高天原(たかあまはら)三丁目

感じた事、思った事を勝手気ままに紹介します。Wikipediaの転用多し。コピペも多し(笑)

史跡尾張国分寺跡

2016-07-30 13:46:00 | 歴史

現在の赴任地(愛知県稲沢市)にある史跡を紹介します


史跡尾張国分寺跡



尾張国分寺跡は、愛知県稲沢市矢合町中椎ノ木にある。

北北東4キロメートル尾張大国霊神社が所在する。


下記は稲沢市HPから拝借した。


( 記 )

平成24年1月24日、市内矢合町にある尾張国分寺跡が国史跡に指定されました。

国分寺跡は古代の国ごとに置かれた官寺(国が建てた寺院)の遺跡で、愛知県では三河国分寺跡(豊川市)と尾張国分寺跡の2か所しかない貴重なものです。

【尾張国分寺跡】

尾張国分寺跡は、奈良時代、聖武天皇が仏教によって国を守ろうと考え全国に置くことを命じた、古代の重要な寺院の遺跡です。

今から約1,300年前、日本は60余りの国(現在の県に相当)に分かれ、今の愛知県西部には尾張国があり、都から派遣された国司によって政治が行われていました。


741年(天平13年)に聖武天皇は国ごとに国分僧寺と国分尼寺を建てることを命令し、尾張国では稲沢市矢合町から堀之内町にまたがる地に国分寺が建てられました。

その後、884年(元慶8年)に焼損し、愛知郡の定額願興寺に役割が移ったと伝えられています。


現在、尾張国分寺跡は、金堂跡、塔跡、講堂跡などが確認されており、東西約200m、南北約300m以上の大寺院であったと推定されています。

-以上-

史跡と言っても塔跡位しか見学出来ないが、今から1300年前に聖武天皇が命じ建てられた国分寺の塔跡石を真近かに見、手で触れる事が出来る。

884年に焼失したと言う事なので1000年以上もこの塔跡石は現在の姿で、数知れぬ歴史上著名人が同じ石を見て触れたのであろうと考えれば感慨深い…



織田信長もこの史跡を見て、この石を手で触れたかも知れない。

東條英機 閣下 遺言 三(日本青年諸君 各位)

2016-07-18 09:37:55 | 歴史

大東亜戦争後に行われた戦勝国による東京裁判で東條英機 閣下はA級戦犯として絞首刑となりました。


東條英機 閣下は3通の遺言を残したと言われて います。

その内の一通を現代口語訳で下記に紹介します。



【日本青年諸君に告げる 】

【日本青年諸君 各位】



我が日本は神国である。

この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。

しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。

また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄(美しく強い魂魄)は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。

殉国の烈士は、決して犬死したものではない。

諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。

これこそが誠に私の最後の願いである。

思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。


しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。


真骨頂とは何か。


「忠君愛国の日本精神」


ただ、これだけである。



参考 《東条英機封印された真実》佐藤早苗著  講談社


『ルーズベルトニ与フル書』大日本帝国海軍 市丸利之助

2016-07-17 21:32:44 | 歴史

海軍少将 市丸 利之助(いちまる りのすけ)




1945年(昭和20年) 3月


日本国 東京 小笠原村 硫黄島


大日本帝国 海軍 市丸利之助より


米国 大統領フランクリン・ルーズベルト様へ





『ルーズベルトニ与フル書』(現代語訳)

日本海軍市丸海軍少将が 「フランクリン ・ルーズベルト」 君に書を宛てる。

私は今、我が戦いを終えるに当たり一言貴方に告げることがある。

日本国が 「ペルリー(ペリー)」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶようになった時より約百年の間、国の歩みは困難を極め、自ら欲しないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次欧州大戦(第一次世界大戦)、満州事変、支那事変を経て、不幸にも貴国と交戦することになった。 そして貴方は我々を、あるいは好戦的国民であるとし、あるいは黄禍論を用い貶め、あるいは軍閥の独断専行であるとする。

思いよらぬもの甚だしいと言わざるを得ない。 貴方は真珠湾攻撃の不意打ちを理由に対日戦争(大東亜戦争) 唯一の宣伝資料とするが、そもそもにおいて日本国が自滅を免れるためこの行動に出る他ないという程の窮地にまで追い詰めたような諸種の情勢というのは、貴方の最も熟知するものであると思う。

畏れ多くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養成(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三鋼(秩序)とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)の文字によって表される皇謨に基づき、地球上のあらゆる人間はその分に従い、その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願になさったのに他ならない。

これは 「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ争わねばならないのか) という明治天皇の御製(天皇の詩)は貴方の叔父セオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したものであるが故に、貴方もよく熟知しているのは事実であろう。

私たち日本人はそれぞれ階級を持ち、また各種の職業に従事するけれども、結局はその職を通じ皇謨、つまりは天業(天皇の事業)を翼賛(補佐)しようとするのに他ならない。

我ら軍人は交戦を以て天業を広めることを承るに他ならない。

我らは今、物量に頼った貴方の空軍の爆撃、艦隊の射撃の下、外形的に後ろへ退くもやむなきに至っているが、精神的にはついに豊かになり、心地ますます明朗になり、歓喜を抑えることができなくもある。

この天業翼賛の信念が燃えるのは、日本国民共通の心理であるが、貴方やチャーチル君は理解に苦しむところであろう。

今、ここに貴方達の精神的貧弱さを憐れみ、以下の一言を以て少しでも悔いることがあれば良いと思う。

貴方達のなすことを見れば、白人、とくにアングロサクソン(アメリカとイギリスの主な民族)が世界の利益を独占しようとして、有色人種をその野望実現のための奴隷として扱おうということに他ならない。

