高天原(たかあまはら)三丁目

感じた事、思った事を勝手気ままに紹介します。Wikipediaの転用多し。コピペも多し(笑)

オバマ大統領広島演説(全文) コピー

2016-05-29 11:25:40 | その他
2016年05月27日
オバマ大統領広島演説(全文)

産経新聞コピー


「71年前、空から死が舞い降り世界は変わった」「あの日の朝の記憶は決して風化させてはならない」


 71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。

 われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。

 その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。

 広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。

 いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。

 広島と長崎で残酷な終焉(しゅうえん)を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。

 ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。

 世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。

 しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。



 物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。

 偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。


 国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。


 現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。


 だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。


 無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。


 単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。


 いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。


 あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。


 欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。


 それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。


 しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。


 われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。

 われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。

 われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。

 われわれはこれらの話をヒバクシャ(被爆者)の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。

 わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」

 理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。

 全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。



 だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。



 われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。


 普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。


 各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。


 世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。


 広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。

東条英機閣下 遺言

2016-05-29 11:06:38 | 歴史




【東條英機閣下の遺書】


東條英機閣下は、明治17年生まれ。


その東條英機閣下の遺言状をここに掲載します。
死の直前の文です。


【遺言】



開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。


今回の刑死は、個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は、死をもって贖(あがな)えるものではない。

しかし国際的の犯罪としては、無罪を主張した。いまも同感である。


ただ力の前に屈服した。


自分としては国民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。

ただこれにつき、同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者にまでも刑が及んだことは実に残念である。

天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで、深く謝罪する。


元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部過ち犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。


このたびの戦争に従軍して斃れた人、およびこれらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。心から陳謝する。

 
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。

もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。

この裁判は、結局は政治裁判に終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
 

天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。

天皇存在の形式については、あえて言わぬ。
存在そのものが絶対に必要なのである。

それは私だけでなく多くの者は同感と思う。
空間や地面のごとき大きな恩は、忘れられぬものである。


東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。

東亜民族もまた他の民族と同様、この天地に生きる権利を有つべきものであって、その有色たることを、むしろ神の恵みとしている。


インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。
これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争によりて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、幸である。
列国も排他的の感情を忘れて、共栄の心持をもって進むべきである。


現在の日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本の米人に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。


東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされなければならぬ。


実は東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

今後、日本は米国の保護の下に生活していくのであらうが、極東の大勢はどうであらうか。


終戦後わずか3年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯くの如くである。

今後のことを考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。


今、日本は米国よりの食糧の供給その他の援助につき感謝している。

しかし一般が、もし自己に直接なる生活の困難やインフレや、食糧の不足等が、米軍が日本に在るがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。


実際は、かかる宣伝をなしつつある者があるのである。

よって米軍が、日本人の心を失わぬよう希望する。


今次戦争の指導者たる米英側の指導者は、大きな失敗を犯した。


第一は、日本といふ赤化の防壁を破壊し去ったことである。

第二は、満州を赤化の根拠地たらしめた。

第三は、朝鮮を二分して東亜紛糾の因たらしめた。


米英の指導者は、これを救済する責任を負うて居る。

従ってトルーマン大統領が再選せられたことは、この点に関して有り難いと思ふ。


日本は米国の指導に基づき、武力を全面的に抛棄(ほうき)した。これは賢明であったと思う。
しかし、世界全国家が、全面的に武装を排除するならばよい。

然(しか)らざれば、盗人がばっこする形となる。泥棒がまだいるのに警察をやめるやうなものである。


私は、戦争を根絶するには欲心を取り払わねばならぬと思う。

現に世界各国は、いずれも自国の存在や自衛権の確保を主としている。これはお互いに欲心を抛棄(ほうき)して居らぬ証拠である。


国家から欲心を除くということは、不可能のことである。

されば世界より今後も戦争を除くということは不可能のことである。


これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実はこの通りである。それゆえ第3次世界大戦は避けることができない。


