高天原(たかあまはら)三丁目

感じた事、思った事を勝手気ままに紹介します。Wikipediaの転用多し。コピペも多し(笑)

古事記 : スサノオ

2016-06-11 15:23:05 | 古事記



スサノオ


イザナギノミコトは

「わたしは、これまで多くの子を生んだが、一番最後に貴い三人の子どもたちを得た。」

とお喜びになられました。

そして、ご自分の首にかけていた玉の首かざりをゆらゆらと鳴らせながらアマテラスオオミカミに授け


「あなたは、天を支配しなさい。」


とおしゃっいました。

次にツクヨミノミコトに


「あなたは、夜の国を治めなさい。」


といい、スサノオノミコトには

「あなたは、海原を治めなさい。」


とおっしゃいました。

こうして、それぞれの神は、イザナギノミコトから命じられた国を治められましたが、スナオノミコトだけは、海原の国を治めずに、ヒゲが胸元までのびたおとなになっても、泣きさわいでおりました。

その泣く有様は、ものすごくて、緑の山々が枯山になり、海や川の水が乾ききってしまうほどでした。この悪い神が起こした乱暴な物音は、ハエのように世界に満ち満ちてしまったので、あらゆる災い(わざわい)ごとが次々と起こりました。


そこでイザナギノミコトが

「なぜ、お前は、命じた国を治めないで、泣きさわいでいるのか。」

とお聞きになると、スサノオは

「わたしは、お母さんのいる黄泉の国へ行きたくて、泣いております。」

と答えたので、イザナギノミコトは、たいへんお怒りになり

「それならば、お前はこの国にいてはならない。」

とおっしゃって、スサノオノミコトを海原の国から追いはらわれてしまいました。

※イザナギノミコトは、淡路島の多賀の社(やしろ)にお鎮(しず)まりになっておられます。




古事記 : 黄泉返りと禊ぎ(よみがえりとみそぎ)

2016-06-08 12:45:28 | 古事記




黄泉返りと禊ぎ(よみがえりとみそぎ)


こうしてイザナギノミコトは、やっと黄泉の国から地上へ戻られました。(このことから、日本語の「よみがえる=蘇る・蘇る」は、「黄泉の国から返る」という意味が元になっているのす。)


イザナギノミコトは

「わたしは、とても汚く穢(けが)れた醜(みにく)い国へ行ってしまったので、みそぎ(禊ぎ)をしなければならない。」

とおっしゃって、九州の日向の「橘の小門の阿波岐原(たちばなのおどのあはきはら)」にお出ましになり、みそぎをなさいました。

その時に、身につけていたもの(杖・帯・袋・衣服・袴・冠・腕輪)を投げ捨てする時に十二柱の神々が出現しました。


衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)、時量師神(ときはかしのかみ)、和豆良比能宇斯神(わずらいのうしのかみ)、道俣神(ちまたのかみ)、飽咋之宇斯神(あきぐいのうしのかみ)、奥疎神(おきさかるのかみ)、奥津那芸佐?古神(おきつなぎさびこのかみ)、奥津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)、辺疎神(へさかるのかみ)、辺津那芸佐?古神(へつなぎさびこのかみ)、辺津甲斐弁羅神(へつかいべらのかみ)



そして、イザナギノミコトは

「上流の方は水の流れが速く、下流はおそい。」

とおっしゃられて、海の真ん中で身体をお洗いになった時に、十柱の神々がお生まれになりました。


最初の二柱の神は、黄泉の国にいたときの汚れたものから生まれた神(禍の神)で

ヤソマガツヒノカミ(八十禍津日神)とオオマガツヒノカミ(大禍津日神)です。


次に生まれた三柱の神は、黄泉の国で取り憑いた禍(わざわい)を取り除くときに生まれた神で、カミナオビノカミ(神直?神)、オオナオビノカミ(大直?神)、イズノメ(伊豆能売)です。


次に生まれた六柱の神は、いずれも海の神です。

海の底で身体を洗われた時に生まれたソコツワタツミノカミ(底津綿津見神)とソコツツオノミコト(底筒男命)
海中で身体を洗われた時に生まれたナカツワタツミノカミ(中津綿津見神)とナカツツオノミコト(中筒男命)
海面で身体を洗われた時に生まれたウエツワタツミノカミ(上津綿津見神)とウエツツノオノミコト(上筒男命)

