
殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)
日本人ならば訪れなければならないところです。
殉国七士廟は愛知県の三河湾を臨む三ヶ根山上にあります。
大東亜戦争の後、連合国によって「A級戦犯」とされ、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で死刑判決を受け、絞首刑となった七人を祀る廟です。
7名の軍人・政治家を祀った石碑は高さ5メートルほどで「殉国七士墓」と彫られており、作られた当時の首相、岸信介の揮毫です。
7人の遺骨は実際に碑石の下に埋まっています。
殉国七士廟場所



その経緯
大東亜戦争敗戦後、GHQにより一方的にA級戦犯とされた七人は陛下の万歳を三唱して台上の露と消えました。
この時、マッカーサー司令部が七人の遺体も遺骨も家族に渡すつもりがないことが判明し、なんとか遺骨だけは手に入れたいと考えた人たちがありました。
彼らは深夜、七人が火葬された横浜市久保山の火葬場に忍び込み、苦心のすえに遺骨の入手に成功します。遺骨は横浜久保山興禅寺を経て、松井大将建立の熱海伊豆山の興亜観音堂に安置されていました。
当時、国の責任を極刑で一身にうけ、刑場の露となった殉国者に、日本の世情は冷たいものでした。
長らく遺骨の埋葬さえ許されず、回向すら人目を避けて行わなければならなかったのです。
それから10年あまりが過ぎ、有志の偶然の出会いから三ヶ根山頂に七氏の墓地建設が決まり、遺族をはじめ政財界、その他各方面からの賛同を得て、昭和35年に殉国七士廟の完成を見ます。



同年、当地での最初の墓前祭が斎行されました。
以来、墓の管理と墓前祭が奉賛会によって連綿と続けられています。
近くに寄られた際には、お立ち寄り頂ければと考えます。