第3次世界大戦に於いて主なる立場に立つものは、米国およびソ連である。
日本とドイツというものが取り去られてしまった。


それがため米国とソ連というものが直接に接触することとなった。
米・ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。
この見地からみても、第3次世界大戦は避けることはできぬ。


第3次世界大戦において極東、日本と支那と朝鮮が、その戦場となる。
この時にあって、米国は武力なき日本を守の策を立てなければならぬ。
これは当然米国の責任である。


日本を属領と考えるのであったならば、また何をかいわんや。

そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。


米国は、日本人8千万国民の生きて行ける道を考えてくれねばならない。

およそ生物として、自ら生きる生命は、神の恵みである。

産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきでない。


なお言いたきことは、公・教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。

いまは既に、戦後3年を経過しているのではないか。

従ってこれは速やかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容な気持ちをもってもらいたい。


我々の処刑をもって一段落として、戦死病者、戦災死者、ソ連抑留者の遺家族を慰安すること。
戦死者、戦災死者の霊は、遺族の申出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
従って遺族の希望申出あらば、これを内地へ返還されたし。
戦犯者の家族には保護を与えられたし。


青少年男女の教育は注意を要する。将来大事なことである。
近時、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、我国の古来の美風を保つことが大切である。


今回の処刑を機として、敵・味方・中立国の国民罹災者の一大追悼慰安会を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。


もちろん、日本軍人の一部の間に間違いを犯した者はあらう。
これらについては衷心謝罪する。


これと同時に無差別爆撃の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。


最後に、最後に軍事的問題について一言する。


我国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。


兵役制については徴兵制によるか、傭兵制によるかは考えなければならない。

我が国民性に鑑みて、再建軍の際に考慮すべし。


再建軍隊の教育は、精神教育を採らなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。


学校教育は従前の質朴剛健のみでは足らぬ。

人として完成を図る教育が大切だ。

いいかえれば宗教教育である。

欧米の風俗を知らすことも必要である。


俘虜のことについては、研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。



 【 辞 世 】

我ゆくも
またこの土地に かへり来ん
国に酬ゆることの足らねば

さらばなり
苔の下にて われ待たん
大和島根に 花薫るとき

散る花も
落つる木の実も 心なき
さそうはただに 嵐のみかは

今ははや
心にかかる 雲もなし
心豊かに 西へぞ急ぐ



ヤマタノオロチ

2016-05-13 22:55:34 | 神話

【ヤマタノオロチ】




スサノオノミコトは、大変力の強い神様でしたが、色々と乱暴をしために、神様の国である高天原(タカマガハラ)から追放されました。


ズドーーーン!

「ぐわーーっふ…ここは、どこだ」

そこは出雲の国の鳥髪(とりかみ)という所でした。

目の前には雄大な肥河(ひのかわ)が、
うねうねと曲がりくねって、流れていました。


「ああ…こんな所に流されてしまって、
これからどうしよう」


途方に暮れるスサノオでしたが、


「おや、あれは…」

川の上流から、お箸が流れてきます。


「ほほう、箸が流れてくるということは、
上流に村があるんだな。行って、食い物でも
もらおう」


そこでスサノオノミコトは川にそって
ぐんぐん歩いていきます。



すると、村に出て、立派な屋敷があり、
中からおいおい泣く声が聞こえてきます。

「ん…何かな」

スサノオノミコトが屋敷をのぞくと、
年老いた夫婦と若い娘の三人が泣いていました。


「もし、どうしましたか」


すると老人は話し始めます。

「私はこの国を治める国つ神で名を足名椎(アシナヅチ)、妻の名を手名椎(テナヅチ)と申します。
私たちには以前八人の娘がありましたが、ヤマタノオロチという大蛇に、みな飲み込まれてしまいました。