以上のうち三柱のワタツミノカミ(綿津見神)は、安曇氏(あずみうじ)たちの祖先の神です。

また、ソコツツ、ナカツツ、ウエツツの三柱の神は、住吉神社に祭られている神です。

最後にうまれた三柱の神々は、左の目をお洗いになった時に出現したアマテラスオオミカミ(天照大御神)、右の目をお洗いになった時に出現したツクヨミノミコト(月読命)、鼻をお洗いになった時に出現したスサノオノミコト(須佐之男命)です。


古事記 : 黄泉の国(よみのくに)

2016-06-05 11:24:47 | 古事記




黄泉の国(よみのくに)


イザナギノミコトは、イザミノミコトにもう一度お逢いになりたいと思われ、その後を追って黄泉の国に行かれました。

黄泉の国の御殿の戸からイザナミノミコトがお出迎えになられると、イザナギノミコトは、


「わが愛しの女神よ。わたしとあなたで作った国は、まだ作り終えてはいない。もう一度戻ってきておくれ。」

とおっしゃいましたが、イザナミノミコトは


「わたしは、とても悔しいのです。あなたは、すぐにわたしを助けに来てくださいませんでしたので、黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。(黄泉の国の住人になっていまいました。)しかし、愛しいあなたが、せっかくおいでくださったので、わたしも帰りたいと思います。これから黄泉の国の神に相談いたしますので、その間は、決してわたしの姿を見ないでください。」


とおっしゃって御殿の中へ戻ってしまわれました。



しかし、女神はなかなか出てこられないので、イザナギノミコトは、しびれを切らしてしまい、左がわの髪に付けていた櫛の太い歯をひとつ折って、それに火をともして御殿へ入って中をのぞかれました。

そこには、世にも恐ろしい光景がありました。女神のからだから、たくさんの蛆虫(うじむし)が湧き出ていて、ゴロゴロという音がしています。


頭からは、大きな雷が、胸には火の雷が、腹には黒い雷が、陰部には裂けるような雷が、左手には若い雷が、右手には土の雷が、左足には鳴る雷が、右足にははねる雷の八種類の雷が発生してゴロゴロと鳴りひびいています。


イザナギノミコトは、たいへん驚かれて一目散に逃げ出しました。


イザナミノミコトは、


「あなたは、わたしに恥をかかせましたね。」


とおっしゃると、黄泉の国の醜い化け女を使わせて、後を追わせました。

イザナギノミコトは、頭に付けていた黒い木のつるで作った輪を、化け女に投げつけると、山ぶどうの木が生えました。


化け女が山ぶどうを食べているすきに逃げましたが、そのうちに再びこの気味の悪い女は追いかけてきます。

そこで、右がわの髪に付けていた櫛の歯を折り、投げつけてやると、今度はタケノコが生えました。

化け女がタケノコを食べているすきに逃げました。


するとイザナミノミコトは、先ほどの八種類の雷神に加えて、黄泉の国の千五百もの化け物たちの軍隊を動員して後を追わせました。


イザナギノミコトは、長い剣を後ろの方へ振り回しながら逃げましたが、化け物たちはなおも追ってきます。とうとう地上から黄泉の国の入り口へと降りる坂(黄泉比良坂=よみのひらさか)の坂下まで着いたときに、そこにあった桃の木から桃の実を三つ取って投げつけてやると、化け物たちはみな逃げて行きました。



そこでイザナギノミコトは、その桃の実に


「お前が、わたしを助けてくれたように、この葦原の中つ国(あしはらのなかつくに=葦原とは日本のこと。中つ国とは、天上の高天原と地下の黄泉の国との間にある地上の世界という意味)の人間たちが、つらいことや苦しいめにあった時に助けてやってほしい。」