この為に邪な政策をとり有色人種を欺き、所謂悪意の善政を行うことで彼らを喪心無力化しようとしている。

近世に至り日本国が貴方達の野望に抗し有色人種、特に東洋民族を貴方達の束縛より解放しようと試みたところ、貴方達は少しも日本の真意を理解しようと努めることなくただ貴方達に有害な存在となし、かつて友邦とみなしていたにも関わらず仇敵野蛮人であるとし、公然として日本人種の絶滅を叫ぶに至った。
これは決して神意にかなうものではないだろう。

大東亜戦争によって所謂(いわゆる)大東亜共栄圏が成立し、所在する各民族はわれらの善政を謳歌しているから、貴方達がこれを破壊することが無ければ、全世界にわたる恒久的平和の招来は決して遠くは無いだろう。 貴方達はすでに成した。 十分な繁栄にも満足することはなく数百年来にわたるあなた方の搾取から免れようとするこれらの憐れむべき人類の希望の芽をどうして若葉のうちに摘み取ろうとするのか。


ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。


あなた方はどうしてこのように貪欲で狭量なのか。


 大東亜共栄圏の存在は少しも貴方達の存在を脅威するものではない。 むしろ世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものであって、日本天皇の真意はまったくこれに他ならない。 
このことを理解する雅量(器)があることを希望してやまないものである。

翻って欧州の事情を観察すると、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛感し嘆かざるをえない。 
今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次世界大戦開戦の原因が第一次世界大戦の終結の際、その開戦責任の一切を敗戦国ドイツに押し付け、その正当な存在を極度に圧迫しようとした貴方達の処置に対する反発に他ならないということは看過できない。

貴方達の善戦によって力を尽くしてヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリン率いるソヴィエト(※共産主義:著者注)と協調するのか。 
世界を強者が独専しようとすれば永久に闘争を繰り返し、ついに世界人類に安寧幸福の日はないだろう。

あなた方は今世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方は得意げに思っているに違いない。 しかし貴方達の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。

願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないで欲しい。


東條英機 閣下の遺言 その二

2016-07-17 16:18:23 | 歴史

Wikipediaを引用


東條英機 閣下の遺言



東條英機の遺書といわれるものは複数存在する。


ひとつは昭和20年(1945年)9月3日の日付で書かれた長男へ向けてのものである。


他は自殺未遂までに書いたとされるものと、東京裁判での死刑判決後に刑が執行されるまでに書いたとされるものである。


逮捕直前に書かれたとされる遺書は偽書の疑いがある。


(家族に宛てたもの)

以下は長男英隆に宛てたものである。


これは昭和20年9月3日。


すなわち日本側代表団が連合国に対する降伏文書に調印した翌日に書かれたものである。


東條の直筆の遺言はこれの他、妻勝子や次男輝雄など親族にあてたものが複数存在する。



(昭和二十年九月三日予め認む)


一、 父は茲に大義のため自決す


二、 既に申聞けあるを以て特に申し残す
ことなきも


1、祖先に祭祀を絶やせざること、墓地の管理を
怠る可らず


2、母に遠隔しつるを以て間接ながら
孝養を尽くせ


3、 何なりとも働を立派に御奉公を全うすべし


4、 子供等を立派に育て御国の為に
なる様なものにせよ



三、万事伊東に在る三浦氏に相談し援助を求むべし




(処刑を前にした時のもの)


以下は処刑前に花山信勝教誨師に対して口頭で伝えたものである。


書かれた時期は判決を受けた
昭和23年(1948年)11月12日から刑が執行された12月24日未明までの間とされる。


花山は、聞いたことを後で書いたので必ずしも正確なものではない、と述べている。




開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。

今回の処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。

しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。

力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。

ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。

東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。

インドの判事には尊敬の念を禁じえない。

これをもって東亜民族の誇りと感じた。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。

どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。

また、日本人が赤化しないように頼む。

米国の指導者は大きな失敗を犯した。

日本という赤化の防壁を破壊した。

いまや満州は赤化の根拠地である。

朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。

米英はこれを救済する責任を負っている。


戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。

出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。

遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。


我ゆくも またこの土に 帰りこん 国に報ゆる事の足らねば


— 東条英機大将 遺言(部分)
昭和23年12月22日夜
東京巣鴨(23日零時刑執行)



(逮捕前に書かれたとされるもの)


以下は昭和20年9月11日に連合国に逮捕される前に書かれたとされるもの


《英米諸国人ニ告グ》

《日本同胞国民諸君》

《日本青年諸君ニ告グ》

の3通を現代語にしたものである。




《英米諸国人に告げる》



今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。

この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。

しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。

私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。

しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。

我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。

いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。


もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。


諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。





《日本同胞国民諸君》


今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。


私も何も言う言葉がない。


ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。


この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。


ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。


不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国にあるということは動かすことのできないことである。


力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。

人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。

諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。

日本は神国である。永久不滅の国家である。

皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。

諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。




《日本青年諸君に告げる。》

《日本青年諸君各位》




我が日本は神国である。

この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。

私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。

現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。

しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。


また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄〔伴注:美しく強い魂魄〕は、必ず永遠にこの国家の鎮護となることであろう。

殉国の烈士は、決して犬死したものではない。

諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。

これこそがまことに私の最後の願いである。

思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。

しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。

真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。

これだけである。