今年もまたヤマタノオロチが来る時期になりまして、この…最後に残されたクシナダヒメまで
奪われようとしているのです」


「ヤマタノオロチ…はて、それはいったい?」



「それはもう恐ろしい怪物です!頭と尾がそれぞれ八つずつあり、目はホオズキのように赤くビカビカ光っています。背中には苔や木が生い茂り、その大きさたるや八つの峰、八の谷を這いわたるほどでございます。」


……

"う~ん…話を聞くほどに気の毒なことだ。
そんな怪物に食い殺されるとは、不憫にも
ほどがある。あの少女がそうか''


見ると、クシナダヒメは両親のかげに隠れながら
ブルブル震えています。



(おお…なんというかわいらしさ)



スサノオノミコトはその小動物的可愛さにもう、
一瞬で参ってしまいました。



「わかりました。そのヤマタノオロチというのは
わしが退治します。だから娘さんをヨメにください!!」



「え、そんな急な。だいたい、
あなたは…どういった方ですか?」



「申し遅れました。私はアマテラスオオミカミの弟のスサノオノというものです。たった今、高天原から降り立ったばかりです」


「なんと!そんな高貴なお方でしたか。
これは、ぜひ、お願いいたします」



こうしてスサノオノミコトはヤマタノオロチを退治することになりました。

スサノオノミコトはまずクシナダヒメを髪に差す櫛の姿に変身させ、自分の髪の毛に差します。


こうしてクシナダヒメの身の安全を確保しておいて、それから八つの酒樽にじゃばじゃばじゃばーと酒をつぎ、ヤマタノオロチがやって来るのを待ちます。


しばらくして、ドドドドドと大地をゆさぶり、
見るも恐ろしいヤマタノオロチが姿をあらわします。


ぬおっ!!


さすがのスサノオも、息を飲みます。


ヤマタノオロチには頭と尾がそれぞれ八つずつあり、目はホオズキのように赤くビカビカ光っています。


背中には苔や木が生い茂り、その大きさたるや八つの峰、八の谷を這いわたるほどでした。


ヤマタノオロチは酒樽を見つけると、


ズザザザザザーー、バッシャーーン


八つの酒樽に八つの頭をつけると、ゴクんゴクん、ごくん、ごくん豪快に、飲みまくります。



しばらくして、すっかり酔っ払ったヤマタノオロチは、ぐてーんと体を伸ばしていました。


(よし。今だ)


しずっ。しずっ。しずっ。


慎重に近寄るスサノオ。そこで剣を振り上げ、


「でやぁぁぁぁぁ!」


ズバッ、ズバッ、ズバア


ギャアアアアアアーーーーーー






ヤマタノオロチの体をズダズタに切裂きました。


しかし、



「ん?なんだこれは?」




八つの頭、八つの尾のうち一つの尾だけがどうしても斬れません。



なにか固い芯が入っててゴリゴリしてる感じです。


「はて…?なんだこの感じは」


不思議に思ったスサノオノミコトはしっぽの肉を刀の切っ先で丁寧にけずりおとし、中身を取り出しました。







ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトは、
約束どおりクシナダヒメをお嫁にもらうことになりました。



ヤマタノオロチの血で真っ赤に染まっていた肥川の流れも、すっかりもとの清らかさを取り戻し、
スーッと心地よい風が吹き寄せてきます。



「ああ…すがすがしいな。
この地で、俺は、こんなにもすがすがしいぞ」



ここから須賀という地名が名づけられ、島根県雲南市須賀に、現在まで地名が伝わっています。


スサノオノミコトはこの地に
クシナダヒメとすごす宮殿を作ることにしました。


妻が暮らす部屋のまわりに幾重にも生垣をはりめぐらせます。


なにしろ大切な妻をすまわせるための宮殿です。
まわりを幾重にも生垣でかこみます。



俺だけの妻だ。

ぜったい人目になんかふれさせないぞと!