とおっしゃって、オホカムヅミという名前を与えました。



しかし、ついにイザナミノミコトが自ら追って、坂の下までやってきました。

驚いたイザナギノミコトは、大きな岩で坂を通れないようにふさいでしまいました。

その岩をはさんで、イザナギノミコトとは、イザナミノミコトに



「離婚をしよう。」



とおっしゃいました。


すると、イザナミノミコトが



「愛しいあなたが、このようなことをされるのならば、わたしは一日にあなたの国の人間たちを千人殺してあげましょう。」


というと、オザナギノミコトは



「愛しい女神よ。あなたがそうするなら、わたしは、一日に千五百の産屋(うぶや=出産のために建てる家)を建てましょう。」



とおっしゃいました。


こういうことから、人間は一日に千人が死に、千五百人が生まれてくるのです。


イザナミノミコトのことをヨモツオオカミ(黄泉津大神)又は、チシキノオオカミ(道敷大神)といいます。


また、坂をふさいだ大きな岩は、ヨミドノオオカミ(黄泉戸大神)と申します。






そして、いわゆる「黄泉比良坂」は、今の出雲の国の伊賦夜坂(いふやざか=島根県八束群東出雲町揖屋)という坂です。


古事記 : イザナミと火の神

2016-06-05 11:10:01 | 古事記



イザナミと火の神




イザナギノミコトとイザナミノミコトは、国をお生みになった後、次の十柱の神々をお生みになられました。



オオコトオシオノカミ、イワツチビコノカミ、
イワスヒメノカミ、オオトヒワケノカミ、
アメノフキオノカミ、オオヤビコノカミ、
カザモツワケノオシオノカミ、
海の神であるオオワタツミノカミ、
港の神であるハヤアキツヒコノカミ、ハヤアキツヒメノカミ




このうちのハヤアキツヒコとハヤアキツヒメのご夫婦の神が河と海でそれぞれ分けて次の八柱の神々をお生みになられました。



アワナギ、アワナミ、ツラナギ、ツラナミ、アメノミクマリ、クニノミクマリ、アメノクヒザモチ、クニノクヒザモチ




さらに、四柱の神々をお生みになりました。



風の神のシナツヒコ、木の神のククノチ、山の神のオオヤマツミ、野の神のカヤノヒメ




このうちのオオヤマツミとカヤノヒメが山と野で分けて、次の八柱の神々をお生みになられました。




アメノサヅチ、クニノサヅチ、アメノサギリ、クニノサギリ、アメノクラト、クニノクラト、オオトマドイコ、オオトマドイメ




イザナミノミコトは、さらに次の八柱の(男女の神は一柱とする)神々をお生みになられました。




イワクスブネ、オオゲツヒメ、火の神であるホノカグツチ、カナヤマビコ、カナヤマビメ、ハニヤスビコ、ハニヤスヒメ、水の神のミツハノメ、ワクムスビ、ワクムスビの神の子であるトヨウケビメ




しかし、イザナミノミコトは、火の神のホノカグツチの神をお生みになった時に、陰部を火傷され、ご病気になられ、しばらくしてお亡くなりになられたのです。




イザナギノミコトは


「あの火の子を産んでしまったがために、最愛の妻を亡くしたのはとても残念だ。」


と悲しまれて、イザナミノミコトの枕元や足元でおなげきになられました。




そして、イザナミノミコトを出雲と伯耆(ほうき=現在の鳥取県西部)の国境にある比婆山(ひば=広島県比婆郡)にお葬りいたしました。


その後でイザナギノミコトは、ホノカグツチを恨まれて、その首を長い剣で斬り落とされてしまわれました。


この剣の名をアメノオハバリ(天尾羽張)といいます。



古事記 : 日本列島の誕生(2)

2016-06-05 10:02:15 | 古事記


日本列島の誕生(2)(大八島国)




「今、私たちが生んだ子どもたちは、どうもよくない。もう一度、天つ神様たちの所へ行って、尋ねてみよう。」

と二柱の神は相談され、ご一緒に天つ神のところに参上し、お伺いを立てました。


 天つ神のご命令で、鹿の骨を焼いて占ったところ


「女が先に声をかける事はよくない。また戻って改めて言いなおせ。」


とのお告げがありました。


そこで二柱の神は、島に降り戻って、もう一度、天の御柱を前のようにお回りになられました。

今度は、イザナギノミコトが先に


「やあ、本当に美しい女性ですね。」


とおっしゃると、その後でイザナミノミコトが


「まあ、本当にすてきな男性ですね。」


とおっしゃいました。


このように言い終わった後に男女の交わりをしてお生みなった子が「淡路島」です。


こうして、イザナギノミコトとイザナミノミコトが次々にお生みになったのは、以下の島々です。                  


「四国 」 「隠岐島」 「九州」 「壱岐」

「対馬」 「佐渡」 「本州」


このように、八つの島をお生みになったので、この国を

「大八島国=おおやしまのくに」

というのです。



この後も二柱の神は、次の六つの島もお生みになりました。


吉備の児島(岡山県児島半島)

小豆島(あずきしま、しょうどしま)

大島(山口県の屋代島)

女島(ひめじま)

知訶島(ちかのしま。長崎県五島)

両児島(ふたごのしま)