高天原(たかあまはら)三丁目

感じた事、思った事を勝手気ままに紹介します。Wikipediaの転用多し。コピペも多し(笑)

二日市保養所

2016-02-20 11:03:42 | その他
僕は九州出身だが二日市保養所(ふつかいちほようじょ)の存在については皆無であった。

Twitter仲間からの情報でここ最近知ったありさまである。

Wikipediaを読み、存在していた過去を知る事が出来た。

大変デリケートな問題なので敢えて公にしなかった出来なかったのであろう。

戦時下だったから起きた事だと言うのは否めないが、只ひとつ言える事は闇にまぎれて、そう言う事を犯した朝鮮、支那の民族度の低さ醜さが改めて分かった。

又、朝鮮、支那人に犯された女性の気持ちを考えると尚更、朝鮮、支那人を許せない。

Wikipediaを引用し概要を記します。



二日市保養所



二日市保養所は福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設。



ここでは、レイプ被害に遭った日本人女性(引揚者)に堕胎手術や性病の治療を行った。

終戦直後より在満・在朝日本人は塗炭の苦しみを味わうことになった。

追放や財産の略奪に止まらず、強制連行や虐殺などで、祖国の地を踏むことなく無念のうちに斃れた者も少なくなかった。

これに加えて女性は、朝鮮人やソ連兵、中国人等による度重なる強姦を受けた末、心ならずも妊娠したり、性病に罹ったりしたにもかかわらず、何ら医療的治療が施されずにいた。

そして強姦により妊娠・性病罹患した女性の中には、これを苦にして自殺する者が少なからず出た。

釜山日本人世話会による1945年(昭和20年)12月 - 1946年(昭和21年)3月の調査では、調査対象者885人のうち、レイプ被害者70人、性病罹患患者19人、約1割が性犯罪の被害に遭っているという数字が示された。

在外同胞援護会救療部では、引揚船に医師を派遣し、引揚者の治療に当たったが、殊のほか女性の性的被害が多いことに愕然し、早急に専門の治療施設を作る必要があると上部に掛け合った。

こういう経緯で、1946年(昭和21年)3月25日に「二日市保養所」が開設されることになった。


二日市保養所は、かつての愛国婦人会の保養所だったところである。

小さい部屋に分かれていたので、プライバシーが保てる病室に最適で、皮膚疾患によい温泉も湧き出ていた。

そして何よりも交通の便がよいが、人目に触れにくい場所であることから選定された


麻酔薬が不足していたため、麻酔無しの堕胎手術が行われ、死者も少なからず出た。


二日市保養所は、優生保護法の施行にともない、1947年(昭和22年)秋頃に閉鎖した。

保養所の主務官庁である引揚援護庁は1954年(昭和29年)まで存続した。




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