「あなた、これじゃあ太陽の光がとどかないじゃないですか」


「よいのだ。姫のことは俺がとことん大切にするのだから」



そしていよいよ宮殿が完成した時、何重にも重なった見事な雲が立ち上りました。



「おおっ!!」


「まあ、なんてキレイなのかしら。まさに出雲という地名にぴったりですね」



ひしと手を取り合うスサノオノミコトとクシナダヒメ。


そこでスサノオノミコトは詠みました。


"八雲立つ 出雲八重垣妻ごみに
八重垣つくる その八重垣を"





"幾重にも雲がたちのぼる、その名も出雲の地で、私は妻を迎えた。
この幾重にも重なる雲のように、幾重にも生垣をはりめぐらせて、妻を大切にこもらせよう。
幾重にも生垣をはりめぐらせて"





日本ではじめて詠まれた、和歌のはじまりとされ、紀貫之による「古今集」序文にも引用されています。


スサノオノミコトはクシナダヒメの父であるアシナヅチノカミを宮殿の護衛隊長に命じ、



「稲田の宮主、須賀の八耳(やつみみ)の神」


という立派な名前をさずけました。


スサノオノミコトとクシナダヒメからはたくさんの子供が生まれ、その子がまた子を産み、六代目の子孫が因幡の白兎の話で有名な




「大国主命(オオクニヌシノミコト)」です。


織姫と彦星

2016-05-12 12:53:41 | 神話


織姫と彦星


昔々、天の川には天帝という神様がいました。

この天帝には美しい布を織る織姫という娘がいました。

あるとき牛飼いの男・彦星と出会い恋に落ちました。

恋人同士になった二人は仕事をしなくなりました。

これに怒った天帝は二人を天の川の両側に引き離し、1年に1度しか会えないようにしました。



織姫と彦星は星になりました。

織姫・・・琴座のベガ(夏の大三角形の1つ)
彦星・・・鷲座のアルタイル(夏の大三角形の1つ)


日本の神話 「因幡の白うさぎ」

2016-05-12 12:32:12 | 神話
 



むかしむかし、隠岐(島根県)の島という小さな島に、一匹の白ウサギが住んでいました。



 ウサギは毎日浜辺に出ては、海の向こうに見える大きな陸地に行きたいと思っていました。

ある日の事、良い事を思いついた白ウサギは、海のサメに言いました。

「サメくん、ぼくの仲間と君の仲間と、どちらが多いか比べっこをしよう。君たちは向こう岸まで海の上を並んでくれ。ぼくはその上を数えながら飛んで行くから」

「いいよ」

お人好しのサメは、白ウサギの言う通りに向こう岸まで並びました。

「じゃあ、始めるよ。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・」

白ウサギはサメの上をジャンプしながら、向こう岸まで渡りました。

「やーい、だまされたな。比べっこなんてうそだよ。お人好しのサメくん。ぼくはこっちに渡りたかっただけなのさ」


それを聞いたサメは怒ってウサギを捕まえると、ウサギの皮をはいでしまいました。

「うぇーん、痛いよ!」

皮をはがされたウサギが泣いていると、若い神さまたちがそこを通りかかり

「海水を浴びて、太陽と風に当たるといいよ」

と、言いました。

ウサギが教えられた通り海水を浴びると、ますます痛くなりました。

そして太陽と風に当てると、さらにもっと痛くなりました。

そこへ、大荷物を持った神さまがやって来ました。

その神さまは意地悪な兄さんたちに荷物を全部持たされていたので、遅れてやって来たのです。

「かわいそうに、まず池に入って、体の塩気を良く洗うんだ。それから、がまの穂(ほ)をほぐしてその上に寝転がればいいよ」

ウサギがその通りにすると、やがて痛みも消えて、全身に元通りの毛が生えてきました。

この心やさしい神さまはのちに

「オオクニヌシノミコト」と呼ばれ、人々にうやまわれたそうです。