中道という生き方は
右と左
善と悪
正と誤
の
中間にあるんじゃなくて
そうゆういわば水平方向にある判断や分別やかけ引きから
垂直方向に抜ける生き方
正しい があるとき
間違い がある
表 があるとき、
裏 がある
私という"立場"から見るときは例外なく
私の「都合」を通してしか見れない。ということを知っておこう
水平方向に広がる"戦場"を上から見て
「どっちに行っても一緒だね」ってことが見渡せる地平からの視点
それが中道
右に行くべきか
左に行くべきか
どっちでもいい
やってるつもりの自分がいるけど
ほんとは
そういう縁が起こっているだけ
だからこそ、
その時その時の私が
思うようにやればいい
そういう"思い"が浮かんだことも
起こったこと
それぞれが自分の中の光に従い進むこと
それぞれの中のその光は同じもの
社会の中をいくら探したって
ほんとうの安息の地はないから
だから
社会を幻だと知りながらそこを生きつつ
ほんとうの我が家にいつも帰る
ずいぶんと遠回りしてきたけど
ずーっと昔から
あのときも
あのときも、
わたしはただ
ここに帰りたかったんだね。
右と左
善と悪
正と誤
の
中間にあるんじゃなくて
そうゆういわば水平方向にある判断や分別やかけ引きから
垂直方向に抜ける生き方
正しい があるとき
間違い がある
表 があるとき、
裏 がある
私という"立場"から見るときは例外なく
私の「都合」を通してしか見れない。ということを知っておこう
水平方向に広がる"戦場"を上から見て
「どっちに行っても一緒だね」ってことが見渡せる地平からの視点
それが中道
右に行くべきか
左に行くべきか
どっちでもいい
やってるつもりの自分がいるけど
ほんとは
そういう縁が起こっているだけ
だからこそ、
その時その時の私が
思うようにやればいい
そういう"思い"が浮かんだことも
起こったこと
それぞれが自分の中の光に従い進むこと
それぞれの中のその光は同じもの
社会の中をいくら探したって
ほんとうの安息の地はないから
だから
社会を幻だと知りながらそこを生きつつ
ほんとうの我が家にいつも帰る
ずいぶんと遠回りしてきたけど
ずーっと昔から
あのときも
あのときも、
わたしはただ
ここに帰りたかったんだね。