ


私にできることは
見てること(本質じゃないこと)に惑わされずに
ここだよ!

杭を打つこと。
それをいつもいま
ingで


せかいはわたしのうちがわにある




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別の見方

2021-02-02 | 奇跡のコース


去年のことになるけど
ある人と意見の食い違いみたいになって
口論とまではいかないけど
お互いの言い分がぶつかったまま
平行線になってしまったことがあった。



その時は相手の要求がとても理不尽に思えて
はらわたが煮えくり返るとはこのことか
というくらい
腹がたったのだけど


ひとしきり
ひとりで怒りにもがいたあとは
呼吸をととのえて
「このことを違う視点で見れますように」と
それだけを内側でお願いして
もうそのことを考えるのはやめて
気持ちを切り替えることができた。


数時間後
落ち着いてからふと
その時の押し問答で言い放った、自分の言葉にはっとした。
私はこう言ったのだ。

「それはそちらの都合でしょ?」


、、、

あれ?!
それ言ってる私も「私の都合」言ってるやん!



相手の世界から見たら
その人とまったく同じ、私が見える😳

なーんだ
おんなじやん!😆


そこに気が付いたら
なんだかちょっと可笑しくなって
怒りも消えて
「私も頑なになりすぎてたな、
相手の言い分にできる範囲で応えよう」
という気になった。




なにかしら
苦痛を伴うときって
ある一つの見方に囚われていて
囚われてることすらも気がついてないから
さらに苦しみにはまっていく



だから
苦しいときは
こう思うことにしている。

苦しいということは
なにかが間違ってるんだな。
どういう囚われにはまってるかは
私にはわかりません🙆
わからないけど
このことを
違う見方ができますように。

以上。
(それ以上考えない)

こう宣言することは有効だ。
自分の中の神聖なところに向かって。


目の前の起こってることを
「これはこうだ」と信じてしまっているから
そのようにしか見えないのだから
そこから抜けることは
自分ではできない。

ムリヤリ言葉で言うことはできるけど
そんなのはごまかしだ。


だから
違う見方ができますように、と
その余白を持つ意思を表明する。



そしたら
ほんとうにふわっと
ムリヤリでなく
優しく

固くなった心が
解けていくような出来事が起きたり
気付きがあったり
導かれるようなことが経験できる。




習慣で、とっさに繰り返す
自動反応から
抜けて
私はこっちを選ぶ

意志する練習


光を見る練習

何から何まで
ぜんぶ、
教材になる🌞😊


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